第三章 多財連

第9話 餓鬼

 あの一件で勝ち得たものは多かった。私は媽媽や、自警団の所属員、果ては町の住民達からも感謝され……多くの品を押し付けられて、研究室へと戻ったのだ。

 私の帰還に、教授とメアリは、安堵しているようだった。私も二人が被害者とならず、安堵している。が。

 これで良かったのか。良い訳が無い。投げかけられた感謝の言葉も、労わりも、手の中の品の重みさえも。全てが私の行為に対する、皮肉のようにすら思えてしまって。


「けど、本当に、良かったです……私、あなたが、殺されるんじゃないかって……」

「いや、メアリくんが走り出した時は、どうしたものかと思ったがね……丸く収まったようで良かった」

「あの人が来た、襲われてる、って、それしか言えませんでしたけど……でも、何とかなって、よかった……」


 二人の顔に笑みが浮かぶ。それは、そうだ。身内は誰も傷つかず、犯罪者は街を去った。現実的な問題が一つ確かに解決し……故に私は、それを否定出来ないでいる。

 人が死んだのだ。法で裁かれたわけではない、私刑を以て。それも、最後、もしかしたら――


「……事後処理がありますので、一度、詰め所に行ってきます」


 私は荷物を机に置いて、二人の下から立ち去った。教授とメアリ、二人の話に、今は合わせる事も出来ない。距離を置くための口実だった。

 獣の男が浮かべた笑みが、私の脳裏に張り付いている。私にはそれを、振り払う事なんて出来ない……



「少し付き合え。街を、もっと見せてやる」


 詰め所に戻った私へと、媽媽は言う。獣の死体は既に回収されてしまって、今はスラムの外、ゴミ山へと放る為に移動中とのことだった。


「街を、ですか」

「ああ。それが、目的なんだろう。この区画で頭張ってる奴が、アンタに会いたがってる」

「……信用できる方ですか」


 媽媽は首を横に振る。そして、「経歴は伝えてある」と。

 犯した罪は殺人、動機は怨恨。殺した相手は、自分の兄。逃亡時に警官も一人負傷させた。獣の男を警戒していた二日の間に、媽媽と打ち合わせた私の経歴。無論、その全てが虚構ではあるが……

 私が基金の人間であるのを知るのは、教授とメアリ、媽媽のみ。今から会う『頭』にも、正体を明かさぬように振る舞わねばならない。


「本名は誰も知らん。だから、街の連中は『ガキ』と呼んでいる」

「……由来は?」

「背が低い。そして、金に汚い。誰よりも……この辺りの団体が組む連合の頭だ。連合の名は『多財連』……は、もう知っているか」


 多財連。その名は、この街で使われている商品券に刻まれていた。

 つまり、餓鬼だ。『多財餓鬼』……飢えに苦しみながらも、ある程度の財を持つことが出来、それでも決して満たされない。子供に対する別称ではない。富を求め、そしてそれ故に循環させる……東洋系コミュニティの生命線。

 自警団詰め所の横の螺旋階段を暫く上り、隣の建物の二階へと続く渡り廊下を二人で歩く。この町の飲食店、露店の殆どは一階部分に集中する。二階部分の殆どは、専門職が暖簾を上げて……病院、歯医者、質屋に、占い。どのような技能を持っていようが、富を失う者はいる。罪を犯す者だって。

 この町を見ていれば、それがよく分かった。そうしてそう言った人々が、この箱庭を支えていることも。媽媽が言った餓鬼も、その一部。各建築物のベランダ部分を無理やり繋いだ二階通路、手すりごしに見下ろす雑踏を見つめながらに、そんなことを考えた。

 獣の男も。何か、何かが噛み合ったなら、この町の一部に成れたのではないか。彼がそれを望むかどうかは、別であるが……


「此処だ。準備、いいか」


 彼女が立ち止まり、私も止まる。其処にあるのは、簡素な扉……傍らに貼られたプレートには、多財連の名が小さく刻み込まれていた。警備を務めているのだろう、媽媽の姿を見た男が扉を開けば、そこに覗くのは通路やエントランスなどではなく、更に上階に続く階段。


「質素、ですね」

「ガワだけだ。中は酷い。悪趣味極まる。反吐が出る」


 媽媽の口数が何時になく多い。常に冷静な彼女の顔には、ありありと嫌悪が滲んでいて。

 私は一つ息を吸う。彼女がこのような反応を示すのだから、相手は相当。恐らく私の目に見ても、不快に感じる人物であるのではないか、と。木製の階段を軋ませながらに、私は呼吸を整えた。

