1.イン・ギムナウミ緯爵領襲撃事件 / 天瞳の君と悪竜殺し

天瞳の君と悪竜殺し - 1

 オリツァシウ公爵嫡女、エルジェリーザ・ムヌメル・クルムヴァルダーを初めて見た時も、俺はその瞳に惹き付けられた。



 瞳の美しさを宝石に喩えることはしばしばある。あるいは海とか、空とか。

 俺は一目見て、納得した。彼女の渾名、『天瞳の君』……飾り立てた言葉だとは思っていたが、なるほど実際にその眼を見れば、そう称えたくもなるだろう。

 明るい青色に澄み渡り、不思議な光を湛えた目。宝石と言うには透き通り過ぎていて、海や空に喩えるには輝き過ぎている。

 ゆえに天。天の瞳。空よりも高い至上の光。



「タスク・ムライ・ヴリトラハン」

 そんな瞳の持ち主が、清冽な声で俺の名を呼んだ。

「いいのよ、立ったままでなくて。どうぞ座って」

「は……失礼します。エルジェリーザ、様」


「そんなにかしこまらないで良いわ」

 緊張で固くなった俺に、彼女は柔らかく笑いかけた。

「ここには私たちしかいないし、ここはあなたのことを知るための場所だもの」



 ここはエルジェリーザの知人の別邸だ。

 エルジェリーザは随分慣れた様子で、綺麗に足を揃えて一人がけのソファに座っていた。

 彼女はガウンを羽織っていたが、ドレスの襟元は開いていて、深い胸元を無防備にさらしている。傍らのメイドは目を伏せ、家具のようにまっすぐ立っている。

(……やっとここまで辿り着いた)

 湧き上がる感慨を押さえ込み、彼女の向かいの椅子へ腰掛けた。下ろしたばかりの正装を乱さぬよう、慎重に。

 落ち着きなく右手で左手首をさする……この不随意ななだめ行動も、本来は止めるべきだ。視線も、あらぬ方へと向けないように。

 ここまで辿り着いて、緊張した振る舞いなんかで追い出されてはたまらない。



「本当のことを話すとね」

 微笑みを浮かべたまま、エルジェリーザは話し始める。

「貴方のことは歓迎したいと思っているの。タスク・ムライ・ヴリトラハン……さすがにこの国ではあまり知られていないけれど」

「……エルジェリーザ様はご存知でしたか?」

「ええ。悪竜殺しヴリトラハンのタスク。名前と、その最大の功績くらいは」

 エルジェリーザは胸に手を置く。襟の内側の谷間が、誘うようにたわんだ。

「私は、何としても次期公爵の座が欲しい。どんな手段を使っても、私は公爵にならなければいけない」

 穏やかな表情を浮かべたまま、決然とした言葉を口にする。

「その道のりは、優しいことばかりではない。だから、北の荒野の英雄が助けてくれるなら、こんなに心強いことはないわ」


「悪竜殺し――確かにその称号は引き受けましたが、正直誇大なんです」

 もしもエルジェリーザが懐疑的であったり、過小に評価をするようであれば誇張することも考えていた。だが、彼女の言葉から猜疑の色は感じ取れなかったから、俺は素直に話すことにする。

