空が震えるような - 3

「エリーザ様……!」


 ポピーは悲鳴を上げ、席を立つエリーザの腕を掴んだ。


「いけません! 決闘なんて。エリーザ様の身に何かあったら、私……!」

「いいのよ、ポピー」

「良くありません! なんにもよくありません、エリーザ様!」


「大丈夫。信じて」

 エリーザはポピーの頭を撫でる。

「私の考えた通りに進んでいるから」

「ヴィルナムとの決闘が……ですか?」

「そうよ。……タスク」


 エリーザはその遙かな瞳を、俺に向けてくる。

「準備をしておいて。あなたが頼りよ」



 石舞台の上に、エリーザが上がる。

 対称となる地点に、ヴィルナム・クルムヴァルダーが立っていた。ウールのコートと帽子を身につけ、クロスボウを担いでいる。

 不服げな表情をしているのは、"狩り初め"のために準備した兵力が無駄になったからだろうか。


『エリーザ様』『エリーザ様』『やめて』『傷付かないで』

 ポピーは切実な表情でエリーザの背中を見つめていた。喉唱による無音の独り言は、いつも以上に途切れ途切れで逼迫している。


 石舞台を囲む戦士たちは、歓声を上げていた。

 だがそれは最初だけだ。片や武装した青年、片や武器もないドレスの少女である。熱気のさなか、勝負が成立するのかという困惑が芽生えつつある……


(なるほど)

 ようやく理解した。"勝負が成立するのか"だ。リーガサの戦士たちは、結果の見えている蹂躙を勝負とは思わないらしい。

(慣例となっている"狩り初め"では勝負が成立しない。エリーザが戦力を連れてきていないからだ。グェンがそれを知れば、支持先は別の手段で決めるだろうと、エリーザは見越していた……)


 ならば、この決闘では勝負が成立するのだろうか?

 エリーザとヴィルナムが本当に戦えば、勝つのはヴィルナムだ。エリーザに戦う力はない。

 だが、そもそもこの決闘を組んだグェンは勝負が成立すると思っている。そうでなければ、祭りの場で誰もが見る大舞台での決闘などさせまい。

 エリーザとヴィルナムの間で決闘が成立するとすれば、それは……



「グェン伯爵」

 どよめきが大きくなる中、エリーザは不意に声を上げた。

「武器を持ち込んでもよろしいでしょうか?」

「もちろん! 何を使う?」


懐剣バゼラード。タスク・ムライ・ヴリトラハン」



 石舞台へ上がる。

 一歩退くエリーザ。代わりに俺が前へ出て、ヴィルナムと見合う。戦士たちのざわめきは、一転して歓声へと変わる。


『……浅ましい女め』

 ヴィルナムが苛立たしげに呟いたのが、命脈プラーナを通じて見て取れた。そして彼も、声を張り上げる。

「ならばこちらも懐剣バゼラードを抜く。良いな!」

「構わないさ! かの悪竜殺しヴリトラハンに対する剣の銘はなんという?」

袖札インスリーヴ無形の切札ノースート、マリィ!」



 向こう側の来賓席から、銀色のシルエットが石舞台へと飛び込んできた。

 長い銀髪の少女。質素なワンピースを身につけ、両手に短槍を一本ずつ構えている。あの夜にエリーザを狙ってきた少女だ。

(……何だ?)

 俺は思わず目を細める。命脈プラーナの流れが異常だ。少なくとも、普通の人間とはまるで違う……


「分かっていらっしゃったんですか?」

 ポピーが小声でエリーザに囁きかける。責めるような声音。

「それなら言ってくだされば……!」

「ごめんなさい。実際、どう転ぶか分からなかったから……タスク、彼女はどう?」

「あの夜襲ってきた相手ですよね。妙です。人間の筋肉と骨格があるようには見えますが……何かが根本的に違う」

「やっぱりそうなの。勝てる?」

「さあ……ただ、あちらとしては不本意な勝負のようです」


 石舞台の反対側では、ヴィルナムがマリィへ何か耳打ちしていた。

「……『本気を出すことはない』『奥の手は使うな』……か? 勝利よりも優先する秘密がある……そういうことを話しています」

「あら。聞こえるの?」

「見えるだけです。喉が動いていれば、命脈プラーナを通じて何を喋ってるかはなんとなく分かるので」


 両手を握り、開いて、腰へと押し当てる。

 腰部は脚の筋肉に作用する支点ヴァルマの密集帯。どう押せばどう働くか、完全に理解している。

 ゆえにこれが、今の俺の最善の戦闘態勢。


「……タスクさん」

 ポピーが胸の詰まるような声で俺の名を呼んだ。

「何か?」

「…………いいえ。後で少し、話をさせてください」


 少しだけ彼女に目線を向ける。何か躊躇いがちに目を伏せた顔。そんな表情でそんなことを俺に言ってくるのは初めてのことだった。

 これで眼前に戦うべき相手がいなければ、もう少し気持ちも浮ついたのかもしれないが。


(勝った後の楽しみが増えた、と思っておこう)

 リーガサの戦士たちの熱い声援の中、石舞台の中央へ歩き出す。



   *   *



「客人のために簡単なルールだけ定めよう。第一に、決闘参加者はヴィルナム、エルジェリーザ両名だ。どちらかが敗北を宣言することで勝負は決する!」


 俺とマリィは緩やかな速度で、互いにまっすぐに接近していた。


「第二。本決闘は懐剣バゼラードのみを用いたものとし、決闘参加の両名はそれによらない戦闘行動を禁ずる!」


 腕ほどの長さの短槍を両手に携え、やや前傾に歩いてくる。背丈はポピーと同じか、少し高いくらい。痩躯。


「第三! 生死は不問! 加減は無用だ。リーガサの祭りで死者の一人も出ないようではつまらん!」


 とっておきに野蛮なルールが宣告されると同時、俺とマリィは速度を上げて互いに肉薄した。

 突くでなく、横薙ぎに振るわれる槍。速度を上げた脚で迎撃する。逆側から突き。これは回避。踏み込んで手に蹴りを浴びせるが、槍を手元に引き寄せ柄で受けてくる。

 そのまま幾度か蹴りと槍の応酬を繰り広げる。攻め、守り、守り、攻める。こうして打ち合う限り、あちらに壮絶な戦闘技術があるようには思えない。が……


(……やりづらい!)