 この街の有力者だ。決して、怒りを買ってはならない……しかし。


「私だ。開けるぞ、ゴミクズ」


 媽媽は言いながら、扉を乱暴に押し開ける。返事の一つさえ聞きもせず、ズカズカと事務所へと入っていって。慌てて追いかけ、事務所に踏み込み……


 私は、言葉を失った。


「おお、来たか……ソイツが『使える新入り』だな?」

「酒を飲んで待っていろと、言っただろう。素面のお前は嫌いだ」

「大事な商談で、そんな事が出来るかよお……まあ、いい。見たことない面だ、そいつなんだな」


 金だ。四方八方、無数の紙幣……『外貨』が積み上げられていた。その紙束の山の向こうには、無数の神像……象頭の神、多腕の仏像、無数の地蔵。焚かれた香と、天井から吊り下げられた幾つもの装飾……その何れもが、財を呼び込むまじないのそれで。

 その一角、豪奢なソファーに腰かけた、背丈の低い男が居た。彼の前には幾つもの電卓、何かの帳簿が並んでおり……それは机の上だけではなく、床にさえ。重り代わりに置かれた小さな仏像は、所々金のメッキが剥げている。


「学歴は」


 男が、餓鬼が口を開く。その目は私の顔を、体を、舐めるように見つめていて……私は反射的に答える。


「修士号まで。社会学です」

「売ってくれよ、媽媽」

「殺すぞ」


 媽媽は一歩前に出て、私の姿を彼から隠す。彼女の背丈は二メートル近い。彼女が私を庇護してくれることに、私は酷く安堵して。


「博士じゃないのが惜しいが、それでも掘り出しモンだ……悪い話じゃない。やり方さえ間違わなければ……」


 餓鬼は、大儀そうにソファから立つ。僅かによろめき、片手を机に突く事で、倒れぬように体を支え……そうして一歩、また一歩と、私へと向けて歩み近付く。そして、私に吐きかけるのだ。

 お前も、此処でなら『神様』になれる。と。


「どうだ? いいぞぉ。誰も彼もがお前に感謝の言葉を送る……人殺しでも町の中心に立てるのさ。日を追う毎に、やりたいことが、どんなことでも出来るようになっていく」


 私は一瞬、視線を部屋に彷徨わせる。無数の神像、仏像の群……その眼下に詰まれた紙幣は、捧げものであるのだろう。そしてこの部屋、紙幣を眼下に収めているのは、無機質な像だけではない。

 彼もだ。彼も、この町では、神の一柱と成り果てている。その上それを、自覚して……


「なあ、お前も――」

「もう一回言う。殺すぞ」


 媽媽が彼の首を掴み、彼がその手を両手で握る。けれども餓鬼は引き剥がすでもなく、寧ろ自身へと手繰り寄せながら、媽媽へと向け下卑た笑みを浮かべる始末。


「やってみ。出来るんならよ」


 媽媽が嫌う訳だ。この男は、暴力では止まらない。否、それを振るわせない術を理解して、立場で相手を縛り付ける。その前に於いては、母神が如くに慕われる彼女、媽媽でさえも、良くて対等……


「暴力は、看過できません」


 私は睨み合う両者の間、割って入る。互いの手を掴み、引き剥がそうと。それに餓鬼は目を丸くして、怪訝そうな顔を浮かべた。


「犯罪者にしては、って感じだな。怨恨って聞いたが、誰を殺した?」

「……兄を」

「道理で」


 媽媽は手を放し、餓鬼が離れる。両手を振って、つまらなそうに視線を外して。そのまま彼はソファへと戻り、戻る中でも語り続けた。


「きっと、とんでもねぇクソ野郎だったんだろ。博打か? 女か? 何でもいいが……お前はそれに愛想を尽かして、泣く泣く殺しちまったって訳だ。本当は愛したかったのにさァ……どうだ、合ってるだろ? なんせ、媽媽のお気に入りだ」


 彼は嗤いながら座る。虚構に対する考察は、けれども現実味があった。そうしてそのまま、片手を上げて……人差し指と中指、歪なピースサインを作って、私と媽媽、二人を指差し。


「お揃いじゃん。道理で、辛気臭いと思った」


 言って、笑った。私は彼の物言いに、腹の底から苛立ちが湧くのを、胸のムカつきを以て知った。

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