第2話:英雄は皿を洗う
――ガヤガヤ、ガヤガヤ。
ランチタイムのピークを迎えた大衆食堂は、戦場のような喧騒に包まれていた。
注文を叫ぶ客、食器がぶつかる音、厨房から飛ぶ怒号。
「おい新人! B卓の追加オーダーまだか!?」
「今出ます!」
「洗い場が詰まってるぞ! 皿がないと料理が出せない!」
店長の悲鳴に近い声が響く。
その瞬間、俺の目の前にいつものウィンドウが浮かんだ。
┏━━━【緊急求人】━━━┓
■案件:Bランク・食堂ピークタイム補助/洗い場およびホール
■推奨スキル:並列処理・高速洗浄
■稼働上限:01:00:00(延長不可)
■報酬:銀貨5枚、まかない(大盛り)
┗━━━━━━━━━━━━┛
「条件よし」
俺は迷わず【応募】ボタンを押した。
カチッ。
スキル【スポット】、発動。
今回の俺は、ただのフリーターではない。「プロの食堂店員」だ。
俺は両手に溜まっていた汚れた皿の山を掴んだ。
洗剤を含ませたスポンジを一撫で。
キュッ!
一瞬で油汚れが消え、皿が輝く。
洗う、流す、拭く、棚に戻す。
その動作に一切の無駄がない。残像が見えるほどの速度で、シンクに山積みだった皿が消えていく。
「B卓、オムレツお待たせしましたー。空いたお皿お下げしますねー」
洗い場を制圧したその足で、ホールへ飛び出す。
四枚の皿を片手でバランスよく運びながら、空いた手で伝票を書き、ついでに子供客に水を注ぐ。
「は、速い……!」
「おい、あの新人何者だ? 動きが只者じゃねえぞ」
客や店員たちが驚愕の視線を向けてくるが、気にする暇はない。
俺の稼働上限は一時間。
この一時間で、この店の回転率を限界まで引き上げるのが俺のタスク(仕事)だ。
「店長、C卓空きました。次の四名様ご案内いけます」
「お、おう! 助かる!」
店長が涙目で親指を立ててくる。
俺も無言で親指を返し、再び戦場(ホール)へ戻ろうとした。
その時だ。
「すまない、相席でもいいだろうか」
入り口から、凜とした声が響いた。
カラン、とドアベルが鳴り、一人の女性が入ってくる。
美しい銀髪に、平民の服を着ていても隠しきれない高貴なオーラ。
そして、どこか悲壮な決意を秘めた瞳。
――ゲッ。
俺は反射的に配膳盆で顔を隠した。
女騎士、ジャンヌだ。
昨日の今日で、まさかこんな場所で遭遇するとは。
「いらっしゃいませー! 一名様ご案内ー!」
何も知らない店員が元気よく声をかける。
ジャンヌは重々しく頷き、案内されたカウンター席――俺がいる洗い場の真正面――に腰を下ろした。
終わった。
目と鼻の先だ。距離にして二メートルもない。
「注文は……そうだな、日替わり定食を頼む」
「へいお待ち! 日替わり一丁!」
俺は背を向けたまま、必死に皿を洗い続けた。
顔を見られたら終わる。
昨日の「剣聖」と、今日の「皿洗い」が同一人物だとバレたら、英雄幻想が崩壊するどころか、「なぜ力を隠している!」と面倒な尋問が始まるに決まっている。
「……ふぅ」
ジャンヌが重いため息をつくのが聞こえた。
隣の席の常連客が、気安く話しかける。
「どうしたんだい姉ちゃん。暗い顔して」
「……いや。人を探しているのだが、手掛かりがなくてな」
「人探し? どんな奴だ?」
ジャンヌの声が、熱を帯びる。
「昨日のドラゴン襲撃を知っているか? その時、私を救ってくれた御方がいるのだ」
「ああ、噂になってるな! なんでも、一撃でドラゴンの首を刎ねたとか」
「そうだ。あの方の剣技は、まさに神業だった……」
ジャンヌが恍惚とした表情で語り出す。
俺は背中で冷や汗をかきながら、さらに激しく皿を磨いた。キュキュキュッ!
