第9話:ハナの解毒

 休日の朝。聖アルテミス女学院を包むのは、学生たちの喧騒から切り離された、不気味なほどに静謐な空気だった。


 リア・ド・ラ・ヴァリエールの私室。カーテンの隙間から差し込む薄い陽光が、ベッドの上に散らばる「銀色の糸」を照らし出していた。それは、昨夜一晩中、獣のように猛り狂い、ハナを貪り尽くしたリアの、乱れた銀髪の残像だった。


 ハナ・シュタインベルグは、その銀髪の檻の中で、意識の混濁したまま浅い眠りに落ちていた。  彼女の白い肌には、リアの激しい加虐の証である紅い鞭痕が、まるで神経図のように無数に走り、その上をリアの銀髪が冷たく撫でている。


 ハナは夢を見ていた。終わりのない、銀色の闇に飲み込まれる夢。リアの低い、震える声が耳元で反響する。


(私に触れていいのは、お前だけだ……)


「……っ、……ぁ」


 ハナの唇が微かに動く。だが、そこから言葉が出ることはなかった。喉は昨夜の絶叫で枯れ果て、肺に吸い込む空気さえも、リアが纏う香水の冷たい芳香に支配されている。


 その時、部屋の静寂を、カチリという乾いた音が引き裂いた。内側から施錠されていたはずの扉が、外側から、迷いのない手つきで解錠されたのだ。


 ハナは、その音に本能的な戦慄を感じて目を開けた。視界の端に映ったのは、部屋に踏み込んでくる三つの影。ノア、ルナ、そしてミナ。昨夜、リアによって「拒絶」されたはずの共犯者たちが、今、自分たちの正当な権利を主張するように、銀色の寝所へと足を踏み入れた。


「――あら。……随分と、……『酷い』ことになったものね」


 ノアの透き通るような声が、静室に響いた。彼女の視線は、ベッドの上で廃人のように横たわるハナと、その背中に刻まれた生々しい鞭の跡を、憐れみと……隠しきれない激しい「怒り」を込めて射抜いていた。


「リア! 起きなさいよ! 独りで勝手に、こんなにボロボロにして……ズルすぎるじゃない!!」


 ルナが激昂し、ベッドのフットボードを乱暴に蹴った。その衝撃に、ハナを抱きしめて眠っていたリアが、鋭く目を開けた。リアは、乱れた銀髪をバサリと振り払い、獲物を守る獣のような俊敏さで上半身を起こした。彼女の碧眼には、まだ昨夜の狂乱の残火が宿っている。


「……何をしに来た。……今朝は誰も来るなと言ったはずよ」


「……リア様。共有の掟に対する、明白な規律違反です」


 ミナが、眼鏡の奥で琥珀色の瞳を冷徹に光らせ、手帳を開いた。


「ハナ様の肉体は、四人の合意の下で管理されるべき『共有財産』。……それを、ご自身の私情でここまで損壊させるとは。……これは、看過できる事態ではありません」


「……ふん。ゴミをどう扱おうが、私の勝手よ」


 リアは銀髪を掻き上げ、不遜に言い放つ。だが、その腕は、ハナの腰を離そうとはしなかった。ハナは、四人の令嬢から発せられる、物理的な重圧を伴う「執着」の衝突に、呼吸することさえ忘れていた。


(……あ、ああ……。……助けて。……いや、助けないで……。……みんなの目が、……私を見てる。……リア様への怒りが、……そのまま私への『おしおき』に変わるのが、……分かっちゃう……っ!)



 ◆



 その一触即発の睨み合いを破ったのは、控えめな、だが切迫したドアのノック音だった。


「――リア様。失礼いたします。ヴァリエール公爵家より、お呼び立ての使者が参っております」


 リアの顔が、一瞬で凍りついた。


 使者。それは、昨夜彼女を狂乱へと突き動かした「求婚者の騎士」が学園に到着したことを意味していた。


「……っ。……あいつ、……もう来たの……」


「あら、大変ね、リアちゃん。……お父様からの正式な使者でしょう? 無視するわけにはいかないわよね」


 ノアが、わざとらしく、だが勝者の微笑を浮かべて言った。


「……ミナ様。騎士の対応をリア様が行っている間、ハナ様の『状態回復』と『再検分』は、私たち三人に委任されるべきだと判断しますが」


「ええ。妥当な判断です。……リア様。あなたは今すぐ、応接室へ向かってください。……これは学園の、そして家門の『規律』です」


 リアは、銀髪の下で奥歯を噛み締めた。今、ハナをこの三人に預ければ、昨夜自分が心血を注いで刻み込んだ「痕跡」が、すべて別の色で塗り潰されることは火を見るよりも明らかだった。


