純白の影 - 5
『ヴィルナムは、
階段を一息で跳び越しながら、エリーザの言葉を思い出す。
『正規戦力とは異なる、選りすぐりの私兵。あの夜襲ってきたうち、マリィという少女については分からないけど……アルジオについては私も知っていました』
曰く、彼はヴィルナムの第一の腹心であるという。
『目を介して人の心を見抜ける私や、
決して表立った存在ではないが、大小様々の後ろ暗い任務を任され、その多くを達成してきた。
『ヴィルナムが与えた名は――
狭く埃っぽい点検階段を登り、薄暗い屋根裏へ。足元からエリーザの奏でるハープの音が聞こえてくる。
(『縮め』)
シャンデリアを屋根裏から吊るす太い鎖は、中央にすぐ見つけられた。鎖は頭上の滑車に伸び、そこから使用人室の方角へと続く――
身体を横に向ける。
先ほどまで心臓があった空間を、飛来した短剣が通り過ぎた。
「ワンパターンだな」
「気付くかよ、英雄殿!」
梁に足をかけ、ナイフを投げてきた男……アルジオの方を見る。
(7.7メートル。剣は右。『弾め』!)
ここから再び、跳躍のために脚を縮めて……
その時、アルジオの懐から再び刃が閃いた。
「見えてんだ!」
再び、短剣の投擲だ。良い腕をしている。この局面でも、当てずっぽうではなく正確に俺の身体、頭から胴にかけてを狙っている。
だから読みやすい。
「……!」
「見えているのはお互い様だな」
左足で柱を掴んだまま、身体を起こしつつ右足を振り上げ、飛んできた短剣の柄を蹴り上げる。短剣は上に飛び、突き刺さった屋根板を震わせた。埃が膜のように降ってくる。
「どんな動きだキモいな……!」
一歩引きつつ剣を構えるアルジオへ、跳躍。
「足音を立てるな。演奏中だ」
剣を持つ腕へ、回し蹴りを浴びせる。普段の勢いであれば武器を落とせたが、足を小さくしていたせいで、威力が劣る。反動で跳び、梁へ着地。
「身体を強化する妙な技を使うとは聞いていたが、なんだその足は。形まで変えられるのか?」
剣の切っ先をこちらに向けて、彼は引きつった笑いを浮かべていた。
「お前たちの理屈に合わせるなら、身体の強化は筋力の強化。つまり筋肉を操作する技術だ。その応用で形状を変化させるのがそんなに不思議か?」
「デタラメを!」
剣を構え踏み込んでくるアルジオ。また足音を立てやがって。
(
整手は所詮、
そんなのは、
腰へ指を深く沈める。
(
振り下ろされた剣の刃を、裸足の蹴りで迎え撃つ。ギキン、という硬質な音。
「なっ……」
小さくなった足の人差し指と中指の間で、剣を受け止めた。
もちろん、傷一つついていない。
そのまま剣に足を滑らせる。アルジオは腰を引いた。
(
足首を高速でひねり、足で掴んだ剣をアルジオの手元から奪った。そのまま遠くへ放り捨てる。
剣が床を滑り、埃が舞った。静寂。足元からハープの音だけが聞こえてくる。
「この前の『釣り』だったら対応できたのか? お前の
一度受けた技を見切り、無効化に近い最善の対応を取ることができる。
それがアルジオの
「……知られてたか。女狐め」
「俺も、そんな力を持っているやつと何度も戦いたくない。自分の技がいくつあるかなんて数えたことはないが、無限ではないだろうしな」
「殺すのか? 英雄殿」
「許可はある」
「裸足の蹴りでやれるのかよ」
「擦り傷一つあれば充分だ。俺は悪竜だって踏み殺した男だぞ」
「その技は……ちょっと
アルジオが笑う。
「今日の所は遠慮しよう」
「お前に明日はないという話をしてるんだがな」
「いいや、あるさ」
背後から足音。振り返る。扉の前に、離宮に仕えるメイドが立っていた。
(……何だ?)
「タスク様! アルブレヒト様に言われて来ました。彼が犯人ですか!?」
「そうです。下がっていてください」
「いえ! 援護します……!」
そう言って、彼女は懐から青い宝石の嵌った鎖を取り出し、こちらへかざしてくる。微かな魔力光。
(まずい)
直感した。そしてその瞬間には、もう遅かった。
「待っ……!」
「『氷礫よ』『繋がり』『留めよ』『磔刑する腕錠』!」
中空に氷の破片が現れる。次々に現れたそれらは、一列に繋がりながら――俺の脚へ。両足を床へと凍り付かせる。
「……えっ!?」
名も知らぬメイドの動揺する声。足を封じられた俺を尻目に、アルジオは飛び退いて剣を拾う。
(アルジオ
発動する魔術をある程度理解していれば、その狙いを変えることができる。
戦士の技を解析して殺し、魔法使いの術を改竄して殺す。故に
状況は一転した。俺の足元は氷漬けにされ、すぐそばには剣を持ったアルジオ。後方には魔法を弄られ動揺するメイド。奴がその気なら、今度こそ剣の刃は俺に及ぶ。
(使うか!? 手を……!!)
