第9話

何でもない時間の価値


俺、朝霧恒一は、自分が器用な人間だとは思っていない。


講義で前に出て発言するタイプでもないし、

誰かを引っ張るようなカリスマもない。


だから、周囲に集まる人間も、自然と限られてくる。


昼休み、学食の隅。

いつもの席に、いつもの顔。


「今日、唐揚げ定食当たりじゃね?」


神崎がトレーを置きながら言う。


「衣多い」


「そこがいいんだろ」


他愛のない会話。

それだけで、妙に安心する自分がいる。


向かいには、眼鏡をかけた女子学生が座っていた。

同じゼミの、三浦。


存在感は薄いが、観察眼が鋭い。

ゼミでは必ず要点を突く発言をする。


「朝霧くん、最近、集中力落ちてない?」


いきなり言われて、言葉に詰まる。


「……そう見える?」


「ノートの余白、意味不明な図ばっかり」


三浦は、指で机を叩いた。


そこには、無意識に描いた円と線。

惑星ボールの構造に、少し似ている。


「考え事してると、手が勝手に動くタイプでしょ」


「まあ……」


図星すぎて、苦笑するしかなかった。


三浦はそれ以上追及しなかった。

それが、彼女の距離感だ。


必要以上に踏み込まない。

でも、見ていないわけじゃない。


食後、三人でキャンパスを歩く。


「朝霧ってさ」


神崎が、ふと思いついたように言う。


「変なところで、優しいよな」


「は?」


「自販機で小銭落とした知らない人、毎回助けてるし」


そんなこと、覚えていなかった。


三浦が、少しだけ笑う。


「自覚ないタイプだね」


その言葉に、胸の奥がざわついた。


もし――

あの星に、助けを必要とする存在が現れたら。


俺は、同じように手を伸ばすのか?


帰り道、一人になる。


夕焼けの中で、子どもが転び、泣いていた。

母親が駆け寄る。


当たり前の光景。

でも、目を逸らせなかった。


“助ける”という行為が、

どれだけ自然で、どれだけ重いか。


それを、俺は知っている。


何でもない一日。

何も起きない時間。


それが、どれほど貴重なのかを。


この時の俺は、

まだ本気では理解していなかった。

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