第8話 処理

「ハッ! ハッ! ハッ!」


 それは犬の息遣いに似た。奇妙な声を上げながら、獣の男は疾走する。一体どれだけの間、髪を切ることが無かったのか。伸びた長髪と外套の裾、まるで尾のように棚引かせながら、彼は私から逃げる。

 東洋系コミュニティ、自警団のあるあの町へと、彼は向かっているようだった。回り道をしながらでも、彼は明確にあの町の方角へと向かっている。足が速く、加えて私の知らない道を態々選んで走り続け……道中擦れ違う人間や、通路の端で蹲る人々を蹴り倒し、障害物として使いながら。


「っ……!」


 私の顔を紙が打った。彼が逃げながらに壁から剥がし、私へと向けばら撒いた、数枚の張り紙。信者獲得を試みるその文言は、終末を謳い恐怖を煽るものであった。顔や体に纏わりつくそれを振り払えば、彼との距離はまた、僅かに離れていて。

 彼は獣だった。しかし、知恵がある。恐らくこの数日間、外からやって来たこの私を、ずっと観察し続けていたのだ。もし先ほど気付けなかったら……狙われたのは、きっと教授と、メアリだろう。そうして私が帰還した時、その亡骸を発見し――

 走りながらに、身震いを憶えた。彼は快楽を求め、人目を引き、自警団を挑発する。事前に得ていた情報から浮かび上がった、男の描いた絵図を思って。


「へっ、へへ……っ! どうしたヨソモン! おっせえなあ、軟弱モンが!」

 発砲するか、私は迷った。此処で彼を捉えねば、きっと被害が出てしまう。彼の手には刃が握られ……しかし、一度でも銃を撃てば。

「何があってもそれは抜くな」と、媽媽は言った。調査も続行出来なくなる。だが、それでも――

「っ……!」


 コートの下に手を伸ばす。迷っていられるだけの猶予は、もう無かった。通気口を思わせるような鉄板張りの狭い通路、簡易な手すり……その奥に開いた出口から、あの町の喧騒が聞こえて来たから。私はホルスターに手をかけ、重い硬質、抜かんとして。


「出たぞ! 撃て!」


 声が、通路の向こうから聞こえた。反射、私は壁に向かって飛びつき、身を屈める。その瞬間だった。


「おっと……!」


 獣の男が身を翻す。直後、彼が元居た場所を、数本の矢が駆け抜けた。弓矢……否、あの矢はボウガンだ。それが硬い壁や天井を僅かに削り、幾らか滑って、床へと落ちた。

 道の端に伏せた私と、身を翻した獣の男。視線が重なり……互いに出方を伺う中で、通路の先から、影が出でる。


「やっと出て来たか。待っていた……狩りに来たぞ、畜生が」


 自警団長、媽媽だった。彼女は獣の前に立ち、その巨体を屈ませる。手にしたさすまた、それを構えて。

 独特な構えだった。さすまたの先は、数メートル先の地面へと向かう。その持ち方は槍と言うより、魚を捕る為の銛に似ていた。おそらくそれは、彼女の長身、体重を以て突き崩す為の。

 私と媽媽、二人に前後を塞がれた男は、その場ですくと立ち上がって。


「何が『待ってた』だ、馬鹿野郎が。待ってたのは俺だっての」


 彼の右手には、ナイフがあった。彼はそれを逆手で握る。対する私は、警棒を握り……三人は其々、視線を以て互いの動きを牽制しながら、徐々に距離を縮めて行って。


「……何が、目的ですか」

「ああ!?」


 初めに口を開いたのは、私だった。男は苛立たし気に叫び、媽媽は僅かに目を見開く。


「何があなたに、このような真似をさせるのですか」

「何が……ああ。そりゃあ」


 カミサマだろうよ。私の問いに、彼はにたりと笑みを浮かべて、そう返す。

 神様。無数の信仰が絡み合う街……けれども彼に、信仰の二文字は、あまりに相応しくなくて。怪訝に思った私の姿を嗤いながら、彼は両手を広げて語る。


「毎日毎日毎日毎日、信仰信仰信仰信仰……頭がおかしくなりそうなんだよッ! いやなった! だから俺は殺してんだよッ!」

「子供か。馬鹿な責任転嫁はやめろ……大体、神様なんて」

「そうだよ! いねえーんだよ、カミサマなんてッ! お前も分かってんじゃねえか!」


 男は叫ぶ。抜け落ちた歯の隙間から、細く唾液が糸を引く。それにも構わず、男はその演説を続けて。


「どいつもこいつも毎日毎日! 何をやろうが運命だ、カミサマの意図だ、馬鹿かってんだよ! そんじゃあ俺がお前らを殺して、犯して、食ってってのも! 全部カミサマのせいなんだろうが! 自分らが言ってるコト分かってんのか、馬鹿共がよッ! 白痴の、愚図の、愚鈍な――」

