第6話:覚醒の予兆

 翌朝、俺は早くに目を覚ました。


 窓から差し込む光が、部屋を優しく照らしている。神殿の結界の中だけは、太陽の光がしっかりと届くのだ。


 ベッドから起き上がり、窓の外を見る。


 中庭の花々が、朝露に濡れて輝いている。噴水の水音が、静かに響いている。


 平和な光景だった。


 タルタロスの中にいるとは思えないほど。


(ここでなら、安心して修行ができる)


 そう思うと、自然と体に力が湧いてくる。


 顔を洗い、身支度を整える。鏡を見ると、そこには以前よりも引き締まった表情の自分がいた。


 わずか数日だが、確実に変わっている。


 心が、強くなっている。


***


 厨房に行くと、既にリリアナが朝食の準備をしていた。


「おはよう、ユート」


「おはよう。早いな」


「えへへ、目が覚めちゃって。それに、今日から本格的な修行でしょう? しっかり食べないと」


 彼女は手際よく朝食を作っている。


 野菜のスープ、焼いたベーコン、そして温かいパン。


「すごいな。もう慣れたのか」


「うん、昨日のうちに厨房の使い方を覚えたから」


 彼女は嬉しそうに微笑む。


「さ、座って。すぐにできるから」


 俺は食堂のテーブルに座る。


 しばらくして、リリアナが料理を運んでくる。


「はい、どうぞ」


「ありがとう」


 スープを一口飲む。


 温かくて、野菜の旨味が染み出ている。


「美味しい」


「本当? 良かった」


 リリアナは嬉しそうに自分も食べ始める。


 二人で朝食を取る。


 こんな平和な時間が、こんなに幸せだとは思わなかった。


 ウォーカー侯爵家では、一度も経験したことがない。


「ねぇ、ユート」


 リリアナが話しかけてくる。


「今日は、どんな修行をするの?」


「まずは、基礎体力と魔力制御だ。それができないと、能力を使いこなせない」


「じゃあ、私も一緒にやるわ」


「いいのか?」


「もちろん。あなたと一緒に強くなりたいもの」


 彼女の瞳は、強い決意に満ちていた。


「分かった。じゃあ、一緒に頑張ろう」


「うん!」


***


 朝食を終えた後、俺たちは訓練場に向かった。


 広い空間に、朝日が差し込んでいる。


 空気は清々しく、体を動かすには最適だった。


「まずは、準備運動からだ」


 俺は体を伸ばし始める。


 リリアナも真似して、体を伸ばす。


「こう?」


「ああ、そんな感じだ。体をしっかりほぐさないと、怪我をするからな」


 十分ほど準備運動をした後、本格的な訓練を始める。


「まずは走り込みだ。この訓練場を50周」


「50周!?」


 リリアナが驚いた顔をする。


「きついけど、基礎体力は全ての基本だ。魔法使いだって、体力がないと長時間戦えない」


「そ、そうね…頑張るわ」


 彼女は気合を入れる。


「よし、じゃあ行くぞ」


 俺たちは走り始める。


 最初は軽快に走っていたリリアナだが、10周を過ぎた頃から息が上がってくる。


「はぁ…はぁ…きつい…」


「無理するな。ペースを落としてもいい」


「ううん…頑張る…」


 彼女は歯を食いしばって、走り続ける。


 その姿を見て、俺は改めて思う。


 リリアナは、本当に強い子だ。


 精神力が、並外れている。


 30周を過ぎた頃、リリアナはもう限界に近かった。


 足がふらつき、今にも倒れそうだ。


「リリアナ、休憩しよう」


「でも…まだ…」


「無理は禁物だ。今日が初日なんだから」


 俺は彼女の肩を支える。


「ゆっくりでいい。焦らなくていいんだ」


「…ごめんなさい」


 彼女は申し訳なさそうに俯く。


「謝ることない。よく頑張った」


 俺は彼女の頭を撫でる。


「少し休んだら、次は魔力制御の訓練だ」


「うん…」


***


 休憩の後、俺たちは魔法陣の部屋に移動した。


 床一面に描かれた複雑な魔法陣が、微かに光を放っている。


「ここで、魔力制御の訓練をする」


 俺は魔法陣の中央に立つ。


「昨日やったように、この魔法陣は体内の魔力の流れを視覚化してくれる」


 魔法陣が光り始める。


 俺の周囲に、光の糸が現れる。


 だが、やはり不規則に揺れ、黒い靄が混ざっている。


「これが、暗黒神の呪いの影響だ」


 リリアナが心配そうに見つめる。


「今から、この流れを整える訓練をする」


 俺は目を閉じ、呼吸を整える。


 体内の魔力を感じ取る。


 心臓から流れ出る魔力。それが全身を巡り、また心臓に戻っていく。


 だが、その流れは乱れている。


 黒い靄——暗黒神の呪いが、流れを妨げている。


(落ち着け…)


