第3話

触れなかった記憶


午前の講義が終わり、学食の隅で一人、スマホをいじりながら昼を済ませた。

騒がしい場所は嫌いじゃないが、積極的に輪の中に入る気にもなれない。


「朝霧、午後どうする?」


サークルの知り合いが声をかけてきた。

どこかに遊びに行こう、という軽い誘いだった。


「今日はバイト」


嘘ではない。

でも、それだけが理由でもなかった。


断るとき、相手が少し残念そうな顔をする。

その表情を見るたび、胸の奥がわずかに痛んだ。


――昔から、そうだ。


俺は人と距離を取るのが上手かった。

傷つけないように、踏み込みすぎない。

期待させないように、近づきすぎない。


それが正しいと思っていた。


午後の講義中、教授の声が遠く聞こえる。

黒板の文字を追いながら、ふと、引き出しの中の球体を思い出す。


昨夜よりも、少しだけ光が強くなっていた。


理由は分からない。

俺は何もしていないはずなのに。


《環境安定》


短い通知が、頭の奥で鳴った。


安定、という言葉に、なぜか引っかかりを覚えた。


――本当に、安定しているのか?


帰り道、駅前の公園を通り抜ける。

ベンチのそばで、子どもが転んで泣いていた。

親らしき人は、少し離れた場所で電話をしている。


周囲の大人たちは、見て見ぬふりをして通り過ぎていく。


俺は、足を止めた。


昔の記憶が、不意に蘇る。


あの日も、誰も気づかなかった。

声を上げる前に、消えてしまったものがあった。


名前も、形も、もうはっきり思い出せない。

ただ、「助けられたはずだった」という後悔だけが、今も残っている。


気づけば、俺は子どもの前にしゃがみ込んでいた。


「大丈夫?」


声をかけると、泣き声が少し弱まる。

膝を擦りむいていた。


親が戻ってきて、礼を言われる。

それだけの、何でもない出来事。


なのに、胸がざわついた。


――見過ごさなかった。

それだけで、少し救われた気がした。


部屋に戻ると、惑星ボールが静かに光っていた。

まるで、こちらを待っていたみたいに。


内部の大地は、相変わらず荒れている。

でも、中央の小さな光は、確かにそこにあった。


消えていない。


「……よかった」


思わず、そう呟いていた。


その瞬間、理解してしまった。


俺はこの星に、

過去に救えなかった“何か”を重ねている。


だから怖い。

だから、目を逸らせない。


《次の環境変動まで、推定三十六時間》


通知が淡々と告げる。


選択の猶予は、長くない。


俺は惑星ボールを両手で包み込み、静かに息を整えた。


今度こそ、

見捨てないために。

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