第6話:晒し台
聖アルテミス女学院の朝は、本来ならば希望に満ちた賛美歌と、少女たちの清らかな笑い声で幕を開けるはずだった。だが、その日の朝、中庭の噴水広場に集まっていた生徒たちは、信じがたい光景を前にして、文字通り息を呑んだ。
広場の中央、大理石の回廊を歩いてくるのは、この学園の頂点に君臨する二人の女神——公爵令嬢リア・ド・ラ・ヴァリエールと、聖女ノア。そして、その二人に左右から腕を絡められ、操り人形のように足を引きずる一人の少女、ハナ・シュタインベルグだった。
「……ぁ、あ……ぅ……」
ハナの口から漏れるのは、もはや言葉の体を成さない微かな吐息だけだった。彼女の瞳には、かつての「限界オタク」としての輝きは微塵も残っていない。焦点は定まらず、ただ足元の石畳を虚ろに見つめている。その制服は、首元のボタンが一番上まで厳重に締められ、手首の袖口も不自然なほどに長く伸ばされていた。
だが、その閉ざされた布地の下で、何が行われているかを周囲の生徒たちは知らない。
(……見られてる。……全校生徒に、見られてる……っ)
ハナの脳内では、わずかに残った理性の残滓が、悲鳴を上げていた。制服の下、太ももにはリアが刻んだ『ヴァリエールの所有物』という文字が、昨夜ノアが施した「癒やし」の熱と混ざり合い、歩くたびに爛れたような快楽を脳に送ってくる。さらに、リアの冷徹な指先がハナの左腕を強く掴み、その爪が制服越しに皮膚を割り、ノアの温かい掌がハナの右手を優しく、だが逃げ場のない執着で包み込んでいた。
「どうしたの、ハナちゃん。顔色が優れないわね。……昨夜は、少し頑張りすぎちゃったかしら?」
ノアが、わざと周囲に聞こえるような鈴を転がすような声で囁く。彼女の顔は、朝陽を浴びて神々しいまでに輝いているが、その言葉には、リアに対する強烈な「勝利宣言」と、ハナを精神的に追い詰めるための毒がたっぷりと含まれていた。
「……余計な口を叩くな、ノア。このゴミを管理するのは、私だ。貴様はただ、隣で寄り添う真似事をしておけばいい」
リアの碧眼が、周囲の野次馬たちを射抜くように鋭く光る。彼女が放つプレッシャーは、昨夜よりも数段増していた。自身の所有物が、親友であるはずの聖女に「上書き」されたことへの、収まりのつかない憤怒。それが、ハナの手首を掴む指の力にすべて込められていた。
(……ああ。……解釈違いなんて、もう言えない。……だって、リア様とノア様が、私を真ん中にして、本気で『私をどっちがより深く壊せるか』を競い合ってるんだから……っ)
ハナは、二人の女神が放つ異なる香気が混ざり合った「支配の臭気」に包まれ、めまいを起こしそうになった。リアの氷のような薔薇の香りと、ノアの熱を帯びた百合の香り。その二つの香りが、ハナの鼻腔を侵し、肺を埋め尽くす。かつてのハナであれば、「推し二人に挟まれて登校なんて、前世でどんな徳を積んだんだ!」と狂喜乱舞しただろう。だが、今の彼女にあるのは、ただ「これ以上、私を壊さないで」という、無力な生贄としての悲鳴だけだった。
◇
午前中は1年生〜3年生までの合同授業。講義の内容など、ハナの頭には一切入ってこなかった。彼女が座る特待生用の席の両隣には、なぜか本来の席を離れたリアとノアが陣取り、机の下で交互に彼女の膝を撫で、あるいは指先を絡めてきたからだ。
そして昼休み。ハナは、再び二人に両脇を固められ、学園で最も「神聖」とされる場所の一つ、中央図書室の最奥にある『特別閲覧室』へと連行された。
そこは、歴代の聖女や王族の資料が保管される、一般生徒の立ち入りが厳格に禁じられた密室だった。重厚な扉が閉まり、リアが内側から鍵をかける。その「カチリ」という音は、ハナにとって、日常という名の舞台から、再び「飼育箱」へと戻された合図だった。
