第5話:タルタロスの入り口
神殿の扉が、重々しい音を立てて開いていく。
中から溢れ出る光は、まるで俺たちを歓迎しているかのようだった。だが、その光には神聖な力が込められており、邪悪なものは近づけないだろう。
「入ろう、リリアナ」
「うん」
俺たちは、神殿の中へと足を踏み入れた。
***
中は、外から見るよりも遥かに広かった。
天井は高く、そこから降り注ぐ光が、神殿全体を照らしている。床は磨き上げられた大理石で、靴音が静かに響く。壁には複雑な魔法陣が刻まれており、微かに光を放っている。
そして中央には、大きな祭壇があった。
その上には、水晶でできた球体が浮かんでいる。球体の中には、虹色の光が渦巻いている。
「すごい…」
リリアナが息を呑む。
「こんな場所、見たことない…」
「これは…」
俺は祭壇に近づく。
水晶球から放たれる魔力は、とても穏やかで、優しい。
まるで、母に抱かれているような感覚。
「母上の魔力だ…」
確信する。
この神殿は、知恵の女神エリディアが創ったものだ。
俺のために、人間界で修行できるように。
「ユート、あっちを見て」
リリアナが指差す方向を見ると、祭壇の奥に複数の通路が続いていた。
それぞれの通路の入り口には、文字が刻まれている。
「訓練場、魔法陣の部屋、能力開発室、居住区…」
俺は一つ一つ読み上げる。
「全部揃ってる。ここで、完璧に修行ができる」
「本当に、あなたのお母様が用意したの?」
「ああ。母上は知恵の女神だ。俺が人間界に転生することを予見して、こんな場所を用意してくれたんだ」
リリアナは驚いた顔をする。
「知恵の女神…じゃあ、ユートは本当に…」
「神の子孫だ。正確には、創造神の孫」
俺は初めて、リリアナに全てを明かすことにした。
彼女なら、信じてくれるだろう。
「実は、俺には神界で神として暮らしていたころの記憶があるんだ」
***
俺は、リリアナを祭壇の前に座らせ、全てを話した。
神界での生活。優しかった家族。そして、転生の決意。
暗黒神ニクスによる呪い。人間界での12年間の苦しみ。
そして、封印された六つの能力について。
「…そうだったの」
リリアナは、全てを聞き終えた後、静かに呟いた。
「だから、あなたはあんなに強いのね」
「いや、まだ弱い。能力のほとんどが封印されているから」
「でも、少しずつ取り戻してるんでしょう?」
「ああ。【絶対防御】と【万物破壊】の一部は覚醒した」
俺は手のひらを見つめる。
「残りは、【神域創造】、【時空転移】、【次元跳躍】、【創世再生】。全てを取り戻せば、俺は真の力を手に入れられる」
「それって…すごいことよね」
リリアナは少し困ったような顔をする。
「私なんかが、隣にいていいのかな…」
「何を言ってるんだ」
俺は彼女の手を握る。
「お前がいなければ、俺はここまで来れなかった。お前は、俺の大切なパートナーだ」
「ユート…」
彼女の瞳が潤む。
「ありがとう…そう言ってくれて、嬉しい」
「だから、これからも一緒にいてくれ」
「うん、もちろん」
彼女は微笑む。
その笑顔が、俺の心を温かくする。
***
その後、俺たちは神殿の中を探索することにした。
まずは居住区を確認する。
通路を進むと、そこには小さな部屋がいくつか並んでいた。
一つの部屋に入ると、簡素なベッドと机、そして水場があった。
「ここなら、快適に過ごせそうね」
リリアナが嬉しそうに言う。
「ああ。外とは違って、ここは安全だ。魔物も入ってこれない」
神殿の周囲に張られた結界が、魔物を寄せ付けないのだ。
「じゃあ、この部屋を私の部屋にするわ」
「分かった。俺は隣の部屋を使う」
荷物を部屋に置き、俺たちは再び探索を続ける。
次に訪れたのは、訓練場だった。
広い空間に、様々な訓練用の器具が置いてある。木製の人形、重り、そして武器庫には様々な武器が並んでいる。
「すごい…これだけあれば、十分に訓練できるわ」
リリアナが剣を手に取る。
「この剣、軽くて使いやすそう」
「それは、訓練用の剣だな。実戦用じゃないけど、基礎を学ぶには十分だ」
俺も木刀を手に取る。
手に馴染む感触。
神界で父グランディオスから教わった剣術を思い出す。
「ユート、剣も使えるの?」
「ああ、一応な。父上から教わった」
「じゃあ、私にも教えて」
「いいけど…お前、魔法使いだろ?」
「でも、近接戦闘もできた方がいいでしょう?」
リリアナは真剣な顔をする。
「いつも魔法だけに頼ってたら、魔力が尽きた時に何もできなくなる」
「…そうだな。分かった、教えよう」
