天瞳の君と悪竜殺し - 5
俺はこれから、二つの望みを話す。
「ヤウフという地名に、覚えはありますか」
俺の出したその名に、ポピーはわずかに顔を上げた。エルジェリーザがまばたきする。
「訪れたことがあるわ。2年前、母様の休養のために、緯爵の勧めで」
「ええ。そしてその地で、あなたたちは
落とし子とは、悪竜の魔力を受けた魔物の総称。その支配下では、通常大人が蹴飛ばすだけで飛散するスライムですら、歴戦の戦士を死に追いやる脅威と化す。
「……そうね。魔法で治せない負傷者が多く、とにかく人手が必要だったから」
「俺はその時、治療を受けた人間の一人です。その恩に報いたいというのが、まず一つあります」
ただし、と、間髪入れずに言う。
「この件を黙っていたのは……俺がその時ヤウフにいた経緯が、あまり良いものではなかったからです」
「……危険から逃げていた、とか?」
「はい。2年前の俺は悪竜に敗北し、逃げていました。……そして、あなたたちの元での治療を経て、もう一度立ち向かおうと決心ができたのです」
「そうなの。2年前に面倒を見た人の中に貴方がいたなんて……」
「2年前、逃げてきた俺と、今の俺は違います」
向けられるエルジェリーザの視線を、まっすぐと見返す。
「あれから俺はずっと強くなった。戦う技術もそうですし、何より一度折れても再び立ち向かうことを覚えました。これから先、たとえ超えられない障害が現れたとしても、俺は逃げ出さず、時間をかけてでも……必ず勝ちます」
「その経緯を話せば、2年前の自分が、悪竜から逃げてきたことも話さないわけにはいかない……だから黙っていたのね」
エルジェリーザの理解は早い。
「ええ。俺の強みなんて悪竜殺しの称号だけなのに、敵から逃げ出した過去のことを話すなんて恰好がつかなさすぎる」
「伏せていた理由は分かったわ。私は気にしないけれど」
商品を高く売ろうという時に、わざわざその商品の過去の問題点を語る商人はいない。
情報的に意味はなく、心情的にはマイナスにしかならないからだ――
(というのも、ただの受け売りなんだけどな)
付き合いの長い商人に何も言われなければ、こちらの理由は最初、包み隠さず話すつもりだった。俺は結局戦うばかりで、そういった機微はまったく分からない。
そして、そんな俺でも。
「もう一つは……ナノエから、この国に来た理由について」
これから話す理由については、なお全てを明かさないと、最初から決めている。
「――が」
「……? 何が?」
汗ばんだ右手で、左の手首を、強く握りしめる。
「嫁が、欲しくて」
まあ、というエルジェリーザの声が、白い手で覆われた唇から漏れてくる。俺はちらりとポピーの方を見た。
(う)
彼女は表情を押し殺しているが、眉間と口元が僅かに歪んでいるのが見て取れた。やはり軽薄に思われるだろうか。
「確かに、ある程度務めを果たしたバゼラードの生涯の伴侶を主が用立てる、ということは、しばしばあることよ」
普通の愛人にすらそれをする人はいるものね、とエルジェリーザは続ける。
「それが目当てという例はあまり知らないけれど……」
「俺は目立ちすぎました」
言い訳がましいとも思うが、言える限りのことは言っておく。
「皆誤解をしている。俺こそが北の荒野を救った唯一の英雄だと。そんな俺が、もしあの地でふいに、誰かを伴侶として迎えてしまうと……」
「部族間でのパワーバランスが乱れてしまう?」
「はい。俺が
話しながら、苦々しい思い出が次々蘇る。
俺が女好きであれば贅沢な悩みというやつだったかもしれないが、あいにく俺はそんなに器用な感性をしてはいなかった。
(くそ……嫌な汗が出てきた)
「……ちなみに、主要な部族全部に妻を持つことは考えなかったのかしら」
「なっ……! ……なんてことを言うんですか」
「複数の伴侶は迎えることは禁忌じゃないわ。偉大なる我が国の開祖もそういう人よ」