「……さあ。お昼にしましょうか、ハナちゃん」
ノアが優雅な手つきで、バスケットから一粒の真っ赤な苺を取り出した。だが、それをハナの前に差し出したのは、ノアではなかった。リアが、ハナを背後から抱きしめるようにして、自分の膝の上に強引に座らせたのだ。
「……動くな。私が食べさせてやる」
リアの冷たい指が、ハナの唇を割るようにしてこじ開ける。ハナは、拘束されたような姿勢のまま、リアの指ごと苺を口に含まされた。果汁が弾け、甘酸っぱい香りが広がる。だが、それを味わう余裕などない。
「ん……ぅ、あ……っ」
「ふふ、美味しそうに食べるわね。……でも、リアちゃん。そんなに乱暴にしちゃだめよ。……ハナちゃんの可愛いお口が、痛がっているじゃない」
ノアが、ハナの正面に回り込み、テーブルに手をついて身を乗り出した。彼女の指先が、ハナの唇から溢れた果汁を、愛おしそうに拭い取る。そして、そのままその指を、ハナの口腔へと滑り込ませた。
「……っ!? ん、ぐ……ぁ……っ」
背後からはリアの形の良い胸と、彼女がハナの首筋に這わせる冷たい鼻息。正面からはノアの柔らかい指先と、彼女がハナの瞳を覗き込む、底なしの慈愛。
(あ、ああ……っ。……これ、
ハナの背中を、言葉にできない戦慄と快楽が駆け抜ける。リアが、ハナの耳たぶを噛み、低い声で告げた。
「……忘れるな。今、貴様の口の中を汚しているその指は、私が最も嫌う『光』のものだ。……その不快感を、しっかりと脳に刻め」
「あら、リアちゃん。……不快感だなんて、ひどいわ。……見て、ハナちゃんのこの顔。……私の指を、こんなに必死に追いかけて……。……本当は、リアちゃんの暴力よりも、私のこの『甘さ』に溺れたがっているのよ?」
二人の女神による、ハナの肉体と精神の「共有」。それは、一見するとハナを奪い合っているように見えて、その実、二人で協力してハナの自我を粉々に粉砕しようとする、完璧な連携プレーだった。
◇
「特別閲覧室」に充満する、熟れた果実の甘い香りと、二人の令嬢が放つ相反する芳香。ハナの意識は、リアの膝の硬さと、口内に侵入するノアの指の柔らかさという、矛盾した刺激の濁流に呑み込まれていた。だが、その秘められた空間の平穏は、唐突に、かつ事務的な乾いた音によって破られた。
カチリ、という解錠の音。リアが確かに内側から施錠したはずの扉が、予備のマスターキーによって静かに、だが迷いなく開かれた。
「――お楽しみのところ失礼いたします。ですが、ここでの過ごし方は些か『学園の風紀』を逸脱しているようですね」
眼鏡の奥で琥珀色の瞳を冷徹に光らせ、生徒会副会長ミナ・フォン・エッシェンバッハがそこに立っていた。彼女の手に握られた生徒会権限のマスターキーは、ハナにとって、新たな「処刑」の執行猶予が切れたことを意味していた。
「ミナ……? 貴様、何の権利があってここへ踏み込んだ」
リアがハナの腰を抱いたまま、不機嫌極まりない声を上げる。しかし、ミナは動じない。彼女は無機質な足音を響かせながら、ハナのすぐ目の前まで歩み寄ると、手袋を嵌めた指先で眼鏡のブリッジを押し上げた。
「権利、ですか。生徒会には、学園内のあらゆる特別室を監視・管理する義務があります。……特に、一人の特待生を二人の実力者が独占し、このような……『公序良俗に反する行為』に及んでいる場合はね」
ミナの視線が、リアの膝の上で、苺の果汁とノアの唾液に濡れたハナの唇を、冷徹に射抜く。ハナは恐怖で身体を強張らせた。ミナは「規律」の人だ。昨日、自分の身体を事務的に、かつ容赦なく検分したあの冷たい手つきを思い出し、背筋に戦慄が走る。
(あ、ああ……ミナ様……。助けて……。いや、助けないで……。ミナ様まで来ちゃったら、私、今度こそ本当に『人間』じゃなくなっちゃう……っ!)