「確かにあれを討ち取ったのは俺ですが、俺一人で倒した訳でもない。たくさんの仲間と犠牲があって、その上でたまたま、目立つ場所に俺が立っていたというだけです」

「謙遜なさるのね」

「事実です。皆、俺のしたことを少し過大評価して、もてはやしすぎている……」


「それなら」

 彼女は興味深そうに俺の目を覗き込む。

「あなたの戦いの力についての話も、本当は過大なのかしら?」

 美しい目。どうしようもなく惹かれる眼が俺を見る。

「竜の鱗を素手で貫き、鉄よりも硬い心臓を踏み潰したとか」



「そこについては」

 やはり俺は、事実をそのまま口にする。

「一切、過大ではありません。俺は、そういうことを可能とする武術を修めています」



   *   *



「……いかがでしたか」

 タスクとの面会の後、姿勢を楽にした私へハーブティーを出しながら、ポピー……私のメイドは、不服げに訊ねてきた。


「良い人ね」

 カップに口を付ける。ラベンダーの和やかな香りが、喉を撫でて落ちていく。

「彼、少しも嘘を話さなかった。これからのことが決まる話し合いの中で、虚偽も誇張も、少しもなかったわ」

「普通じゃないですか。あれだけの実績があれば、わざわざそんな必要はありません」

「実績より前の方よ」

「前?」


 カップを置いてポピーを見る。この辺りでは珍しい黒髪をさらりと整えた、可愛らしい女の子。

 私と二人きりだと表情を素直に出してくれて、今はその不満と疑問を隠しもしない。容姿も愛嬌があるが、そういう所こそがポピーの本当に可愛い所だ。


「私の知る限りでは、悪竜と最後の戦いに向かったのは、間違いなく彼一人だったのよ。でも彼は心から、『自分一人で倒した訳ではない』と言っていた」

「……謙遜ではなく」

「一人で何かを成し遂げた瞬間も、それを支えてくれたたくさんの人の存在を忘れない。そういう、生来の謙虚さと視座の広さは好ましいわね」


「エリーザ様がそう見立てるなら、そうなんでしょうけど……」

「はっきり目を見たから間違いないわ」


 私がそう言えば、ポピーもそれ以上反論しない。

 私が『目を見る』ことには、普通の人とは違う意味がある。



「あと、私の誘惑にも乗らなかったしね」

「え? ……あっ、まさかエリーザ様……!」

 ポピーが慌てた様子で私の胸元を見る。

「襟……あの人がいる時からそんなに開いてたんですか!? 男の人を前に!」

「ええ。少しだけ胸を見ていたけど……きゃっ、ちょっとポピー!」


 怒ったポピーが手を伸ばし、私の襟のボタンを閉じてしまう。

「ダメです! 男性なんかを相手にそんなこと……!」

「今はもうポピーしかいないでしょう。それに、今選ぼうとしているのはバゼラードなのよ?」



 バゼラードとは、言ってしまえば荒事のできる愛人のことだ。

 400年前にこの大陸を統一した、稀代の傑物にして救えぬ好色、ジェマノス統一王の故事に由来する。

 平時に於いては朝から夜まですぐそばで主を守護し、時に代理人として武力を振るう。その忠誠を認め、主は寵愛を注ぐ。

 優れたバゼラードを持っているということは、身柄の安定、広い人脈、地位の強さ、そしてジェマノス統一王に端を発する伝統を重んじることの証左である……と、されている。


 そういう伝統主義を尊ぶ人たちを味方につけるため、私はバゼラードを求めていた。

 そこへ何人かの仲介者を通してやってきたのが、あのタスク・ムライ・ヴリトラハンだったのだ。

 少なくとも戦いの力と来歴に関し、彼を超える逸材はもう現れまい。



「確かに……そうなんですけど……!」

 私がバゼラードを持つことに、ポピーは一貫して反対だ。

 それは、理屈ではなく感情による反対である。肉体を忠誠への代価に『使う』ことになる私のことを、気遣ってくれている。そういう子なのだ。

「どうしたっていずれその時は来る。バゼラードを取らなければ、その次の機会は婚姻よ? 今回よりもずっと自由が利かない選択になるわ」

 だから私は、いつものとおりに理屈を返す。

「私が一番良いと思える相手とタイミングを選びたいの。……分かってくれるでしょう?」


「……はい」

 ポピーの語気が見る見るしぼんでいく。

(肉体関係を強いるつもりはない……と、伝えてはいるんだけどね)

 また意地悪を言ってしまったな、と思い、私はそっとポピーの頭を撫でた。



「ともかく、彼が自制や世間体を弁えていることは、ひとまず確かめられた」

「ええ……エリーザ様の身体目当ての下劣な人とかだったら、わたし絶対許せません」

「その心配はなさそうでしょう? だから、彼は『良い人』なの」


 そうは言いつつも、気になる所はあった。見返りの安さだ。

 彼は私のバゼラードになる代わり、イン・ギムナウミ緯爵……今もこの邸宅を貸してくださっている、私の知人との仲介を条件を出した。

 彼が悪竜を殺した地への支援を求めるためだそうだが、そのために荒野の英雄の座を捨てて、私個人に仕えるというのは、利益が少な過ぎやしないだろうか?


(……おそらく、彼は嘘はついていない)

 ハーブティーで口の中を潤す。

(まだ私に見通せていない何かがあるんでしょう。もしそうでなくて、地位というものへの頓着がなさ過ぎるだけなら、それはそれで都合がよくない……)



 カップを置くと、中身がなくなりかけていた。

 ポピーがティーポットを取ったところ、顔を上げてドアの方を見る。


「どうかした?」


 私の問いに答えず、ポピーはポットをサイドテーブルへ置いた。

 その様子で私も察しがつく。彼女が私に答えないなんて、そうそうあることではない。

 何かが起きている。


「……エリーザ様。隣室へ」

「ええ。どうかしたの?」

 歩き始めながらもう一度問う。


「相手が誰かは分かりませんが……」

 答えるポピーの表情に、先ほどまでの柔らかさなかった。

「私の"糸"が踏み切られています。敵です」

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