 母エリディアから教わった、魔力制御の基本を思い出す。


「魔力とは、生命の力。それは川の流れのように、自然に流れるもの」


「無理に制御しようとしてはいけない。ただ、流れを感じ、それに身を任せるの」


 母の優しい声が、記憶の中で蘇る。


(そうだ…無理に制御しようとするから、うまくいかないんだ)


 俺は力を抜く。


 魔力の流れに、身を任せる。


 すると——


 不思議なことが起きた。


 乱れていた魔力の流れが、少しずつ整っていく。


 黒い靄は消えないが、その影響が弱まっている。


「…できた」


 目を開けると、光の糸が以前よりも安定して流れている。


「ユート、すごい! 魔力の流れが綺麗になってる!」


 リリアナが驚いて叫ぶ。


「ああ。完璧じゃないけど、少しは制御できるようになった」


 俺は魔法陣から降りる。


 体が、以前より軽く感じる。


 魔力の流れが整ったことで、体全体の調子が良くなったのだ。


「じゃあ、次はリリアナの番だ」


「う、うん」


 彼女は緊張した面持ちで、魔法陣の中央に立つ。


***


 リリアナの魔力制御訓練は、驚くほど順調だった。


 元々彼女の魔力の流れは綺麗で、制御も完璧だったからだ。


「すごいな、リリアナ。もう完璧じゃないか」


「そうかな? でも、もっと上手くなりたいわ」


 彼女は真剣な顔で、魔力の流れを観察している。


「今は安定してるけど、戦闘中に乱れることがあるの。それを防ぎたい」


「なるほど。じゃあ、実戦形式で訓練するか」


「実戦形式?」


「ああ。俺が攻撃する。お前は防御しながら、魔力の流れを安定させる」


 リリアナは少し不安そうな顔をする。


「大丈夫。手加減するから」


「…分かったわ。やってみる」


 彼女は杖を構える。


 俺は木刀を手に取る。


「じゃあ、行くぞ」


 俺はゆっくりと、リリアナに向かって木刀を振る。


 彼女は杖で防ぐ。


 カツン、と軽い音。


「いいぞ。その調子だ」


 俺は攻撃の速度を少しずつ上げていく。


 リリアナは必死に防御する。


 だが——


「はぁ…はぁ…」


 すぐに息が上がってくる。


 魔力の流れも、少しずつ乱れ始める。


「リリアナ、呼吸を整えろ。焦るな」


「う、うん…」


 彼女は深呼吸をする。


 すると、魔力の流れが再び安定する。


「そうだ、その調子だ」


 俺は攻撃を続ける。


 リリアナは、徐々に防御に慣れてくる。


 そして——


「えいっ!」


 彼女は俺の攻撃を弾き、カウンターで杖を突き出してくる。


「おっ」


 俺は慌てて避ける。


「やるな」


「えへへ、少しコツが掴めてきたわ」


 彼女は嬉しそうに微笑む。


 その顔には、達成感が溢れていた。


***


 午前中の訓練を終えた後、俺たちは中庭で休憩した。


 噴水の縁に座り、水を飲む。


「疲れたけ…充実してる」


 リリアナが嬉しそうに言う。


「訓練って、こんなに楽しいものだったのね」


「楽しいか?」


「うん。だって、ユートと一緒だもの」


 彼女は微笑む。


「一人だったら、きっときついだけだと思う。でも、あなたと一緒なら、どんなにきつくても頑張れるわ」


 その言葉に、俺の胸は温かくなる。


「俺も同じだ。お前がいるから、頑張れる」


「ユート…」


 彼女は嬉しそうに俺の手を握る。


 二人の手が、日光の下で重なる。


「これから、毎日一緒に訓練しようね」


「ああ、約束する」


 そう言って、俺たちは微笑み合った。


***


 午後になり、俺は一人で能力開発室を訪れた。


 リリアナには、午後は自由に過ごすように言ってある。彼女も休息が必要だろう。


 能力開発室は、神殿の最奥にあった。


 扉を開けると、そこには広い空間が広がっていた。


 壁一面に、複雑な魔法陣が刻まれている。


 そして中央には、大きな水晶球が浮かんでいる。


「ここが…能力開発室」


 俺は水晶球に近づく。


 それに触れると、突然視界が白く染まった。


「うわっ…!」


 気づくと、俺は真っ白な空間に立っていた。


 床も、壁も、天井も、全てが白。


 そして——


「ユート」


 声がした。


 振り返ると、そこには紫の髪を持つ美しい女性が立っていた。


「母上…!」


 知恵の女神エリディア。


 俺の母が、そこにいた。


 いや、これは幻影だろう。本物ではない。


「母上、これは…」


「私が残した、メッセージよ」