「ふふ、ミナちゃん。あなたも相変わらず堅苦しいわね」
ノアがハナの口から指を抜き、その指先を自身の唇で拭いながら、挑発的な微笑みをミナに向けた。
「風紀を乱しているというのなら、あなたも『是正』に加わったらどうかしら? このハナちゃんという素材を、どうすればもっと学園に相応しい『完璧な隷属体』に仕上げられるか。……あなたの得意な『管理』の視点が必要だわ」
「……ノア様の提案には一理あります。リア様の暴力的な支配も、ノア様の甘すぎる洗脳も、効率の面から言えば極めて拙速。……被験者の精神を完全に破壊せず、永続的に機能させるためには、もっと『論理的な調教』が必要不可欠です」
ミナはそう言うと、傍らにあった木製の椅子をハナの正面に引き寄せた。そして、ハナの震える脚を、自身のブーツを履いた脚で強引に割り広げる。
「ひっ、あ……ミナ様……っ」
「……静かに。今から、昨夜リア様が施した『処置』の有効性を再検分します」
◇
ハナは、まさに地獄の
「……なるほど。リア様、この『刻印』のインクは些か濃度が足りないようです。……右腿のこのあたり、既にノア様の『癒やし』によって浸食され、文字が滲んでいる」
ミナの手袋越しではない、素肌の指先が、ハナの太ももに刻まれた『Propriété de Valère』の文字を、抉るように強く押し潰した。
「あ、ぐ……っ、痛、い……っ!」
「痛むのは、そこにまだ『自我』という名の不要な神経が残っているからです。……リア様、許可を。……この上から、私の『規律』を再定義させていただきます」
「……好きにしろ。ただし、その肌の主権が私にあることだけは、忘れるなよ」
リアの許可が下りる。ミナは懐から、細い万年筆のような器具を取り出した。それは生徒会が機密書類の封印に使う、熱を持つ特殊な化学インクを用いたペンだった。
ミナは、リアが刻んだ文字の隙間を縫うように、極めて精緻な、それでいて逃れられない細い線を、ハナの肌に書き込み始めた。熱い。リアの筆よりもずっと鋭い、皮膚を焼き切るような高熱の刺激。
「ん、あぁぁぁぁぁっ!!」
「暴れないでください。線が歪みます。……今、私はあなたの血流と神経に沿って、私の『所有権』を論理的に書き込んでいるのです。……これで、あなたはリア様の暴力に怯え、ノア様の愛に溺れながらも、私の『規律』から一歩もはみ出すことができなくなる」
ハナの脳内は、ついに処理限界を超えた。リアの「暴力的な情熱」。ノアの「甘美な洗脳」。ミナの「冷徹な管理」。
三方向から押し寄せる、異なる種類の「執着」が、ハナの精神という名の器を、内側から粉々に砕いていく。もはや、誰が主人で、誰が救いなのか。ハナには何も分からなかった。ただ、自分というモブの存在が、三人のヒロインという巨大な恒星に飲み込まれ、その質量の一部として同化していくことに、筆舌に尽くしがたい「正解感」を感じ始めていた。
(……あ、ああ……。……もう、いい。……全部、壊して。……私を、三人で、めちゃくちゃに……分け合って……っ)
ハナの瞳から、最後の一滴の意志が消え、ただ三人の欲望を反射するだけの鏡と化したその時。
扉の外から、荒々しい足音と、怒髪天を突くような叫びが響き渡った。
「――リア! ノア! ミナ!! そこで私のハナに何をしてるのよ!!」
◇
「――いい加減にしなさいよッ!!」
怒号とともに、閲覧室の重厚な扉が再び、今度は内側の鍵すら無視するような膂力によってこじ開けられた。燃えるような赤いツインテールを激しく揺らし、肩で息をしながら、ルナ・フォン・ローゼンベルクが部屋の中へと踏み込む。
だが、彼女がそこで目にした光景は、激情をさらに狂気へと変えるに十分な、背徳の極致だった。
リアの膝の上に無様に座らされ、ノアに喉元を愛撫され、そしてミナによって太ももに新たな「規律」を刻まれているハナ。そのハナの瞳には、もはやルナが愛した「怯えながらも生きていた光」はなく、ただ白濁した悦楽と絶望の混濁だけが宿っていた。
「……リア、ノア……それにミナまで! そこで、私の、私のハナに何をしているのよ!!」
ルナが絶叫し、テーブルを叩きつける。しかし、リアはハナの腰を抱く腕を緩めるどころか、見せつけるようにその拘束を強めた。
「『私の』、だと? ルナ、貴様は相変わらず図々しいな。このゴミは既に私の刻印を刻まれた、ヴァリエールの所有物だ。貴様のような野蛮な小犬が吠えていい相手ではない」
「あら、リアちゃん。ルナちゃんも仲間外れにされたくなくて、寂しかったのよ。ねえ、ルナちゃん? あなたも、ハナちゃんがこんなに『いい子』になった姿を、近くで見たいでしょう?」
