第5話 僕は、助けを呼んでいない

 最初の異変は、声だった。

 授業中。

 国語の教科書を開いているだけなのに、文字が頭に入ってこない。


 ――読め。

 そんな声が、頭の奥で聞こえた。


(……気のせいだ)

 ユウキは、ぎゅっと鉛筆を握った。

 黒板の文字を書く。


 ノートに写す。

 いつも通り。

 いつも通りのはずなのに。


 ――そこ、読み間違えている。

 今度は、はっきりした。


「……っ」

 小さく息を呑む。

 誰も気づいていない。

 でも、確実に――自分の中から聞こえている声だった。


 昼休み。

 ユウキは、教室を出て、校舎裏へ向かった。

 人のいない場所。


 声の正体を、確かめたかった。

「……出てこないで」

 誰に向けた言葉か、自分でも分からない。


 返事は、すぐに返ってきた。

『それは困る』

 はっきりとした声。

 落ち着いていて、どこか楽しそうな声。


 背中が、冷たくなる。

『君が困る前に、出る。それが一番効率がいい』

「……やだ」

 ユウキは、首を振った。


「出てこないで。

 勝手に……勝手にやらないで」

 胸が苦しくなる。

「僕の人生だ……」

 その言葉に、声は一瞬だけ黙った。


『人生?』

 そして、少しだけ――

 呆れたように笑った。

『君は、その人生で何を選んだ?』

「……っ」

『逃げた。黙った。耐えた。

 それで何が変わった?』

 言い返せない。


 全部、事実だった。

『誤解しないでほしい』

 声は、静かに続ける。


『私は、君を守っているわけじゃない。

 場を最適化しているだけだ』

「……意味、分からない」

『分からなくていい。

 ただ一つだけ覚えておくといい』

 声が、少し近づく。


『私は、呼ばれなくても出る』


 その瞬間。


 世界が、ずれる感覚がした。

 視界が、ほんのわずかに傾く。


「やめ……っ」

 ユウキは、壁に手をついた。

「やめて!

 出てくるな!!」

 必死だった。


 これ以上、自分じゃない何かに

 自分の体を使われるのが、怖かった。


 次の瞬間。

 視界が、はっきりした。

 体の重さが、消える。

 代わりに、妙な――

 確信が満ちてくる。


「ああ……」

 声が、勝手に出た。

 でも、それはもう、ユウキの声じゃなかった。


「拒否されるのは、嫌いじゃない」

 アローンが、そこにいた。


「君はちゃんと、怖がっている。

 それは悪くない」

 ユウキの意識は、深いところへ沈んでいく。

(やめて……)

 声は届かない。


 その頃、職員室。

 担任の机に、一通の封筒が置かれていた。

 差出人不明。

 中には、数枚の紙。

 内容を読んだ担任の顔色が、変わる。


「……これは……」

 そこに書かれていたのは、

裏校舎での出来事の詳細


ゴトウの証言と矛盾する点


「責任の所在」を示す、丁寧すぎる文章

 誰かが、仕組んだ痕跡。


 放課後。

 ユウキは、保健室のベッドで目を覚ました。

「……ここ、どこ」

「無理しないで」

 養護教諭が、優しく言う。


「今日はもう帰ろうね」

 ユウキは、天井を見つめた。

 頭が、重い。


 何かをした気がする。

 でも、やっぱり思い出せない。

 ただ一つだけ。


 胸の奥に、はっきり残っている感覚があった。


 ――あれは、味方じゃない。

 助けてくれるかもしれない。

 でも、それ以上に――

 信用してはいけない存在だ。


 そして、アローンは、心の奥で静かに笑っていた。


『次は、もう少し上手くやろう』

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