「あの方は、きっと高名な隠者か、あるいは神の使いに違いない。俗世の欲など微塵もなく、ただ弱きを助け、名も告げずに風のように去っていった……あの高潔な背中が、目に焼き付いて離れないのだ」
買いかぶりすぎだ。
俺はただの日雇いフリーターだし、名乗らなかったのは面倒だったからだし、去ったのは業務完了したからだ。
「へえー、そんなすげえ英雄がこの街にねえ」
「ああ。必ず見つけ出して、礼を言わねばならん。そして願わくば、剣の道を……いや、あわよくばその……」
ジャンヌが頬を染めてモジモジし始めた。
おい、その先は聞きたくないぞ。
「お待たせしましたー! 日替わり定食です!」
その時、料理が出来上がった。
運ぶのはホール係だが、あいにく今は全員手が塞がっている。
俺が行くしかない。
俺は帽子を目深に被り直し、覚悟を決めて振り返った。
なるべく気配を消し、あくまで「背景(モブ)」に徹する。
「お待たせしました。日替わり定食です」
低い声で呟き、ジャンヌの目の前に盆を置く。
彼女の視線が、俺の手元に向けられた。
ドキリ、と心臓が跳ねる。
バレたか?
「……ありがとう」
ジャンヌは俺の顔を一瞥もしなかった。
彼女の瞳には、「高潔な英雄」の幻影しか映っていないらしい。
目の前で鼻水をすすりながらエプロン姿で立っている男が、その英雄本人だとは夢にも思っていないようだ。
灯台下暗しにも程がある。
「ふぅ……」
俺は安堵の息を漏らし、再び洗い場へ戻った。
そして五十五分後。
ランチタイムの嵐が過ぎ去り、店に平和が戻ってきた頃。
俺は脳内のタイマーを確認した。
残り時間、五分。
ちょうどいい。仕事も一段落した。
「店長、時間なんで上がります」
「えっ、もう!? もっと働いてくれよ、時給弾むから!」
「いえ、契約なんで。延長は別料金(前払い)ですけど――この案件、延長不可なんですよ」
「ぐぬぬ……わかった、今日は助かったよ。また頼むな!」
店長から報酬の銀貨を受け取り、俺は裏口へと向かった。
ジャンヌはまだ店内で、常連客相手に俺(英雄)の武勇伝を熱く語っている。
「――あの方は言ったのだ。『時間だ』と。あれはきっと、現世に留まれる時間が限られているという、天界からの啓示だったに違いない……!」
違う。シフトだ。
俺は心の中でツッコミを入れつつ、裏口のドアノブに手をかけ、ウィンドウの【完了】ボタンを押した。
ポチッ。
身体から「プロの店員」のキレが抜け、いつもの気だるげなフリーターに戻る。
┏━━━【業務完了報告】━━━┓
■案件名:Bランク・食堂ピークタイム補助
■稼働時間:00:55:00(残00:05:00)
■依頼主評価:★★★★★
■獲得報酬:
・銀貨×5
・まかない(大盛り)
・街中に広がる英雄の噂×∞
┗━━━━━━━━━━━━━━┛
「噂×無限って……勘弁してくれよ」
報酬欄を見てため息をつく。
まかないの大盛り弁当だけが、今の俺の癒やしだ。
俺は帽子を脱ぎ、裏路地へと足を踏み出した。
その時。
懐の端末(ギルドカード)が、ブブッと震えた。
こんなタイミングで誰だ?
画面を見ると、見知らぬアイコンが表示されている。
そして通知メッセージには、こう書かれていた。
『ギルド受付より呼び出し。至急、窓口へ来られたし』
さらに、その下には小さく、しかし決定的な一文が添えられていた。
『追伸:昨日のドラゴンの件について、お話があります』
「……マジか」
俺の平穏なフリーター生活に、早くも暗雲が立ち込めていた。
────────────────────
【あとがき】
本編のタスクさんは無事に★5評価をもらえました。
もし「続きが気になる!」「バレなくてよかった!」と思っていただけたら、この作品にも★レビュー(求人評価)とフォロー(指名)をいただけると、タスクの次の仕事(更新)のモチベーションになります!
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