純白の影 - 4

 伯爵肝煎りの楽団が、優美な旋律を奏でている。


 舞踏会の一曲目。スローテンポの宮廷ワルツは、ベレーブック王国の建国100年目の記念に作られたもので、王国貴族であれば誰もが親しむ一曲だ。私に母様に最初に教えられたダンス。

 オーカー宮メインホールの中心で、ライモント子爵の手を取り、私はそんな慣れきったステップを踏んでいる(祝賀会のパートナーは、舞踏会の最初の一曲の相手を務める決まりだ)。子爵のダンスも当然完璧だから、私はもはや気楽に散歩するような心地だった。



「もう少し私に任せてくれても大丈夫だよ」

 ライモント子爵がそっと囁く。

「筋の通ったダンスで、私としては楽だけどね」

「子爵こそ、合わせ慣れていらっしゃるのでしょう? とても踊りやすいですもの」

「嬉しいことを言ってくれるね。最後までぼろを出さずに済めば良いけれど」


 穏やかに踊り、言葉を交わしながらも、私の目が休むことはない。周りで踊る者の中に、妨害か何かを企図している者がいないか、注意を払い続ける。


「あのバゼラードとこういったことは?」

 子爵がそんなことを尋ねてきたので、ちらりと彼へ目を戻す。依然、その眼に下卑た気配や何かを探るような色はない――ただの雑談。

「あまりいたしませんわ。どうして?」

「噂の、焦げた肌の彼がこちらを見ていたから、ふと気になって」

「彼は護衛としては頼れますけど、王国の文化にはまだ疎いので」

「良い練習相手になりそうだけどね。体格も良い」

「今の彼と踊ったら、きっと最初のターンで足を絡めて転んで、怪我をしまいます」

「それでは護衛失格だな」


 笑い合いながら、大きくスピンターン。白いドレスの裾を円く美しく翻す。この曲においては、これがもっとも重要な決め所。もちろん私は何の問題もなくこなすことができる。


「彼の隣に、青いドレスの娘がいませんか?」

「ん? ……ああ、いるね。小柄な子だ。黒い髪の」

「その子なんです。私の良い練習相手は」

 喋りながら、自分の声が嬉しさに浮ついているのを自覚する。

「ダンスと、あと演奏なんかも、普段の練習によく付き合ってもらています」

「へえ。演奏と言うと、今日聞かせてもらえるというハープの?」

「ええ……なんだかお恥ずかしいです。演奏家の方に比べれば拙いものなので」

「ファーケイ伯は厳しいお方だ。この場で演奏を許されるということは、そう謙遜するような腕ではないということだよ」

「でしたら良いのですけど」



 シャンデリアの火が煌煌と揺れる下、エルジェリーザ・ムヌメル・クルムヴァルダーは踊り続ける。

 私はこの光の中心で、人々の眼を見ながら、完璧に振る舞うだけで良い――



   *   *



 結局、この離宮の"乱れ"がもたらしただろう妨害というのは、小さく細かいものばかりで、それらは徹底的な精査の上で取り除かれたらしい。

『しきたりに関する綿密なチェックということであれば、アルブレヒト殿の独壇場ですから』

 ポピーがそう評していた通り、アルブレヒトさんは八面六臂の働きで、離宮内に生じたあらゆる問題を隅々まで拾い上げ、解決していった。


 たとえば参列者の席次。仲が悪い貴族同士は遠くに配置する。内向的な貴族は知り合いの貴族の近くに案内する。

 たとえば飲食。甲殻類を口にできない貴族というのがいるので、そういったものをソースなど目に見えない形で使わないようにする。

 たとえば装飾。テーブルへ花を飾る際は、流行りの花(花に流行があるらしい!)も取り入れつつ、伝統の花より目立たないように。

 そういった、舞踏会の空気を守るための細かい手回しが、様々に攪乱されていたのだ。


 俺にはピンと来なかったが、もっとも悪意があったのは譜面のすり替えだったという。舞踏会の最初の曲の、盛り上がり部分で演奏が不協和音になるように、一部の楽団員の楽譜がすり替えられていた。