 だが。騎士を追い返さなければ、自分の「純潔」が外側から壊される。


「……すぐに、追い返すわ」


 リアは、ハナの耳元に唇を寄せ、周囲に聞こえないほどの低い声で囁いた。


「……待っていろ、ハナ。……すぐに、お前を取り戻しに行く。……いいか、……他の女たちに、……心を許すな」


 リアは銀髪を翻し、一分の隙もない公爵令嬢の表情を張り付かせると、背後を振り返ることなく部屋を飛び出していった。


 バタン、と扉が閉まる音。ハナの唯一の盾(にして蹂躙者)がいなくなったその部屋に、残されたのは三人の令嬢と、身動きの取れない「生贄」だけだった。


「……さて。……リアちゃんという『毒』を、綺麗に洗い流してあげましょうか、ハナちゃん」


 ノアの指先が、ハナの頬に伸びる。ハナは、リアが去った後の喪失感と、三人の期待に満ちた瞳の輝きに、自身の肉体が絶望的なまでの「悦び」に震え始めるのを感じていた。



 ◆



 リアの足音が遠ざかり、重厚な扉が閉まる音が響く。その瞬間、部屋の空気は「王による支配」から「暴徒による略奪」へと変質した。ハナは、リアの温もりが残るシーツに縋り付こうとしたが、その細い手首をルナが乱暴に掴み上げた。


「さあ、いつまであいつのベッドでまどろんでるのよ! 気分悪いわ、全身あいつの銀髪と匂いだらけじゃない!」


「ひ、あぁっ……ルナ、様……っ。……やめて、まだ、身体が……っ」


 昨夜、リアに徹底的に犯し抜かれたハナの肢体は、わずかな振動にさえ悲鳴を上げるほどに過敏になっていた。だが、ルナはその痛みをあざ笑うかのように、ハナをベッドから引きずり出す。無惨に床へ転がされたハナの背中では、リアが刻んだ鞭痕が、空気に触れて再び灼熱の疼きを放った。


「……ふふ、可哀想に。リアちゃん、本当に加減を知らないんだから。……でも大丈夫よ、ハナちゃん。私の部屋へ行きましょう。あんな暴力的な痕、私が優しく『上書き』してあげるから」


 ノアの微笑みは聖女の如く慈愛に満ちていたが、その瞳の奥には、獲物を独占されたことへの黒い嫉妬が渦巻いている。ミナが手際よく、ハナの四肢を絹の拘束具で繋ぎ、その上から大きなケープを被せた。


「……これよりハナ・シュタインベルグを、第2特別寮ノア・フォン・シュタインの私室へ移送します。……リア様が戻るまでに、この不浄な『独占の記録』をすべて抹消し、共有物としての平準化を行う必要があります」


 ハナは三人に抱え上げられるようにして、リアの聖域から連れ去られた。休日の静かな廊下。すれ違う生徒などいない。だが、ハナにとっては、誰かに見られる恐怖よりも、今から始まる「リアの不在」という名の空白の蹂躙の方が、何万倍も恐ろしかった。


 ノアの自室は、リアの厳格な部屋とは対照的に、甘い香香と柔らかな布地に満ちた、一見すれば「癒やし」の空間だった。だが、中央に据えられた寝台に横たえられた瞬間、ハナはその場所が、精神を溶かして廃人にするための「処刑場」であることを悟った。


「さて……まずはこの、目障りな銀髪の匂いから消しましょうか」


 ノアは、最高級の香油と、ハナの理性を麻痺させる幻惑的な香草を調合した特製の液体を手に取った。彼女はそれを自身の指に浸すと、リアが執拗にキスマークを刻んだハナの首筋に、円を描くように塗り広げていく。


「あ、ぅ……っ。……なに、これ……っ。……あつい、……脳が、……しびれる……っ」


「リアちゃんは痛覚で支配しようとしたけれど、私は違うわ。……快楽で、あなたの細胞の一つ一つからリアちゃんの記憶を追い出してあげるの」


 ノアの指が、リアのつけた傷口をなぞる。昨夜の痛みは、ノアの「慈愛」という名の毒によって、不気味なほどの熱を帯びた悦楽へと変換されていく。


 そこへ、我慢の限界に達していたルナが、獣のような身のこなしでハナの太ももの間に割り込んだ。


「あいつの鞭の跡なんて、見てるだけでイライラするわ! ……ねえ、ハナ。……私の牙の方が、ずっと深くて、忘れられないでしょう?」


「ひ、あぁぁぁぁっ!!」


 ルナは、リアのつけた鞭痕のすぐ隣、まだ無事だった柔肌に、容赦なく牙を立てた。肉を裂き、血を啜るような野蛮なマーキング。リアが「支配」を求めたのに対し、ルナは「本能的な同化」を求めていた。


