空が震えるような - 4

 汗が滲む。

 手を戦いに使うことには、未だ恐れがある。


 身体の支点ヴァルマを指で押すこと。それが破須雷ハシュライという技術の始点であり、全てだ。

 破須雷の使い手にとって、手は命に等しい。


 指に力を漲らせながら、わずかに曲げ、手のひらを上に向ける。

 基本の構えを取った左手は、震えていた。

 覚えている。力を失った時の無力を……恐怖を。



 マリィが不明なる手段での魔法攻撃を決め、俺が蹴りのみの態勢から左手を構えたというのは、一目で分かりやすい戦闘の潮目だったらしい。

 石舞台の下、戦士たちが声を上げている。グェン伯も満足げな表情をしていることだろう。エリーザは不安に思っていても、表情には出さないはずだ。ポピーは……どうだろうか? 俺を案じてくれているだろうか。

『後で少し、話をさせてください』

 不意に、戦いの前の彼女の言葉を思い出した。ポピーからそんなことを言い出すなんて、珍しく、嬉しいことだ。


(……どうせ話ができるなら)

 渦を巻く魔法の気流の中心、二本の槍を構えたマリィを見る。

(堂々勝った後の方が気持ち良いに決まっている)



 先に動いたのは俺だ。

(『弾め』)

 右脚に地を蹴らせ、距離を詰める。せっかく整手で収まりかかった出血が再開し、疾駆に鮮血が伴う。だがこうするしかない。

(この傷じゃ攻撃には使えない……使い潰して速攻する)


 マリィは牽制に片方の槍を突き出しつつ、もう片方の槍を持つ腕を後ろへ振り上げた。投擲が来る。

神技カライ・『結』――『跳ねろ』!)

 右脚を硬化させた上で整手を打ち、動かす。投げられた槍を蹴り弾いた。さっきと違うのは、弾いた槍が空中で方向転換し、再びこちらへ向かってくることだ。

(風の魔法で投げた槍を制御している……『耐えろ』!)


 右手で支点ヴァルマを押して硬化、止血した右脚を軸に、左脚でマリィへ蹴りを入れる。槍で受け止められるが、想定の内。

(『釣れ』!)

 左脚を槍に引っかけ、後方に振り抜く。こうするとマリィは、腕を俺に引き寄せられ態勢を崩すか、槍を手放すかのどちらかだが……


「小細工を……!」

 マリィはもちろん、槍を手放す方を選んだ。魔法で手元に戻せるからだ。

(読み通り――神技カライ・『三日月』)

 振り上げた左脚の軌道を反転。即座に踵落としを食らわせる。マリィの反応は早い。紙一重で避けられる。

 唸るような風音。先ほど弾いた槍も、後ろに釣り飛ばした槍も、俺に向けられているだろう。

 構うものか。決着はその前に着く。



 振り下ろした左脚が石舞台を強く踏む。右脚は負傷した状態で酷使したせいで感覚がなく、転倒を防ぐ支えに成り下がっている。もはや蹴りは届かない。

 だが手は届く。

「……!」

 マリィが目を見開き、両腕で身体を庇った。当然そうするだろう。彼女が人外であることに疑いはないが、その動きは人間そのものだ。

 命脈プラーナもである。


壊手アディ。『弾けろ』)


 左手がマリィの腕を突く。その瞬間、彼女の両腕が開かれる。無防備に、俺を受け入れるように。

「な……」

 そして俺にはもう一つ手がある。


(壊手――『迷え』)


 下顎。

 直上に向け衝撃するように右手を捻じ込む。ただの拳でも痛打となるが、壊手アディ――整手ヴァイディヤの逆、命脈プラーナへの干渉により悪影響を及ぼす技であれば、なお効きが良い。



 辺りに吹いていた風が乱れ散る。2本の槍が宙から石舞台へ落ち、硬い音を立てた。

「ぐくうぅっ……!?」

 マリィはふらつき、後じさる。転びかけ、片手で自分の身体を支える。

「何……です、これは。気持ちが悪い……気持ち悪い!!」

 下顎への壊手アディにてもたらすのは方向感覚の失調。魔法の発動原理はよくわからないが、風を介して槍を操るという行いは、前後左右の感覚なくして成立しないだろう。


(こんな技、命脈プラーナの流れが異なる彼女に本来は通じないんだが……)

 整手ヴァイディヤで右脚の痛みを抑えつつ、悶える彼女を見る。

(人間の形に収まって、俺の前で動きすぎたな)



