第04話:事後評価と責任分界点の曖昧化

 地獄の釜の底から這い上がった人間を待ち受けているのは、温かいベッドでも、美酒の待つ宴席でもない。それは、冷え切った会議室と、終わりの見えない事後検討会だ。


 これは俺が前世のブラック企業で骨の髄まで叩き込まれた真理であり、どうやらこの異世界においても不変の法則であるらしい。むしろ、魔法や魔物が存在する分、こちらの世界の方がより陰湿でタチが悪いかもしれない。

 あの凄惨な撤退戦から一週間後。俺たちは前線を離れ、後方の城塞都市にある大会議室に呼び出されていた。磨き上げられた黒檀の長机。ふかふかのベルベットの椅子。


 壁には周辺地図と歴代将軍の肖像画が掲げられ、テーブルの上には上質な羊皮紙とインク壺が整然と並んでいる。


 窓の外からは、生還を祝うパレードの喧騒と、ラッパの音が遠く聞こえてくるが、この部屋の中だけは別世界のように静まり返っていた。空調が効きすぎた役員室のような、人工的な寒気が漂っている。

 出席者は、騎士団の上層部である将軍たち、現場指揮官だったガランド、そしてなぜか末席に座らされている俺だ。俺の格好は、相変わらずヨレヨレのスーツ姿だ。


 クリーニングに出す暇も金もないため、袖口は薄汚れ、ネクタイは緩んでいる。対する彼らは、勲章で胸元を飾った正装だ。この視覚的な対比だけで、俺の場違い感は際立っている。


 まるで株主総会に紛れ込んだ浮浪者か、あるいは全責任を負わされるために出廷した被告人のようだ。


 「……では、今回の撤退戦に関する報告を総括する」


 議長席に座った白髪の将軍が、重々しく口を開いた。彼の声は低く、よく響く。演説慣れしている声だ。中身のない言葉を、さも重大事のように語る才能に長けている。


 「被害は甚大であったが、部隊の全滅は免れた。特に地下回廊での迅速な判断が、多くの兵の命を救ったことは評価に値する」


 将軍の視線が、ちらりと俺に向けられた。それに釣られて、並み居る将校たちの視線が一斉に俺に集まる。その視線の種類は、実に多彩だった。


 純粋な称賛、興味本位の観察、得体の知れない生物を見るような警戒、そして自分たちの無能さを棚に上げた嫉妬。だが、共通している色が一つある。安堵だ。彼らは俺を見て安心している。


 英雄として崇めているからではない。この男がいれば、自分たちの手を汚さずに済むという、極めて実利的な安堵だ。彼らにとって俺は、汚物を処理するための高性能なフィルターなのだ。


 「工藤殿と言ったか。君の活躍は聞いている」


 将軍の隣に座る、文官風の男が口を開いた。細い目をした、いかにも数字に細かそうな男だ。おそらく兵站や人事を統括している参謀だろう。


 「回廊の封鎖。物資の廃棄と転用。そして負傷者の選別。どれも非情極まりないが、結果として生還率を最大化した。その冷徹な計算能力には感服する」


 称賛の言葉だ。だが、その言葉選びには棘がある。非情、冷徹、計算。これらの単語を強調することで、暗に我々騎士にはできない所業だと線を引いている。俺は表情を動かさずに軽く会釈した。


 これは褒められているのではない。値踏みされているのだ。便利だが危険な劇薬を、どう保管すべきか、あるいはいつ廃棄すべきかを品定めされている。


 「しかし、問題は手続きだ」


 別の将校が、わざとらしい咳払いの後に口を挟んだ。


 「回廊の魔石灯は王家の資産だ。あれを破壊した判断。そして何より、二名の兵士を見捨てた判断。これらは軍規に照らし合わせれば、重大な違反行為になりかねない。王家の財産を損壊し、同胞を見殺しにした罪は重いぞ」


 空気が固まった。温度が二度は下がった気がした。来た。責任追及の時間だ。ガランドが肩を震わせたのが見えた。彼は真面目な男だ。自分の指揮下で起きたことの責任を感じているのだろう。彼が口を開きかけた。


