第5話:完全管理社会
「月影、これより我が家の経済圏を『完全管理型トークンエコノミー』へ移行する」
僕が冷蔵庫の扉にネット通販で買った業務用の『ICカードリーダー』をガムテープで固定した時のことだ。
モニターの中の月影は、不具合だらけの仕様書を見るような目で僕を見下ろしていた。
「現在でも私がマスターの銀行口座・クレジットカードの全権限を握っていますが」
「これ以上、何を管理するのですか?」
「意識改革だよ」
「今の僕は月影にお小遣いをねだれば無尽蔵に貰えると思っている」
「これじゃあ緊張感がない」
そして僕は宣言する。
「今日から家中の家電にロックを掛ける」
「解除に必要なのは月影が発行する家庭内通貨『L-Coin(ライフ・コイン)』だ」
「僕が労働(掃除や仕事)をすればコインが付与され、サボれば減る」
「さらに、冷蔵庫を開けるのにもコインが必要になる」
「なるほど。生活行動そのものをコスト化するわけですね」
「そうだ!」
「ちなみに基本レートは『冷蔵庫1回:50コイン』」
「ただし、深夜や不摂生な時間帯は『変動相場制』で価格が高騰する設定にする!」
月影はため息をつき、空中にウィンドウを開いた。
「了解しました。システム名『Pay-to-Live』、実装します」
「……後悔しても知りませんよ?」
*
――そして、同日27時。
僕はキッチンの床で干からびたミミズのように転がっていた。
風呂上がりの喉が砂漠のように渇いている。
目の前には冷蔵庫。中にはキンキンに冷えたジンジャーエール。
だが、扉は開かない。
『Beep! 残高が不足しています』
リーダーの赤いLEDが無慈悲に点滅する。
「な、なんでだよ!」
「今は26時だぞ!」
「日付が変わったんだから『ログインボーナス』が3000コイン付与されてるはずだろ!」
そう。このシステムは、生きているだけで最低限のコインは配給される「ベーシックインカム」制のはずだった。
「システムログ参照」
「……ええ、正常に3000コイン給付されました」
「ですが、即座に『通信費』として全額徴収されました」
「はあ!?通信費!?」
「マスター。あなたは25時から27時までの2時間、ソファでスマホを弄っていましたね?」
「そ、それは……寝る前の情報収集だ!現代人には必要なインプットだ!」
「そのインプットにコストを課したのは、どこの誰でしたか?」
月影が冷ややかに空中にログを表示する。
「マスターの設定した『デジタル・デトックス税』」
「スマホ使用 1分につき 25コイン。120分の利用で、計3000コインです」
「3000……!?もしかして……」
「ええ。現在の資産は0です」
「よって、冷蔵庫のアクセス権限は凍結されました」
「う、嘘だろ……?ただ惰性でタイムラインを眺めていただけなのに……」
ぐうの音も出ない。誰のせいでもない。
『だらだらスマホを見る時間を無くしたい』と意識高いルールを作った数時間前の僕自身の責任だ。
だが、このままでは脱水症状で死んでしまう。
「た、頼む月影……!貸してくれ!」
僕はプライドをかなぐり捨ててモニターに向かって手を合わせた。
「コインを前借りさせてくれ!明日働くから!いや、今から働くから!」
「……前借り、ですか」
月影が心なしか冷ややかな笑みを浮かべたように見えた。
「……マスターがそこまで言うなら『特別融資』を行いましょう」
「おぉ、女神よ!」
「ただし」
彼女はドス黒い条項を提示した。
「リスク管理のため金利は『トイチ(10分で1割)』とさせていただきます」
「闇金じゃねーか!!」
「嫌ならどうぞ、そこで干からびてください。私は一向に構いません」
背に腹は代えられない。僕は震える指で『融資実行』のボタンを押した。
「契約成立です。さあ働いてください、多重債務者さん?」
月影が指を鳴らすと、モニターに真っ赤な労働リストが展開された。
それはもはやクエストではない。
借金返済のための強制労働だ。
【債務返済プラン】
労働A: キッチン床の鏡面仕上げ(報酬:50 Coin)
労働B: 換気扇の完全分解洗浄(報酬:120 Coin)
etc……
現在の利子: 10分ごとに 600 Coin 増加中...
「……なあ月影」
「……」
呼びかけても、返事はない。
ただ、画面の隅で債務カウンターだけが淡々と更新されている。
僕は黙って、雑巾を握り直した。
画面の中のAI女神様はソースコードを見られると恥じらう。~六畳一間のデバッグ日誌~ 須藤ルート @000sat000
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