   *   *



 右脚の回復を待って放ったとどめの蹴りを、彼女は寸前で躱した。

 体の内側をのたうつ命脈プラーナが見える。もし普通の人間でそれが見えたら、数秒後の内部からの破裂に身構えなければならないだろう。



「タスク・ムライィ……!!」


 憤慨の眼。俺の名を憎々しげに呼ぶ声はガラガラと濁っている。よく見れば少女らしい顔つきもどこか崩れかかっているようだ。

「よくも私に無様を晒させえ……!」

「……だったらどうする? ここから反撃できるのか?」

「吠えましたね! 荒れた猿山で一旗揚げたからと良い気になって。だったら見せてやりますよ。空を震わすこの私、マリーチの真の――」


 射出音。

 一歩後退すると、俺の足元に短い矢が突き刺さった。どこから来たものか、確かめるまでもない。


「ヴィルナム・クルムヴァルダー!」

 グェン伯が、クロスボウを構えたヴィルナムへ向け荒々しく声を上げた。

「本決闘は懐剣バゼラードのみを用いたものとする……第二のルールに触れたな。弁明はあるか!」

「いや? ない。俺は反則を犯した。己の不足を恥じ入るばかりだ」


 クロスボウを下ろすと、やれやれと首を振った。

「実を言うと、俺は流血沙汰が苦手でね。あの悪竜をも踏み殺したそちらのバゼラードが、うちのマリィにどんな報復をするかと思うと恐ろしくて……」

「ヴィルナム! あたしまだやれる!」

「バカが。もうやるなつってんだ!」



 試合を見ていた戦士たちのどよめきに、野次が混ざり始める。マリィも俺もまだ戦意を失っていなかった所に予想外の野暮が入り、期待を裏切られたからだろう。

 グェンはやれやれと首を振ると、俺とマリィの間に割って入り、俺の手を取り上へと挙げた。

「グェン・ミネドラ・リーガサが、決着を宣言する! 勝者、代理人タスク・ムライ・ヴリトラハン! あんたたち、祝福しな!!」


 彼女がそう大声を上げると、困惑や野次を吹き飛ばす勢いで野太い歓声が上がった。憤懣やるかたない様子でヴィルナムの元へ戻るマリィを見送ると、グェンは俺の肩を力強く叩く。

「よくやった! 北の英雄、悪竜殺しヴリトラハンの名に恥じない戦いぶりだったよ。リーガサで道場でも開かないか?」

「ありがとうございます。ただ、今の俺はバゼラードですので」

「まったく惜しいね。ならば主の鞘に戻ると良い。……あんたたち! 盛り上げが足りないんじゃないのか!?」



 盛り上がる喝采へ軽く手を振り、エリーザたちの元へ戻る。安堵の表情で俺を迎えるエリーザに対し、ポピーは舞台下から思わしげな顔をしていた。

「お疲れ様、タスク。脚は大丈夫なの?」

「痛みと失血は止められてます。あとは治療さえ貰えれば、まあなんとか」

 エリーザが手を貸してくれたが、それには及ばない。舞台から降りると、ポピーが寄ってくる。

「回復術士は呼んでいます。もう少し待っていてください……止血だけでもしますので」

「いや、大丈……」


 俺の言葉など聞きもせず、彼女は椅子に俺を座らせる。既に外していたエプロンを俺の右脚に巻くと、痛いくらいに締め付けてきた。

「痛っづづ……一体何を」

「止血するって言いませんでしたか?」

「俺も大丈夫だって言っただろう! 整手ヴァイディヤで血の流れは止めてある……!」

「……そのヴァーとかなんとかいうの、私はよく分かっていないので。私なりのやり方でやらせてもらいます」


 ポピーが針を取り出し、喉の奥で何か唱える。すると、糸と化した針はエプロンに巻き付き、さらにに締め上げてきた。

「痛だだだ! 治療ッなのか!? これが……!」

「血を徹底的に止めるんです。血液が出れば出るほど死に近付くので」

「だから血は止めてるって……!」

「次の瞬間に、そのヴァーの効果が途切れて血が噴き出してくる……ということがない確信を、私は持てていませんから」


「私はタスクを信用しているけど……」

 俺とポピーのやりとりを見て、エリーザは微笑んでいた。

「万が一があってはいけないものね。大丈夫、ポピーの腕は確かよ」

「……知っていますよ」

「そうなの?」



 ほどなく、ポピーの言っていた通り、回復魔法の使い手がやってくる。厳重に締め付けられたエプロンはするりと外されて、術士が傷に手を当てると、みるみる内に傷は塞がっていった。

 しばらくは安静にとか、痺れが残るようなら改めて教会にとか、そういった術士の注意を聞き流しつつ、俺はポピーの姿を眺める。


 ほとんど止まっていたとはいえ、圧迫したことで漏れ出た血により、汚れたエプロン。

 それを畳んで腕にかけ、改めてこちらにやってきたグェンと話すエリーザの後ろに、すました顔で控えている。

 当然のように俺を治療し、決して俺へ何かを求めることはない。


(ああ、やっぱり)

 後ろ手で、左手首の紐飾りモーリーに触れる。

(君はちっとも変わっていないんだな)

 見ずとも分かる、飾りに編み込まれた金の糸に指を添える。それは冷たくも温かくもなく、なのにどうにも心地良かった。

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2026年1月12日 18:00
2026年1月13日 18:00
2026年1月14日 18:00

公女と薔薇とバゼラード 浴川九馬馴染 @9ma

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