わけあって手を使った打撃は自制しているが、かくなれば四の五の言ってもいられない。俺は拳を握り固める。
だが、アルジオは唇の片方だけを吊り上げて笑い、俺からさらに距離を取る。
「残念だな。俺たちは盤上の駒。勝負を決するのはいつだって指し手なんだよ」
傍らにはシャンデリアを吊るす太い鎖。手にした剣の刃が光る。
「誰かあのメイドをここに呼んだと思う? ……勝つのはヴィルナムだ。英雄殿。覆せない差を知るといい」
剣が振るわれる。
ガキン、という音を立てて、鎖の輪の一つから鉄片が弾けるのが見えた。シャンデリアという重量物を支える鎖に入った傷は、自重で軋んで開いていく。
アルジオが退避する。俺は足元の氷を内側から蹴り壊し、駆ける。逃げるアルジオと、切れつつある鎖。どちらを優先するべきかなんて、考えるまでもない。
(『固めろ』!)
「きゃああ……っ!」
メイドの悲鳴を背に、自身の腕の付け根へ
「ぐうぅうおおおっっ……!!」
鎖の軋みが止まった。甚大な荷重に、腕にも肩にも引き裂けそうな痛みが走る。整手で肉体を強化しようと、耐えがたい重量。だが手放すわけにはいかない。
足元から、まだエリーザのハープの音が聞こえてくる。
「わ、私どうしたら……」
「人を呼んできてくれ! 鎖直せそうな人!」
「わっ分かりませんそんな人! でも誰か呼んできます!」
そりゃそうかと苦笑する。メイドは走り去り、アルジオの気配はもうなく、俺は屋根裏の暗闇で一人、シャンデリアを支えている。
足元の演奏が止み、上品な拍手と歓声が聞こえてきた。
* *
王前
エルジェリーザ・ムヌメル・クルムヴァルダーは
一方で、次期オリツァシウ公爵……未来の女主人としての存在感も発揮した。パーティにおいては多くの人と関わり、談笑し、その心を掴んでいった。
彼女の後見人もまた、貴族たちの中では大いに権威を得られることだろう。
成功である。
にも関わらず、ニコルス・ファーケイ伯爵は渋い表情を浮かべて、オーカー宮応接室でワインを飲んでいる。その裏で起こったことを知っているからだ。
ドアがノックされる。
「お客様です」
「構わん。入れろ」
廊下からアルブレヒトが扉を開き、客人が姿を現す。
「祝賀会、無事に終わったようで何より」
客人はまったく遠慮無く応接室に歩み入り、ニコルスの正面のソファにどっかりと座り込んだ。
「何事かはあったようだがな。犯人は捕まりましたか?」
ニコルスは眉をひそめる。少し背の低い、颯爽とした青年。丈の長いウールのコートは、ニコルスの目には流行に浮ついたデザインに見えた。
「……もし本当に捕まっていたら、その引き渡しを交渉するつもりだったか?」
「現実でない、想像の話はさっぱりだ。交渉、に来たのは確かだが」
「よくも堂々と私の前に顔を出せるな――ヴィルナム・クルムヴァルダー子爵」
客人――ヴィルナムは涼しい顔をして足を組む。
「長居はしない。ワインを一口いただいたら帰るさ……それともここで俺を捕えて、王国司法に訴え出るかね? 証人物証なしの丸腰で。国に泣きつくか? 誇り高き《金海伯》!」
「……自分で注げ」
「ご許可いただき感謝」
空いたワイングラスに、赤い液体が注がれる。ヴィルナムはグラスを揺らし、鼻先に近付けた。
「アークターサ家の398年。
「領外のものを飲む貴重な機会だからな」
「なるほど」
グラスを傾け、無遠慮に飲み下すヴィルナム。喉を鳴らし、間髪を入れず言った。
「あんたが支持してくれるとは思っちゃいない」
「…………」
「ニコルス殿、あんたは
「ならば何故来た?」
「
「だとしても、伝統を軽視するお前にチップをやる道理はない」
「エルジェリーザがヘマをしなければだ。分かっているだろ? 彼女は完全じゃない」
ニコルスは黙る。
舞踏会を平和裏に終わらせるために、エルジェリーザのバゼラードは力を尽くした。
だが、最善な結果ではない。あの場における最善の選択は、何よりも犯人を捕えることだった。
(シャンデリアを支えることは、居合わせたメイドの氷魔法でも可能だったかもしれない。よしんばシャンデリアが落ちたとしても、事情を知る者が避難を促せた……)
もちろんそうなれば、舞踏会はぶち壊しだ。負傷者も出るだろう。
しかし、犯人が明白であれば罪をそちらに押し付けられる。ニコルスの権威に少々の傷は付いても、ヴィルナムを追い落とすことができた。
大局で見れば、エルジェリーザは勝利を掴み損なったのだ。――もっとも、そういった事態にそなえてこのヴィルナムは元よりニコルスへ面会の約束を取っていたのだろうが。
「常に完全なる者などいない。あの妾腹も、俺も、あんたも。だったら血迷った末に、俺に賭けたくなることもあるだろう」
コートの懐から紙束をテーブルに放り出すヴィルナム。
「これは?」
「口実」
ニコルスはその紙束に目を通す。ファーケイ領防衛強化計画と銘打たれたそれは、ニコルスへの軍事力支援と、それにより領内に潜在する問題――野盗による農地被害や、魔物による開墾の遅れなどを解決する、綿密な計画が記されていた。
「いずれエルジェリーザは転ぶさ」
ヴィルナムはグラスを置き、ソファを立つ。
「そうなったら、あんたはそいつを理由に俺の手を取ってくれ」
「……私は彼女を支えるぞ」
「分かってるよ。だが、他の貴族はどうかな?」
退出の気配を察し、アルブレヒトがドアを開いた。
「どうかタイミングを見逃してくれるなよ。俺はいつでも歓迎するぜ」
廊下の手前、ヴィルナムはニコルスを振り返り、得意げに笑う。
「得意なんだよな。友達を作るのはさ」
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