『気付けて本当に良かったです。舞踏会の一曲目からそんな粗相があったら、パーティの雰囲気は最悪ですから……』

 これにはポピーも深く安堵しつつ、手引きした者への怒りを隠していなかった。アルブレヒトさんも深く頷いていたので、よほどの大問題だったのだろう。



 ダンスが三曲目に入った今も、アルブレヒトさんは取り残した妨害がないか、総力を挙げて精査しているところだ。

 もちろん俺はそういった調査には何の役にも立てないし、ポピーも主宰側のアルブレヒトさんに任せるということで、俺たちはホールの壁際に二人並び、エリーザが何事もなく会を終えられるよう、その様子をつぶさに観察していた。


 ……いや。つぶさに観察していた、と言い切れるのはポピーの方だけだ。

 俺はと言えばどうしても、ドレスの彼女の方をしばしば気にしてしまっていた――護衛として望ましくないことは重々承知だ。

 しかし、ずっと想いを寄せていた相手がいきなりドレス姿になどなってしまったら、そちらに意識が引っ張られるのは当然ではないだろうか?

(どうせ何か不測の事態があっても、俺なら後から対応できる……エリーザまで20m程度。1秒だ)



 ポピーの隣に長時間立って、初めて分かったこともあった。

『あの家のお嬢様は』『去年成人のはず』『ご子息がエスコート役?』

 彼女は、結構喋る。

 喉唱こうしょうというのは、喉だけで発声しその音を口の中に留める、魔法詠唱のための技術だ。喉の形状で適性が決まり、大半の人は取得すらできない。

 ポピーは魔法を行使する時以外にも、無音の独り言として喉唱をかなり多用している。もちろん音は少しも漏れていないが、俺は命脈プラーナを介して喉の動きを見て、内容を理解することができた(見る、と言ってもその情報量は視覚よりもはるかに多く、内容を読み取ることは目で唇を読むよりも圧倒的に簡単だ)。


『商家の娘』『どの家の繋がり?』『料理が少ない』『エリーザ様に』『近付くな』

 いつもすました表情で、必要なこと以外は喋らない物静かな彼女。

 だがこの無音の独り言は存外に多弁で、まっすぐに感情が表れる。

『声が大きい』『あの騎士』『あっちに行け』『エリーザ様』『お美しい』

 俺に対していつも厳しいポピーの内心を知れるのは、素直に嬉しい。

 だがある意味、これは盗み聞きのようなものである。どこかで取りやめるべきだ。それに、彼女の喉唱を俺が目で読めるという事実の方が有用だろう。

『よかった』『私があそこに』『いられれば』『綺麗です』『エリーザ様』『完璧で』


(エリーザのこと、本当に良く見てるんだな)

 その横顔は真面目そのものだが、独り言の内容は反射的でとめどない。

(この国の主従は熱心だ。歴史ある国というのはそういうものなんだろうか)



 不意に、人波が揺れる。

 演奏の合間、参加者たちが談笑しているタイミングのことだった。ホール横の扉が開いて、何か大きなものが搬入されようとしている。


「あれは?」

 俺が問うと、ポピーはすぐ無音の独り言を止め、答える。

「ハープです。エリーザ様がお得意な楽器ですよ」

「俺の背丈より大きい……演奏するのか?」

「ええ。舞踏会半ば、主賓プリマが一曲披露するのは定番です。過去には小型のオルガンが持ち込まれたこともあります」

「……オルガンならあっちにあるじゃないか」


 楽団のいる壁の方を指すと、ポピーは首を横に振った。

「主賓の演奏はホール中央でするのが習わしです。それなら代演もできませんしね」

「なるほど。……過去に代わりを立てて乗り切ろうとした主賓がいたんだな?」

「そういうことです。演奏できないならできないで、飛ばす作法がありますのに」


 今日一日で、伝統派と呼ばれる人々が大事にする風習について何となく理解できてきた。

 つまるところ、彼らは全員に正しい存在であってほしいのだ。そのために、それに従えば正しくあれる小さなルールをいくつも作る。そしてそれらが積み重なった結果、複雑怪奇に入り組んだしきたりというものが完成した。