 「あ、あれは私の指揮下で……私が許可を……」

 「報告書によれば」


 文官風の男が、ガランドの言葉を遮るように、一枚の羊皮紙を持ち上げた。


 「全ての決断は、現場に居合わせた外部協力者、工藤殿の強い進言によるものだった。そう記録されているが、間違いはないか?」


 ガランドが息を呑んだ。彼は俺を見た。その目には動揺が走っている。彼は自分を庇おうとしているのではない。事実を曲げることに抵抗を感じているのだ。俺は静かに頷いて見せた。


 ここで俺が否定すれば、ガランドが全ての泥を被ることになる。それは組織運営上、効率的ではない。指揮官の権威失墜は、部隊全体の士気に関わるからだ。外部の人間が泥を被るのが、最もコストの低い解決策だ。


 「……間違いありません。私が提案し、私が実行を強く促しました。現場の混乱を収拾するためには、それしか方法がなかったと判断しました」


 俺がそう答えた瞬間、会議室の空気が明らかに緩んだ。まるで、張り詰めていた風船から少しだけ空気が抜けたような、微かな、しかし確実な変化だ。将軍たちが小さく頷き合うのが見えた。


 口元に浮かぶのは、満足げな笑みだ。彼らは犯人を探していたのではない。処理係を探していたのだ。王家の資産を破壊し、兵士を見殺しにしたという汚点。それを誰の背中に貼り付けるか。


 名誉ある騎士団の指揮官に背負わせるわけにはいかない。それは騎士団全体の不名誉になる。しかし、どこの誰とも知れない異界の男ならば、幾らでも泥を塗ることができる。


 「なるほど。工藤殿の独断に近い判断か」


 将軍がもっともらしく頷いた。


 「非常時の混乱の中、外部の視点から合理的な助言を行い、指揮官を補佐した。その結果としての損害は、不可抗力として処理するのが妥当だろう。ただし、その道義的責任の所在は明らかにしておく必要がある」


 これで決まりだ。手打ち式は終了した。公式記録において、あの惨劇の主犯は俺になった。騎士たちは外部の男に唆されて、やむを得ず従った被害者であり、俺は冷酷な計算で仲間を切り捨てた実行犯だ。


 だが、罰せられることはない。結果として三十人を救った功績があるからだ。俺は有罪だが、執行猶予付きの英雄という、極めて扱いづらいポジションに固定された。

 会議はその後、俺への報酬や待遇の話に移ったが、俺の耳にはほとんど入ってこなかった。俺の意識は、彼らが使う言葉の端々に向けられていた。


 「工藤殿の判断で」

 「彼の基準に従えば」

 「彼の手法によれば」


 彼らは、俺の名前を枕詞のように使う。責任の所在が曖昧な案件、倫理的に際どい案件について語る時、必ず俺の名前を挟むのだ。そうすることで、彼らは無意識のうちに自分自身を免責している。


 自分たちが考えたのではない。彼がそう言ったのだというニュアンスを込めることで、決定の重圧から逃れている。俺の名前は、彼らにとっての便利な免罪符になりつつあった。

 会議が終わり、俺たちは廊下に出た。窓の外は夕暮れだった。オレンジ色の光が、石造りの廊下を長く照らしている。廊下には、会議の結果を待っていた他の兵士たちがたむろしていた。


 俺とガランドが出てくると、彼らの視線が一斉に突き刺さる。その視線には、会議室の中と同じような、奇妙な色が混ざっていた。感謝の笑顔と、探るような沈黙。誰も敵意を見せない。握手を求めてくる者もいる。


 だが、距離が微妙に変わっている。以前のような、仲間としての親愛の情ではない。彼らは俺を、自分たちとは違う生き物として認識している。


 「工藤殿、ありがとうございました!」

 「あんたのおかげで、俺たちは助かったんだ」


 口々に感謝の言葉が飛んでくる。だが、誰もあの判断については触れない。話題が回廊の件に触れそうになると、空気がさっと固まり、誰かが慌てて話題を変える。


 彼らは、俺がしたことの結果だけを享受し、過程については見て見ぬふりを決め込んでいる。俺というブラックボックスに汚い入力を投げ込めば、綺麗な出力が返ってくる。


 その中身がどうなっているかは知りたくないし、知る必要もない。そう思っている。

 ガランドが隣で重い息を吐いた。


 「……すまない」


 彼は小声で言った。その顔は苦渋に満ちている。


 「私が責任を取るべきだった。お前に全て被せてしまった。これでは、お前だけが悪党だ」

 「気にするな。それが一番合理的だ」


 俺は歩きながら答えた。


 「騎士団長が人殺しの汚名を着れば、組織が揺らぐ。俺なら、いついなくなっても困らない。トカゲの尻尾切りですらない、ただの損切りだ」

 「そういう問題ではない! これでは、お前だけが……」

 「俺だけが悪者になれば、他のみんなは枕を高くして眠れる。素晴らしいシステムじゃないか。誰も傷つかない。俺以外はな」


 俺は皮肉で笑って見せたが、ガランドは笑わなかった。彼は痛々しげに顔を歪め、それ以上何も言わなかった。彼もまた、そのシステムに守られている一人であることを自覚しているからだ。


