第6話 秩序

「先生。あまり勝手をされると、此方としても困るのだが」


 女の声。低く、そして冷たい声。机を挟んで対峙する教授と、その背後に控える私。女性と教授は互い椅子に座っているが、彼女の背は彼より頭一つは高い。細身ではあるが筋肉は付き、その姿は女性軍人のそれにも見えて……

 慢性的な栄養失調が蔓延している、この街の住人らしくない。彼女もきっと、外から来た人間であるのだろう。


「いや、その……僕もこの足じゃね。研究が、捗らないもんで……」

「捗らせないために、ってコトで切られたんだろう。ソイツも同じ目に遭わせるつもりかい。人でなしが」

「いや……それは……」


 教授は言い淀む。先まで見せた頼もしさも、この女傑……自警団長の前にしては、悪戯を叱られる子供のようで。彼女の部下だろう男性が茶を運んできても、教授の恐縮は続いていた。


媽媽ママ、茶です」

「ああ、椅子も持ってきな。アンタも座りなよ」


 彼女は私を見る。次いで、自警団長を媽媽と呼んだ男が一脚の椅子を運び入れて。

 媽媽ママ。意味は、発音の通り。このスラムを守る、自警団員たちの母……肉親で組織しているわけではないだろう、象徴としての母。私は教授の横に座りつつ、彼女と向かい合う。

 教授どころか、その背は私よりも高い。椅子の高さも変わらず、教授が委縮するのも分かった。冷え切った視線、薄い唇、体中に入った傷は、ワニか何かの鱗にも似る。その鱗の上、自警団のシンボルだろう紋章が、朱墨で彫り込まれていた。私は懐から、名刺を差し出した。が。


「いいよ、別に。此処じゃ使い道もない……アンタとしては、アタシの名刺が欲しいんだろうがね」

「……」

「ダンマリか。まあ、いいさ。で、先生。コイツは――」


 教授に話を振る彼女。視線もまた彼に注がれ、体も僅かに向き直り……その右手に、違和感を覚えた。

 そして、動いたのは同時だった。ナイフを握った彼女の右手、その手を掴んだ私の左手。


「使える奴みたいだ」

「えっ、あっ……何、何だい……!」


 一拍遅れ、慌てた教授が椅子から転がり落ちる。が、それを助けるのは叶わない。私の両手は塞がっていた。片手は彼女の手を掴み、もう片手はコートの下……


「冗談だよ。起こしてやりな」


 女はナイフを落とす。もう片方の手も開き……そこでやっと、私は教授を抱き起せた。突然の事態、教授は僅かに震えていたが、私に肩を抱かれると同時に、その気力も戻ったようで。


「何の、何のつもりかね、キミ!」


 キミ、とは、彼女のことだ。彼の顔は青ざめながらも怒りが滲み、その口調も強い物。けれど自警団長と言えば、涼しい顔で受け流して。


「なあ、先生。そいつ、自警団にくれよ」

「は……この、それも冗談かね……!」


 違う、違うと。彼女は言って、椅子の背もたれに身を預ける。


「先生の部下ってコトが広まったら、また足を切られるだろう。外でやらかして、ウチが拾ったってコトにしとけば、その心配もなくならないか」


 表向きには。彼女は付け加え、教授は「ああ」と声を漏らす。

 つまりは、擬装。外の犯罪者の集まりである自警団なら、私もまた溶け込める……それを隠れ蓑にして、調査を継続すればいい。

 合理的だった。何より、教授が更なる報復……私を招き入れたことへの、非難を受けずに済むのが良い。だが。


「何をお望みですか。犯罪行為には加担しません」


 私は言う。彼女の眉根が、小さく跳ねる様を見た。手元の茶器へと手を伸ばし、僅かに傾け、中身を啜る。

 そうして、私へと言葉を投げた。


「当たり前だ。此処は、アタシ等が罪を犯さずに生きて行ける楽園なんだからね」


 媽媽との交渉を終え、私たちは外に出る。コートの上、左胸に描かれた紋章。自警団のシンボルマーク……不良だ何だが壁に施すマーキング、落書きにも似たそれを見遣る。事実それは切り抜かれた型でマスキングされ、白のスプレーで描かれた。


「良かったのかい、本当に。入団しちゃって」


 私は頷く。アレは、悪人ではない。正確には、そうであってほしい、だ。夢魔の子の一件で、人間そのものに対する信頼が妄信であったと気付いた今でも、そう思う。


「この街では、彼女等には『役割』があります。生活を築く術が。自ら罪を犯す理由は、今の彼女等にはありません」

「いや、そうじゃなくて、さ。自警団の仕事も手伝うことになる訳だよ。危険だろう」


 頭を振る。それが街の人々……教授や、メアリやを守ることに繋がるのであれば、拒否する理由など私には無い。加え、その立場でなければ踏み込めない場所も多いだろうと私は踏んだ。

 私はもっと、自分の認識を広めねばならない。今の私は盲目であり、街の人々に触れなければ、その形を理解できない。その為にも、彼女の提案に乗るべきであると考えた。


「待たせたな。行こう、初仕事だ」


 詰め所から彼女が現れる。その手には、さすまたが握られていた。教授は未だ、心配げに私のことを見つめるが……


「……後程帰ります。教授は、先にお戻りください。お土産を買って」

「……重々、気を付けるように」


 最後にそれだけ言い残し、教授は元来た道、雑踏へと踏み込んでいく。媽媽はそんな私たちの姿を見て「兵役か」と吐き捨てた。

 そうして、私に警棒を放る。外の世界で警官が持つものと同様の。彼女は私の腰、コートの上からホルスターを叩き「何があっても、それは抜くなよ」と囁いた。

 元よりそのつもりだ。この街では未だ、銃を持つ者を見ていない。これを持つこと自体が、街の外の人間の証……それも、彼らの敵となりうる、警官や軍人の姿として映る。発砲せずとも構えた時点で、自警団への潜伏自体が破綻する。歩き出した媽媽の後につき、通りを進む。


「最近、どうにも折り合いが付かないのが出てね。人を襲ってる。分かってる限りの罪状は、殺人、強姦、死体損壊」

「……外から来た人間ですか」

「いいや、生まれも育ちもこの街だ。それだけに手を焼いてる……数か月前から動き出したようだが、多分、知られてないだけでそれ以前から被害者は出てる」


 なるほど、迷宮めいた街だ。外から来た人間であれば、袋小路に追い込むなりして捉えることも出来るだろう。が、地理に明るいとなれば――

 そこまで思考を回し、気付いた。彼女の言った『罪状』の内容、決定的な違和感を。人が人を傷つける上での、恐らく最も理解しやすい罪状が無い。

 私はそれを彼女に問う。返された答えは、私にとって、またもや吐き気を憶えかねないそれであった。


「そうだよ。金銭目的じゃない。ソイツは、快楽目的の犯罪者さ」

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