(マナー表の最初の一行目は、きっと親切心で書き始められたんだろうな)

 他の白いドレスの令嬢たちと話しながら、ハープの元へと向かうエリーザを見る。彼女はハープに飾られた青い薔薇を見て、くすりと笑いこちらを見た。


「……青薔薇」

 ポピーの髪を飾るコサージュを、そして控えめな華やぎのある青いドレスを見る。

「その……控え室で話していた、薔薇がどう、というのは」

「私です」

「……君が? ポピーの花ではなく、薔薇を」

 細めた目をエリーザに向けたまま、ポピーは語る。

「嫌いなんですよ、ポピー。可憐で、繊細で……儚くて」

「君の名前の花なのにか」

「だから、かもしれませんね。私はそれよりも、エリーザ様の薔薇でありたいんです。……ハープの青薔薇も、実は私が添えたものです」

「なるほど。心強いだろうな」

「そうであれば良いんですけれど」



 エリーザがハープの傍らに腰を下ろす。ポロン、ポロン、と確認するような音色が、ひときわ明るいホールの中央から広がって――


 天井を見る。

 豪奢なシャンデリアが、きらびやかな光を放っている。


「ヴィルナムはこの程度で満足する人なのか?」

 俺のその言葉は独り言のようなものだった。

 だが、出した名前が名前だったためか、ポピーがこちらを振り向いた気配があった。


「どういう意味ですか?」

「この前、イン・ギムナウミ緯爵の家ではエリーザを仕留めに来ただろ。なのに今夜は細々した妨害だけで、彼は満足するのか?」

「危惧は分かりますが……さすがにこのホールで荒事を働くのは不可能です。人目もありますし、武器の持ち込みも限られている。満足以前に、エリーザ様に危害を与える手段が……」


 ポピーは口を噤む。俺が何を見上げているのか気付いたんだろう。

「主賓がホール中央、シャンデリアの下で楽器を演奏するのは毎年お決まりの座興なんだよな」

「……アルブレヒトさんも他の侍従も、細々した妨害を見つけ出し、取り除くことに集中しています。離宮全体を見て回る余力はない」

「あの照明は魔法によらないものだから、点灯のために下ろしたりできる」

「昇降に使う巻き上げ機は、ホールに隣接した使用人室の操作盤で制御します。人目がありますし、元より危険な操作はできません」

「……持ち物制限がある以上、ホール内からの攻撃でシャンデリアを落とすことは普通できない」


「天井裏です」

 ポピーは断言した。

「巻き上げのための魔動機と鎖があります。それが壊れれば」

「シャンデリアはエリーザに落ちる」


 辺りの人々は、エリーザの演奏が始まるのを待っている。

 まさか証拠の一つもない今、この興を削げる訳がない。



 ポピーの肩を掴む。彼女が駆け出そうとしたからだ。

「……何ですか」

「俺だけでいい。いざという時にエリーザを避難させる役目が必要だ」

「分かってるんですか? どうすれば良いか」

「事に備えて俺に離宮内を見回るよう言ったのは君だろ」


 わずかに逡巡する目。

 だが、時間がないことはポピーも良く分かっていたようだ。

「お願いします」

「行ってくる。空振りだったら笑い話にしよう」


 腰の支点ヴァルマに指を添えつつ、俺はホールを後にする。

 参列者の喧噪は遠ざかり、やがてハープを爪弾く柔らかな音色が聞こえてきた。

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