「……っ、ルナ様、……やめて、……そこは、……あ、あああああ!!」


 ハナの身体が弓なりに反る。リアという主君を奪われた絶望の中で、三方向から押し寄せる異なる種類の加虐。ノアの「精神的な蕩融」、ルナの「暴力的な独占」。そして、それらを冷徹に観察し、最も効率的にハナを壊すポイントを指示するミナの「管理」。


「……ハナ様、心拍数が危険域に達していますが、まだ意識を失うことは許可されていません。……この薬剤を、粘膜から直接投与します」


 ミナは、琥珀色の瞳を眼鏡の奥で光らせ、微小な針のついた吸入器をハナの口内に差し向けた。


「……これは感覚を三倍に増幅させ、かつ『拒絶』の信号を脳が認識できなくするものです。……さあ、受け入れなさい。……これが、リア様の暴走を許した、あなたの『連帯責任』です」


 三倍に跳ね上がった感度の中で、ハナの世界は、ノアの指、ルナの牙、そしてミナの冷たい金属器具によって塗り潰されていった。


(……あ、ああ……っ。……リア様。……リア様、助けて……っ!)


 ハナの心は、応接室で戦っているはずの銀髪の主君を呼んでいた。だが、身体はその叫びを裏切る。ミナの薬剤によって「嫌だ」という拒絶の感情が快楽の信号に上書きされ、ハナの喉からは、自分の意志とは無関係な、淫らで甘い喘ぎ声が漏れ出す。


「ふふ、いい声。リアちゃんの前でも、こんなに可愛く鳴いていたのかしら? ……でもダメよ、ハナちゃん。今あなたの身体を揺らしているのは、リアちゃんじゃない。……私たち三人なのよ」


 ノアが、ハナの耳元で残酷な事実を突きつける。リアがいない。自分を一番に愛し(壊し)、独占してくれたあの冷たい銀色の眼差しが、今はここにない。その喪失感という名の巨大な穴を、三人の令嬢がそれぞれの執着で、これでもかと埋め立てていく。


「あ、は……っ。……みんな、……みんなの、……しげきが、……まざって……っ! ……りあ、さま……の、……あとが……っ、きえて、いく……っ!!」


 ハナは涙を流しながら、自ら腰を浮かせ、三人の蹂躙を迎え入れてしまった。それは、リアに対する最悪の裏切り。そして、三人の令嬢にとっては、リアという強固な壁を突き崩し、ハナという獲物を再び「共有」の場に引き戻した完全なる勝利の瞬間だった。


「……見て、ミナ。……ハナ、こんなにビクビクして……リアのときより感じてるんじゃない?」


「……データ上も、昨夜の数値を大幅に更新しています。……素晴らしい適応力ですね、ハナ」


 ハナの意識は、白濁した快楽の霧の中に沈んでいった。リアという「一人の神」を失った少女は、今、三人の「狂える女神」によって、一秒ごとに、細胞の隅々まで定義し直されていた。



 ◆



 応接室の空気は、凍てつくような緊張感に支配されていた。豪奢なソファに深く腰掛けたリア・ド・ラ・ヴァリエールは、乱れた銀髪を完璧に整え直し、一分の隙もない公爵令嬢の仮面を被っていた。対面には、侯爵家から遣わされた「求婚者の使い」である騎士。彼はリアの圧倒的な美しさと威圧感に、既に気圧されている。


「……さて。お話はそれだけかしら?」


 リアの声は、鈴を転がすような美しさと、心臓を直接掴むような冷徹さを併せ持っていた。騎士は額に汗を浮かべ、必死に家門の正当性と、嫡男がいかにリアを慕っているかを説いた。だが、リアの天才的な頭脳は、既にその言葉の裏にある「綻び」をすべて計算し尽くしていた。


「騎士殿。貴公の主が私に寄せる情熱は理解したわ。ですが、論理的に考えましょう。……貴家の直近の領地経営における失策、および王都での派閥抗争における不透明な立ち位置。それらを鑑みて、我がヴァリエール公爵家がこの縁談を受けることは、王室に対する『不忠』に等しい行為であると、私は判断します」


「そ、それは……! しかし、公爵閣下は……」


「父は『一度は会え』と言いました。ええ、今会いました。そして、貴公の弁舌の拙さと、主君の資質の低さを確認したわ。……帰りなさい。そして主に伝えなさい。『身の程を知れ』と。……今ここで私が、貴公が王都で隠し持っている『不名誉な記録』を学園中に、あるいは社交界に公表してもよろしくてよ?」