ジェマノス統一王。稀代の英雄にして救えぬ好色。
「一番良い結果を求めるならそれもありだったのかもしれませんが、生憎俺の主義じゃあない……正直、その統一王のこともどうかとは思います」
「同意するけど、それ、今後はあまり公言しないでちょうだいね」
苦笑するエルジェリーザ。俺は額に滲む汗を袖で拭い、呼吸を整える。
「ともかく……ナノエの力になりたいですが、婚姻まで弄ばれるのはごめんだ。ゆくゆくは好い相手と、平穏に暮らしたい。俺が求めるのはそれです」
彼らも彼らで、悪竜亡き後の平穏を守るべく必死なのは分かる。しかし、それは俺の理想とは重ならない。
「そして、それは俺が十分に務めを果たした後に検討してもらえれば構いません」
これも本音だ。
というより、その方が都合が良い。
「いったんは、かつてヤウフで助けられたあなたたちに恩を返し、ナノエの支援を緯爵に取り付けられるのであれば、それで十分です」
「目って、すごくよく動くのよ」
彼女は唐突に、そんなことを言い出した。
「動き方は、その人の考えていることによって決まっている。そして目の中心には宝石があるから、目が動けばそれが反射して、キラキラ光る」
「それは……」
「その光を見れば、誰だって他人の考えが分かると思っていた。……それが普通じゃない、って知ったのは、7歳の時」
「秘密よ? ……私は、人の目を見れば、その人の考えが理解できるの。ふつうの人より、ずっと詳しく」
唇に指を当て、エルジェリーザは悪戯っぽく笑う。
「だからあなたが、まだ何か隠していることも分かる」
「っ」
息を呑む。
はたしてそれは事実だ。俺は、二つの望みを話せる限り話した。
その上であと一つ、最後の隠しごとがある。
(どうする)
彼女は俺を信頼しないだろうか。だが、もしそれを話せと言われたら。
……それを話した所で、俺の望みは叶うだろうか?
(しかし、こうなれば話さないよりは……)
「でも」
しかし、エルジェリーザはそう続けた。
「貴方が隠すその一片が、私を脅かすことはないでしょう。そうよね?」
彼女の目が、俺を見ている。俺はすぐにその目を見返して、強く頷いた。
「はい」
目を見れば考えが分かる――エルジェリーザの言葉が本当なら、それが嘘ではないと伝わるはずだ。
事実彼女は、嬉しそうに頷いた。
「ならいいわ。はらはらさせてしまってごめんなさい」
エルジェリーザがソファを立つ。慌てて腰を上げた俺の手を取り、彼女は明るく笑いかけた。
「私のバゼラードになって、私を助けてちょうだい、タスク。まず今日は、お願いをふたつ、聞いてくれる?」
「ええ。何であろうと」
「まず、私が人の目から思考を読めることは、誰にも言わないで。これを教えているのは、ポピー……私のメイドのことね。彼女を含めた、本当に限られた、信頼できる人だけだから」
そして、と続ける。
「エルジェリーザじゃなくて、エリーザと呼んでくれる?」
* *
俺はポピーの先導で客室へと戻った。
せっかくの機会だし何か話さなければと思ったものの、山を一つ越えた安堵が大きく、大したことは喋れなかった。
別館の階段を昇りきる直前。
「ポピー・エイルです」
階段の一番上で、ポピーが振り返った。小さな口から、はっきりした声が発せられる。
「エリーザ様にバゼラードとして認められた以上、短い付き合いにはならないでしょう。名前くらいは教えておきます」
「……じゃあ、改めて。俺は」
「覚えておきなさい。タスク・ムライ・ヴリトラハン」
鋭い声音。
さっきまでの大人しい様子からは想像もできないほどの、憤りか、侮蔑を露わにした表情が、俺を見下ろしてくる。
「あなたは今後、エリーザ様にもっとも近い存在になりますが……妙な夢想はしないように。それはあくまで契約による関係です」
あまりにも突然向けられた苛立ち。
「それは……」
言葉の意味も飲み込みきれず、返答に窮している俺に、ポピーは続ける。