 エリディアの幻影が微笑む。


「ユート、よくここまで来ましたね」


「母上…」


 胸が熱くなる。


「辛かったでしょう。苦しかったでしょう」


 彼女は優しく俺を見つめる。


「でも、あなたは諦めなかった。それを、私は誇りに思います」


「母上…ありがとうございます」


 エリディアは俺に近づき、頭を撫でる。


 その手は温かく、本物のように感じられる。


「さぁ、これから本格的な修行が始まります」


「はい」


「この能力開発室では、封印された能力を順次解放できます」


 彼女は周囲を指差す。


「この空間は、あなたの精神世界と繋がっています。ここで修行をすることで、封印された能力の扉を開くことができるのです」


「どうすれば…」


「まずは、自分自身と向き合うこと。あなたの中にある恐怖、怒り、悲しみ。それら全てを受け入れることです」


 エリディアの表情が、少し厳しくなる。


「暗黒神の呪いは、あなたの負の感情を増幅させます。それを制御できなければ、能力は暴走するでしょう」


「…分かりました」


「では、始めましょう」


 彼女が手を掲げると、白い空間が変化した。


***


 気づくと、俺はウォーカー侯爵家の自室に立っていた。


 いや、正確には、俺の記憶の中の部屋だ。


「これは…」


 薄暗く、狭い部屋。


 壁の染み、天井の亀裂。


 全てが、あの忌まわしい12年間を思い出させる。


「思い出したくない…」


 俺は呟く。


 だが、部屋の扉が開いた。


 そこから入ってきたのは——


「よぉ、出来損ない」


 長男レオナルドだった。


 いや、これも記憶の中の存在だ。


「今日も惨めだな。魔法一つ使えないくせに」


 彼は嘲笑的に笑う。


「お前みたいな恥晒し、さっさと消えればいいのに」


 その言葉が、胸に突き刺さる。


 怒りが、込み上げてくる。


「…うるさい」


 俺は拳を握りしめる。


「お前に、何が分かる」


「あぁ? 何か言ったか、出来損ない」


 レオナルドが近づいてくる。


 その顔は、憎しみに歪んでいる。


「お前のせいで、俺たちがどれだけ恥をかいたと思ってるんだ」


「お前なんて、生まれてこなければ良かったんだ!」


 その言葉を聞いて——


 俺の中で、何かが弾けた。


「うるさああああいっ!」


 俺は叫びながら、レオナルドに向かって拳を振るう。


 その拳には、黒いオーラが纏わりついていた。


 【万物破壊】。


 だが、今回は以前とは違う。


 圧倒的な力が、拳に宿っている。


 ドガァァァン!


 レオナルドの幻影が、粉々に砕け散った。


 そして——


 部屋全体が、崩壊していく。


 壁が崩れ、天井が落ち、全てが塵となって消えていく。


「はぁ…はぁ…」


 俺は荒い息をする。


 気づくと、再び白い空間に戻っていた。


「よくできました、ユート」


 エリディアの幻影が、優しく微笑んでいた。


「あれは…」


「あなたの心の中にある、負の記憶です」


 彼女は説明する。


「それを乗り越えることで、【万物破壊】がさらに覚醒しました」


 俺は自分の手を見る。


 確かに、以前よりも力が増している。


 能力が、進化した。


「これからも、様々な試練があるでしょう」


 エリディアが言う。


「でも、あなたなら必ず乗り越えられる。私は、あなたを信じています」


「母上…ありがとうございます」


「さぁ、戻りなさい。リリアナが、あなたを待っているわ」


 彼女が手を振ると、視界が再び白く染まった。


***


 気づくと、俺は能力開発室に戻っていた。


 水晶球は、静かに輝いている。


「…すごい」


 体が、力に満ちている。


 【万物破壊】が、確実に進化した。


 これなら、以前よりも強い敵とも戦える。


「ユート!」


 扉が開き、リリアナが駆け込んでくる。


「大丈夫? すごい魔力を感じて…」


「ああ、大丈夫だ」


 俺は微笑む。


「能力が、進化したんだ」


「本当? すごい!」


 彼女は嬉しそうに抱きついてくる。


「これで、もっと強くなれるわね」


「ああ。でも、まだまだこれからだ」


 俺は窓の外を見る。


 夕日が、神殿を照らしている。


(まだ始まったばかりだ)


(でも、確実に前進している)


 拳を握りしめる。


 そして、明日への決意を新たにした。

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