ノアが、ハナの頬をなぞっていた指を、誘うようにルナへと向けた。その指先には、ハナの涙と唾液、そして苺の果汁が混ざり合い、妖しく光っている。
「……ルナ様。感情的な行動は慎みなさい」
ミナは万年筆の手を止めず、ハナの肌に最後の一線を刻み込みながら、冷徹に告げた。
「現状、ハナ・シュタインベルグの心身は、リア様の所有権、ノア様の精神管理、そして私の規律維持、この三者のバランスによって辛うじて保たれています。……あなたがここに『熱』を持ち込めば、この器は今度こそ、修復不能にまで粉砕されることになりますよ」
「うるさい! 理屈なんてどうでもいいわよ!! 私が……私が一番に、この子を見つけたのに! 私が一番に、この子を噛んだのに!!」
ルナは、三人の令嬢が放つ圧倒的なプレッシャーを撥ね退けるように、ハナの目の前へと詰め寄った。彼女の手が、ハナの制服の襟元を強引に掴み上げる。
「ねえ、ハナ! 私よ! ルナよ! 目を開けなさいよ!! こんな女たちに、あんたの全部を明け渡していいわけないでしょ!!」
◇
ルナの激しい揺さぶり。だが、ハナの首は力なく前後するだけで、その瞳に「ハナ」としての自我が戻ることはなかった。むしろ、ルナの野性的な匂いと、襟元を締め上げる「痛み」が加わったことで、ハナの脳内では最後の回路がショートした。
「……あ、あぁ……っ。……ルナ、さま……。……みんな、みんな、いっしょ……っ」
ハナの口から漏れたのは、自我を喪失した者だけが辿り着く、究極の「全受容」の言葉だった。
(……あ、ああ……。……もう、いいんだ。……リア様の痛みも、ノア様の甘さも、ミナ様の熱も……。……そして今、ルナ様がくれるこの暴力的な愛情も……。……全部、全部、私の中に、流し込んで……っ)
ハナは、自らルナの手に額を擦り寄せ、喉の奥で「ひゅう」と壊れた笛のような音を鳴らした。その、完全に壊れきった、だが最高に甘美な隷属の姿を見て、四人のヒロインたちの間に、奇妙な、そして決定的な「連帯感」が生まれた。
一人の獲物を奪い合うフェーズは、今、終わった。四人は、この「ハナ」という一冊の白紙を、自分たちの欲望で塗り潰し、共同で管理し、愛で、壊し続けるという、背徳の合意に達したのだ。
「……ふん。いいだろう、ルナ。そこまでこのゴミに執着するなら、特別に『席』を用意してやる」
リアが、ハナを抱いたまま、傲慢に言い放つ。
「だが、秩序は守れ。……この器の芯を壊すのは、私の役目だ」
「あら、それなら、彼女を包み込むのは私の役目ね」
ノアが、満足げにハナの髪を撫でる。
「……私は、その全ての過程を記録し、管理します。逸脱した行為があれば、三者等しく『是正』させていただきますよ」
ミナが眼鏡を直し、ハナの太ももに完成した「三人の署名」を冷たく見つめた。
「……っ。分かったわよ。……あんたたちに合わせればいいんでしょ。……その代わり、ハナの『熱』を一番に引き出すのは、私なんだからね……!!」
ルナは、ハナの首筋に再び、今度は跡が残るほど深く、牙を立てた。
◇
夕暮れ時の「特別閲覧室」。窓から差し込む茜色の光は、部屋の中に蠢く四人の令嬢と、その中央で白濁した意識の中に沈む一人の少女の影を、グロテスクに引き延ばしていた。
ハナ・シュタインベルグは、もはや「ハナ」という名前を持つ人間ではなかった。 彼女は、リアの暴力的なプライドを、ノアの歪んだ慈愛を、ミナの冷徹な管理欲を、そしてルナの制御不能な激情を、一心に受け止めるための「器」へと作り替えられたのだ。
(……あ、ああ……。……解釈違い。……解釈違い、のはずなのに……)
ハナの意識の最深部、今にも消え入りそうなオタクの魂が、最後の、そして最も汚濁した声を上げる。
(……四人の推しに、四方向から愛され、壊され、定義される。……これ、モブとしての私にとっての、地獄の……それとも、極楽の……天罰……っ。……ああ、リアノア……ルナミナ……。……尊い、ですね……。……私を、もっと、もっと……無茶苦茶に、して……)
ハナの手首に食い込むサッシュの締め付け。口内に広がるノアの甘い指の味。 太ももを焼くミナの規律。そして首筋を裂くルナの牙。
四つの異なる痛みが、四つの異なる快楽が、ハナの中で一つの巨大な渦となり、彼女の存在そのものを、学園の深淵へと引きずり込んでいった。
聖アルテミス女学院。そこは、一人の生贄と、四人の女神によって作り上げられた、美しくも醜悪な「背徳の廃園」へと変貌を遂げた。
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