「エリーザ様は約束を違えません。あなたがきちんと働けば、その俗な欲望も満たされるでしょう。ただ……くれぐれも身分不相応の色気を出して、エリーザ様を煩わせることのないように」
「待……待ってくれ」
彼女が言わんとすることを理解し、俺は慌てて反論する。
「俺が……エリーザさんを嫁にしようとすると思われてるのか!?」
「世界を知らない地方英雄の考えそうなことでしょう?」
「その気はない! 約束する。エリーザさんにそんな興味を持つことはない。俺は……!」
「『そんな興味を持つことはない』?」
俺の弁解を聞き、ポピーの憤懣はいっそう強まった。
「その物言いは尚更無礼です。不躾で、無思慮、侮辱的だとすら言えます」
「なっ……」
「バゼラードは粗野なるところも好まれますが、下卑下劣は許されない。いいえ、私が許さない……!」
ポピーが手を差し出してくる。
その小さな指は、ナイフのように長い針を持っていた。窓からの夜光を反射して瞬く切っ先が、俺の眉間を指している。
「エリーザ様はお優しい方です。これから起こす、あなたのいくつもの不始末を許すでしょう。ですが、私は許さない」
避けはしなかった。害意はなく、単なる脅しであることが
「たとえエリーザ様の目がなかろうと、背筋を伸ばし続けていなさい。私が見ています。バゼラード――エリーザ様の道具の手入れをするのも、
低く抑えたその声音の奥に、底冷えするような怒りがある。俺に当たり散らしているかのような気配すら感じ取れた。
恐ろしくはなかった。神経質になるのは理解できる。
俺にできるのは、誠意を示すことだけだ。
「……だったら、教えて欲しい。さっきの問いにはどう返すのが正解だった?」
俺が冷静に問うと、エリーザは突きつけた針を上へどかす。
「『そんなことは考えない』だけで結構。主への値踏みと取れる発言は控えるべきです」
「分かった。注意する。……それと、改めて約束する。俺はバゼラードとして、必ずエリーザ様を守るし、君の思うような下心は持たない」
「当然のことです」
ポピーは俺の横を抜けて階段を降りていく。隣をすれ違う彼女の体躯は、先導される時とも向き合っている時とも違って、ずいぶん小さかった。
「なあ……」
こらえられず、俺は振り返って声をかける。踊り場に足をかけた彼女は、足を止めて目線だけを俺に向けた。
声をかけてから、口にするべき言葉を慌てて探す。候補はいくつも、いくつもあった。
「……明日から、よろしく」
が、俺の口から出たのはそんなつまらない言葉だけだ。
「ええ。どうぞよろしく」
ポピーはふいと視線を前に戻し、そのまま階下へと去って行った。
客室に戻った俺は、窮屈な礼服を脱ぎ、寝転がる。
柔らかすぎて落ち着かないベッドの上で、俺はポケットから
それを、左の手首に付け直す。
「ふう……」
やっとあるべき所に戻ったそれを、月明かりに掲げる。鮮やかなサフラン染めの糸で組まれた飾りの中で、一本だけ編み込まれた金糸がきらめいている。
『ゆくゆくは好い相手と、平穏に暮らしたい』
この望みに嘘はない。
だが決定的な点を隠している――俺の望む『好い相手』について。
今夜、それを明かさずに済んだのは、本当に良かった。その話をするのは、"彼女"の信頼を得てからであるべきだから。
あの当たりの強さからして、遠い道のりになるだろう。だが、別に構わない。多少の障害は覚悟の上だ。
(ポピー・エイル)
今まで、何度となく口にしたその名を、胸中でもう一度呼ぶ。
(君はきっと、俺のことなんて忘れているんだろうな)
2年前から輝きを失わない、金色の糸をそっとなぞる。
(だから俺は、君のことが忘れられないんだ)
目を閉じる。
空の色も、風の匂いも、よく沈む寝床も、とにかく慣れないことばかりだったが、それでも俺は金糸に触れて、落ちるように眠りに就いた。
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