「……それを示すために、殺人を? 自分が、排除されるリスクまで犯して?」

「そうだ……んなんていう訳ねーだろッ!」


 彼が振り向く、その勢いを殺すことなく、私へと向けてナイフを投げる――いや。


「好きでやってんだよ! 誰がカミサマなんかの為に命張るかよ、糞馬鹿が!」


 彼が投げたのは、鞘だった。ナイフを納めていたのだろうそれを私へと放り……私はそれを叩き落とさず、避けもせず、続く衝撃に備え構える。


 獣が、私の懐目掛けて跳び込んでくる。鞘は囮、視線を引き付けようとしただけ。私の腹に刃を刺そうと、体重を乗せた突進を、警棒を使い受け流す。それでも彼の凶刃は止まらず、私へと向けて振り抜き続けて。


「ほらッ! ほらほらッ! 居るなら出せってんだよ、出てこいっつってんだよ! 何にもしねーカミサマなんてモンよりも! 無能極まる自警団よりも! 俺の方が、俺の方が、ずっとよぉ……」


 金属同士が打ち合う音。彼のナイフ、私の警棒。甲高い音が狭い通路、声と共に響き続けて。


「ずっと、ずっと、こえーだろうがッ! なら俺でも良いだろうがよッ!」


 ガチン、と。叩きつけられた刃の一撃、私はそれを、警棒で受け止め……やはりだ。多くの人間を殺した獣、しかし、彼の力は弱い。ぼろ切れ同然の衣服、覗いた手首は、腕は細く。栄養失調や何らかの病理……彼の暴力は、一度外の世界に出れば、簡単に鎮圧されるもの。

 彼の体を押し返し、同時に私は、警棒を捨てた。空いた両手で、ナイフを握ったその手を掴む。凶器を振らせない、このまま押し崩し、拘束すれば……それでも彼は、言葉を止めない。絶えず叫び、腐臭を散らし、私の眼前で吠え立てる。


「見、ろ、よッ! 俺を! 俺をよぉ! 怖いって思え、助けてって言え! 救ってやるよ、俺がさあ――!」

「あなた、は……ッ!」


 彼が私へと頭突きを放つ。一瞬、脳が揺れ、頭が眩み……それでも私は、手を放しはしなかった。手の掴み方が悪かった、ナイフが僅かに、私の指を切っている。

 その痛みを頼りに、持ち堪えた。彼を開放する訳にはいかない。それに、私には……まだやることがあるのだから。


「あなたは……、いえ、あなたの……!」

「んだよ! 言うのか! 助けてって――」

「あなたの話を、聞かせてください」


 瞬間、男の動きが止まった。私を前に、完全に静止し……その呼吸さえ、通路に響く音さえも、その全てが止まっている。

 傍から見れば、手を握り合い、視線を交わす二人の姿。そして、彼は。満面の笑みを浮かべながらに、言葉を零した。


「なんだ。お前、聞きたいのか。俺の――」


 声は紡がれる。その口から、血を吹きながら。

 一瞬彼の体が跳ね、そうしてそのまま、崩れ落ちる。

 崩れ落ちた彼の背後に、媽媽が居た。彼女は男が床へと倒れるその瞬間まで、彼の首に突き立てたナイフ、それを押し込み続けていて。その手が捩じられ、刺さったナイフが執拗なまでに、彼の首――背骨を砕いているのが分かった。


「時間稼ぎ、ご苦労」


 私はその光景を、茫然と見送る他に無かった。彼女は男からナイフを引き抜き、それと共に、男は完全に脱力する。

 通路に響いた衣擦れの音、男の体が落ちる音。それを見届け、彼女は続ける。


「お前が来てくれて、良かった……ウチの子らに、こいつは処理させたくなかったから。後で、身重のお嬢ちゃんに、礼を言っておくんだな」


 走って、報せに来てくれたから……彼女はそれだけ呟いて、私に背を向け歩き出す。通路の出口から身を乗り出して「回収しろ」と命じているのが聞き取れた。

 私はただ、その光景を、何処か遠くの光景のように見つめることしか出来なかった。落とした視線の先、獣の男は、満面の笑みを浮かべたままに死んでいる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る