 リアは、冷たい銀髪を指先で弄びながら、騎士の致命的な弱点を淡々と、そして優雅に突きつけた。その言葉には、相手を心酔させ、同時に服従させる不思議な魔力があった。リアの瞳には、騎士の存在など映っていない。彼女が今、全身全霊で求めているのは、ノアの部屋で弄ばれているはずの、たった一人の「器」だけだった。


「……あ、ああ……。ヴァリエール様の仰る通りです……。私の主には、あなた様を望む資格などなかった……」


 騎士は、リアの圧倒的な知略とカリスマ性に完全に心折られ、むしろ彼女を崇拝するような眼差しで深く一礼し、足早に応接室を去っていった。


 扉が閉まった瞬間、リアの顔から「公爵令嬢」の仮面が剥がれ落ちた。彼女の碧眼は、血走った執着で赤く濁り、銀髪が怒りに震えるように波打つ。


「……ハナ……っ! 私のハナ……っ!!」


 リアは、令嬢としての作法も、周囲の目もすべてかなぐり捨て、第2特別寮へと向かって疾走した。廊下を駆ける彼女の銀髪は、冷たい稲妻のような残像を残す。脳裏にあるのは、ノアの狡猾な微笑み、ルナの野蛮な牙、ミナの冷徹な管理。


 一刻も早く取り戻さなければならない。自分が昨夜、魂を削るようにしてハナの肌に、神経に、記憶に刻み込んだ「銀色の痕跡」が、別の汚れで塗り潰されてしまう。


「……っ、あぁぁぁぁっ!! 許さない……! 私の聖域を汚す者は、誰であろうと許さない……っ!!」


 ノアの自室の前に辿り着いた時、リアの殺気は頂点に達していた。扉の向こうから漏れ聞こえるのは、ハナの、聞いたこともないような淫らで、蕩けきった喘ぎ声。リアは躊躇することなく、その重厚な扉を、自身のブーツで力任せに蹴破った。


 ドォォォォン!!


 爆音と共に扉が跳ね返り、室内の情景がリアの視界に飛び込んでくる。


 リアが目にしたのは、この世のものとは思えない背徳の絵図だった。


 甘い香煙が立ち込める部屋の中央。ノアに喉元を愛撫され、恍惚とした表情で虚空を仰ぐハナ。そのハナの太ももに顔を埋め、獲物を食らう獣のように噛み跡を刻み続けるルナ。そして、ハナの腕を固定し、冷たい金属の注射器を抜き取ったばかりのミナ。


 ハナの白い肌。そこには、昨夜リアが刻んだはずの「誇り高き銀の痕跡」を覆い隠すように、三人の令嬢が競い合うようにして残した、赤、青、紫の汚濁したマーキングが全身を埋め尽くしていた。


「あ、は……っ、りあ……さま……? ……だめ、……もう……わたし、……だれのものか……わかん……ない……っ」


 ハナの瞳には、もはやリアを見分ける知性すら残されていなかった。ミナの薬剤で感度を極限まで引き上げられ、ノアとルナに蹂躙され続けた彼女は、リアの目の前で、三人の所有物として「再定義」されてしまっていた。


「……っ!!」


 リアは、あまりの衝撃に言葉を失った。自分の愛し(壊し)たハナが、たった数時間の空白で、これほどまでに別の「色」に染め上げられてしまった。


「あら、リアちゃん。お帰りなさい。……騎士様とのデートは、楽しかったかしら?」


 ノアが、ハナの頬をなぞりながら、勝利の微笑みを浮かべる。


「……リア様。これで、ハナ様の均衡は保たれました。……あなたの独走は、今ここで終了です」


 ミナが冷酷に告げる。


「リア! 見なさいよ、ハナはこんなに欲しがってたわよ! あんたがいなくても、ね!!」


 ルナが勝ち誇ったように笑う。


 リアの銀髪が、逆光の中で狂ったように輝いた。彼女は、血が出るほど唇を噛み締め、ハナへと歩み寄る。共有という名の地獄。独占という名の絶望。四人の令嬢の執着が、一人の少女の肉体の上で、ついに取り返しのつかない破滅へと加速し始めた。


「……いいわ。……塗り潰されたなら、……また一から、私の色で染め直すだけよ」


 リアの低い、震える声が響く。その瞳に宿ったのは、もはや令嬢の矜持ではなく、ハナという名の「依存症」に侵された、狂信者の暗い輝きだった。


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