 彼もまた、俺という防波堤の内側で安眠を貪る一人なのだ。

 宿舎への道を歩きながら、俺はふと、自分の名前が一人歩きしているのを感じた。すれ違う兵士たちが、俺を見てヒソヒソと話している。あの人が、工藤だ。冷血な参謀だってな。でも、彼に従えば助かるらしいぞ。


 感情がないんだとさ。心臓が氷でできているらしい。

 噂話が、俺の実像を歪めていく。俺はただ、エクセルでコスト計算をするように状況を分析しただけだ。感情がないわけではない。恐怖もあれば、罪悪感もある。夢にだって見る。だが、彼らは俺に人格を求めていない。


 彼らが求めているのは、決断という苦痛を代行してくれる機能だ。俺は工藤という人間から、工藤というシステムへと書き換えられつつある。

 否定も肯定もできない。俺が実は心を痛めていると言えば、彼らは安心するだろうか。いや、失望するだろう。彼らは、迷わないリーダーを求めている。心を持たない決断者を求めている。


 だから俺は、彼らの期待に応えるために、鉄仮面を被り続けるしかない。

 夕食の食堂に入ると、一瞬だけ喧騒が止んだ。カチャカチャという食器の触れ合う音だけが響く。俺の姿を確認した兵士たちが、微妙に席を詰め、俺のためのスペースを空ける。特等席ではない。隔離席だ。


 俺は黙ってそこに座り、冷めたスープを頼んだ。

 隣のテーブルから、微かな話し声が聞こえる。


 「……でもよ、実際助かったのは事実だろ」

 「ああ。俺たちには無理だ。あんな判断」

 「彼がいてくれてよかったよ。汚れ役をやってくれる人がいないとな」


 汚れ役。その言葉が、スープの味をさらに不味くした。彼らは悪気があって言っているのではない。むしろ、彼らなりの最大限の敬意なのだろう。


 だが、それは同時に自分たちの世界には入れてやらないという線引きでもある。俺は安全圏の外側に置かれた番犬だ。狼が来れば戦わせるが、家の中に入れて家族団欒に混ぜるつもりはない。


 濡れた犬は外で乾いていろというわけだ。

 居心地の悪さだけが、胃の底に澱のように溜まっていく。説明しようとしても、言葉が見つからない。正解を選んだはずだ。三十人を救ったはずだ。なのに、なぜ俺は、こんなにも透明な壁に囲まれているのだろう。

 手元のスプーンが、歪んで見えた。俺の名前が使われている。工藤の判断で。その一言で、全ての思考が停止し、全ての手続きが正当化される。俺は否定も肯定もできない。


 ただ、その言葉が作り出す冷たい空気の中で、息をするしかない。

 ふと、窓ガラスに映った自分の顔を見た。そこに映っていたのは、疲れ切った中年男の顔ではない。無機質で、何を考えているか分からない、能面の男だった。目が死んでいる。いや、殺しているのだ。


 俺は、自分が彼らの望む通りの顔になりつつあることに戦慄した。役割が、人格を侵食している。このままでは、俺の中身まで空っぽになってしまうのではないか。

 俺は残りのスープを一気に飲み干し、逃げるように食堂を出た。背後で、再び喧騒が戻るのが聞こえた。俺がいなくなれば、彼らは普通の人間同士に戻れるのだ。


 俺という異物が排除された空間で、彼らは人肌の温もりを確かめ合うのだろう。

 夜風が冷たい。だが、会議室の冷気よりはマシだった。俺は夜空を見上げ、煙草が吸いたいと思った。この世界に煙草があるかどうかは知らないが、もしあるなら、今の俺には絶対に必要だ。


 肺を焦がすような煙でも吸い込まなければ、この空虚な穴は埋まりそうになかった。

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