理由3.私は私でいようとしている

言語と人格の関係をジャック・ラカンが研究してくれています。詳細については各々で調べてほしいです。長くなるし、私の理解では無理なので。


私にできる不細工な説明をします。

『無意識は言語のように構造化されている』です。


バイリンガルの人に「それぞれの言語で性格ちょっと違うくない?」と聞くと、ほとんどの人が「YES!」と答えます。また「そうかもしれない…。」と。


同一の人格でも言語によって差異が出るんです。無意識下で違いが生れて主体が認識できるくらいにずれます。


単純な話です。まず日本語にあって他の言語にない表現があります。逆も。


侘しい。ねちっこい。猛々しい。

Cool,Excellent,Emotional


翻訳はできるけど言い回し、質感は違いませんか?


英語の方が分かり易いと思うので例にしますが、英語のCoolって日本語のかっこいいと違いません?ウルトラマンをCoolってちょっと違いません?どっちかと言えば熱いです。日本語のかっこいいって温度高めです。でもなんというか涼やかな質感が英語のかっこいいにはあるんですよ。


カッコよくなりたい。Coolになりたい。


子供が相互に翻訳できるこの言葉のどちらかを目標にするかで結果が全然変わってきますよね。それならと日本語で頑張って「英語のCoolが示すような涼やかな質感があるかっこいいになりたい」って少なくとも人格形成しつつある日本語話者の子供は目指せないし、たぶんそれはそれでどちらとも違う結果になります。


つまり人格は言語によって大きな影響を受けます。英語には、日本語にはそもそも規定できない人格がそれぞれ出てきてしまいます。


子供の頃を考えるとわかりやすいですよね。でも私達が向き合うべきは分かりづらい例です。翻訳です。


英訳した文章は純粋に私達の人格を反映できるのでしょうか?


ラカンの説によるとできないです。ラカンはそもそも純粋な人格そのものを否定しているのですが、言語によって規定される限りは無理だと言っています。


要は私達が母国語で書く文章がまず純粋な私達を翻訳した結果なんです。だって私達って感覚や気持ちをすでに用意されている言語の中で一番近いものに当てはめているわけなので。悲しいも嬉しいも体験的感覚ではもっと豊かでしょう?もっとこうここがなんかじわーとか、胸の辺りがなんかすっごいしゅんです。それってみんなちょっとづつ違うのでは?悲しいには含まれてないもの、余分なものがいっぱい入ってるのでは?


一番近くて伝わりやすいから言っているんです。母国語の時点ですでに純粋ではない。その上でまた翻訳してさらにズレのある言葉にする。つまり私→日本語→英語という流れで再翻訳するんです。


それは本当に私達と言えるのでしょうか?そういう危機感を私は感じています。


つまり日本語でそのまま読んで貰えることが大事だと思うんです。私の危機感はより純粋に近い私を読んでくれる人が半分になることです。1億人が5000万人になったら私の書いた文章の価値は半分に(儲からないのも嫌ですね)私をより正確に理解する人も半分になります。日本語文化圏の縮小によってより正確な私、日本語のまま気兼ねなく私を読んでくれる人が半減する。かなしいです。


できたら1億人と仲良くなりたいです。死んでからもずっと、未来永劫もっと多くの人と友達になりたいです。できるだけ純粋な私として。


そのことをみんな本気で嫌がれてないでしょう?


誤解が嫌なので2つ強調しておきます。


別に日本の衰退を止めたいわけではないです。人口減は仕方ないです。なにぃ~?やっちまったなぁ!とは思います。そんな感じでこの惨劇を愛しています。私は自分の生まれたこの時代が大好きです。まず壊したいとも思いませんし、よくなればいいなとは思うけども、だからといってこのまま消滅しても愛しています。


また翻訳や海外で売れることはうれしいです。ですが、これはすごく感覚的な姿勢の話ですが他言語の方に「日本語文化圏で生まれたこちらでも通じる新しい視点を翻訳されたもの」として読まれたいわけじゃなくて「ぽんぽん丸という人格」として読まれたいんです。「これ読んだ方がいい!」じゃなくて「こいつおもろい!」希望です。「ホントは原典で読みたいけどもしゃあなし翻訳読むか…」が嬉しいです。


そのためには日本で生まれた1人として、文化圏衰退の危機もその中での幸福も、日本語の文章で愛して書き切ろうと思っています。多言語圏に寄せるのではなく、出来る限り純粋な私を書こうと思っています。


人格の言語的構造です。象徴界です。ジャック・ラカンです。心理学者なのでフロイトとアドラーも触れておくといいです。あと人口ピラミッドです。何年にどれくらい減るか?わかるので便利です。


言語と人格の関連と、日本語文化圏が縮小するとはどういうことか?私はきちんと危機感を感じています。学問として、文化として、日本を憂いてみたいな、そういう偉そうなことではないです。もっと血の通った危機感です。


私をずっと私として読んでほしいからです。


世界のためにとか、日本語を守るためにとか、そういう理屈もいいんですけど、日本語を守りたい人って限られるし、世界を守りたい人も大きすぎて少ないと思うんですよ。私を守るんです。みんなそうでしょう?私は文章を通して、たくさんの人にそうして見せたいです。そしてたくさんが人が自分を守れるようになったらいいなと思うんです。


そのために日本語が滅んで、英訳を読んだ人が、原典で読みたいと思うほどの魅力を放っておこうと思います。「こいつ滅んだのに魅力的やん!どうやってるん?私もこうせな!」ほらすごい。学びですね。


この人格に少しでも近づきたいと思わせたいです。私は友達になりたいからです。それが人格を大切にするってことだときっと伝わると思うからです。ついでに日本語や世界も救えるしちょうどいいかなと思います。


こういう感じで世界は外と内、両方に進んでいると思うんです。日本語と世界みたいな。2つありますが、どちらかではなくて、どちらも良くするんです。そのために個人ですね。またこれからの時代は宇宙の果てのような遥か彼方の探求と人間の内側の探求です。私はなんとなく両方をうまいことやろうとしています。内側でありながらどう果てまで広がるか?です。


消滅の可能性のある言語でどう自分らしくあるのか?最も自分事として意識できているのは私です。


どうやらやっぱり私の席みたいですね。

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