 凡庸な動きに対し、命脈プラーナの動きがめちゃくちゃだ。間違いなく人間ではない何かなのに、外面の動きがあまりにも人間過ぎて薄気味が悪い。

(何かが人間を装っているのは間違いない。だが、何だ? ……いや、余計なことは考えるな。異常であっても、パターンは読める……!)



「様子見ですか? 蹴りばかりなのは話に聞いた通りですが」

 低い声でマリィは呟く。息一つ乱れていない……のは、こちらも同じだが。

「その目、何かを見ようとしていますね。気に入らない……不躾なものです。荒れ地の英雄が」

「……何者だ? 君。人間でないことだけは分かってるぞ」

「バゼラードです。ヴィルナムの懐剣バゼラード!」


 大きく槍を振るい、後方へ跳んで距離を取ってくるマリィ。踏み込む俺に向け、槍を投擲してくる。予備動作が大きい。問題なく回避でき……違う!

(避ければエリーザに当たる軌道! 神技カライ・『結』!)

 刹那の判断で脚を硬化し、投擲された槍を正面から蹴り返す。少しでも遅れていたら脚が串刺しにされていた所だ。甲高い音を立てて槍は吹き飛び、マリィのはるか背後へ突き刺さる。


「チッ」

「主と揃いの性悪だな……!」


 とはいえ、相手の武器が二本だったのが一本になったとなれば、これは攻めるチャンスだ。身を沈めながら一息に肉薄。蹴りを放てば、両手で槍を持ち直し、受けようとしてくる。

 読み通りだ。俺は腰の一点に指を深く沈める。

神技カライ・『三日月』――!)

「……うっ!?」

 靴の爪先がマリィの身体に突き刺さる。彼女から見たら、直線の攻撃軌道が、防御に構えた槍をすり抜けたように見えただろう。

 神技カライ・『三日月』。勢いを全く殺さず、蹴りの軌道を変更する。小技だが、ある程度打ち合った後だとこういうのが効く。



 たたらを踏むマリィ。攻撃を緩める理由はない。距離を詰め、蹴りを放つ。一度はなんとか槍で受けて見せたが、その一度で大きくバランスを崩し、さらに隙を晒す。振り抜く踵で、肋を打撃する。

「ぐっ……!!」

 後方へ免れ、憤る目で俺を見てくるマリィ。大勢は決まったが、油断はならない。相手が何をしてくるか、分かったものではない。

(……何だ?)

 案の定、マリィの体内の命脈プラーナが妙な動きを見せてくる。渦を巻いて、背中辺りに力が集中しているように見える……生憎なのは、それが分かった所で何が起きているかはさっぱり分からないことだ。


 槍を両手持ちし、再び突き込んでくるマリィ。俺は身を揺らして躱し、攻撃を加える機会を待つ。

(単純な攻撃だが、命脈プラーナの妙な動きは変わらない。何を仕掛けてくるか……)


 風が吹く。

 ヴン、と音がして、視界の端で何かが閃いた。


「タスク!!」


 エリーザの悲鳴と同時、どこかから飛来した槍が俺の右腿を突き刺さる。

「がッ……!!」

 衝撃で数歩退く。激痛。だがマリィは攻撃の手を止めない。手にしている槍を俺へ振り下ろしてくる。

 逡巡は刹那。俺は左手を腰から離し、槍頭のすぐ下を掴んで止めた。



「……何だ。手も使えるんじゃないですか」

 マリィは無感動に言って、空いていた片手を振るう。すると、俺に刺さっていた槍が鮮血を散らして抜け、一陣の風と共に彼女の手に収まった。

整手ヴァイディヤ、『耐えろ』……!)

 苦痛と流血により脱力しかける右脚を、右手による整手で押しとどめる……現状維持ばかりに意識を割いている場合ではない。考える。

(俺の脚に刺さった槍は、さっき蹴り返したマリィの槍。後方からなぜか飛んできて、今も自然にマリィの手に……魔法か? だが、詠唱の様子は)


 俺は再びマリィの命脈プラーナを見る。背中辺りの妙な動きに、見覚えがあった。

(ポピー)

 喉だけを動かして、音もなく言葉を発する……詠唱する技術。


(つまり、こいつは)

 澄ましたマリィの顔を睨みながら、俺は知れず、笑ってしまう。

(……背中に喉があって、そこで呪文を詠唱して、武器を振り回しながらでも魔法を使えるってことか?)



「笑う余裕があるなら何よりです」

 マリィの声は冷ややかだ。

「この機会に、ヴィルナムが私という優秀な懐剣バゼラードを持っていることを知ってもらいたいんですよ」

「……確かにそれには良い舞台だな。観客も多いことだ」


 彼女は再び両手の槍を構えた。同時、背中の喉で詠唱を続けている。

「最終的にあんたは殺しますが、どうぞ耐えてください」


「良いだろう」

 右脚に空いた穴を、右手で押さえる。流血は整手ヴァイディヤで止められる。最低限動くことはできるだろう。

 使えるのは左脚と――左手。

「不本意だが、俺も"手"を出すとしよう」

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