俺は木刀を構える。
「まずは、基本の構えから」
***
それから数時間、俺はリリアナに剣術の基礎を教えた。
彼女は飲み込みが早く、すぐに基本的な動きをマスターした。
「やるな、リリアナ」
「えへへ、ユートが良い先生だからよ」
彼女は汗を拭いながら微笑む。
「でも、疲れたわ…」
「そうだな。今日はこれくらいにしよう」
俺たちは訓練場を出て、次に魔法陣の部屋を訪れた。
そこには、床一面に複雑な魔法陣が描かれていた。
「これは…魔力制御の訓練用魔法陣だ」
俺は魔法陣を見て、すぐに理解した。
母エリディアが教えてくれた、魔力制御の訓練方法。
「この魔法陣の中に立つと、魔力の流れが視覚化される。それを見ながら、制御の練習ができるんだ」
「すごい…じゃあ、私も試していい?」
「ああ、やってみろ」
リリアナが魔法陣の中央に立つ。
すると、魔法陣が光り始め、彼女の周囲に光の糸が現れた。
それは、彼女の体内を流れる魔力を表している。
「わぁ…これが、私の魔力…」
彼女は驚いた顔で、光の糸を見つめる。
「綺麗ね…」
「ああ。お前の魔力は、とても綺麗に流れてる。制御も完璧だ」
「本当?」
「ああ。さすが、光明の女神ルミナスの加護を受けているだけある」
リリアナは嬉しそうに微笑む。
「じゃあ、次はユートの番ね」
「ああ」
俺は魔法陣の中央に立つ。
魔法陣が光り始める。
だが——
「…あれ?」
俺の周囲に現れた光の糸は、不規則に揺れ、絡まり合っていた。
ところどころで、黒い靄が混ざっている。
「これが…暗黒神の呪いか」
黒い靄が、俺の魔力の流れを乱している。
それが、俺が魔法をまともに使えない原因だ。
「ユート、大丈夫…?」
リリアナが心配そうに見つめる。
「ああ。でも、これで原因がはっきり分かった」
俺は魔法陣から降りる。
「この呪いを何とかすれば、俺の魔力も正常に戻るはずだ」
「どうやって?」
「まずは、タルタロスの魔力環境を利用する。ここは魔力が濃いから、呪いが弱まる」
「それで?」
「修行をして、体内の魔力の流れを整える。そうすれば、呪いの影響を最小限に抑えられるはずだ」
リリアナは頷く。
「じゃあ、頑張ろうね。私も手伝うから」
「ありがとう」
***
神殿の探索を終えた後、俺たちは夕食の準備を始めた。
幸い、神殿には小さな厨房があり、そこには基本的な調理器具が揃っていた。
さらに驚いたことに、食料庫には魔法で保存された食材が大量にあった。
「これも、お母様が用意してくれたの?」
リリアナが驚いて問う。
「ああ、そうだと思う。母上は、本当に何でも考えてくれていたんだな」
胸が熱くなる。
母は、俺のことを本当に愛してくれていたのだ。
人間界の母、エリザベス・ウォーカーとは違う。
神界の母、知恵の女神エリディアは、本当の母だった。
「じゃあ、今日は豪華にいきましょう」
リリアナが張り切って、料理を始める。
彼女は意外にも料理が得意で、手際よく食事を作っていく。
野菜のスープ、焼いた肉、そしてパン。
簡素だが、温かい食事。
「できたわよ」
リリアナが嬉しそうに言う。
「いただきます」
俺たちは、神殿の食堂で一緒に食事をする。
温かいスープが、体に沁みる。
肉は柔らかく、味付けも完璧だ。
「美味しい」
「本当? 良かった」
リリアナは嬉しそうに微笑む。
「私、料理は得意なの。お母様に教わったから」
「マルグリット様に?」
「うん。お母様は、『良い妻になるためには、料理ができないといけない』って」
彼女は少し照れくさそうに笑う。
「だから、いつかユートのために料理を作れるように、一生懸命練習したの」
「そうだったのか…」
俺の胸は、温かい気持ちで満たされる。
リリアナは、ずっと俺のことを考えてくれていたのだ。
「ありがとう、リリアナ」
「どういたしまして」
彼女は優しく微笑む。
その笑顔が、俺の疲れを癒してくれる。
***
食事の後、俺たちは神殿の中庭に出た。
中庭は小さな庭園になっており、様々な花が咲いている。
中央には小さな噴水があり、水が静かに流れている。
「綺麗…」
リリアナが感嘆の声を上げる。
「こんな場所が、タルタロスの中にあるなんて…」
「ああ。神殿の結界が、この空間を守ってるんだ」
俺は空を見上げる。
神殿の上空には、透明な結界が張られている。
その結界の外は、相変わらず暗い雲に覆われているが、結界の内側は澄んだ空が広がっている。
星も、はっきりと見える。
「星が…こんなに綺麗に見えるなんて」
リリアナも空を見上げる。
「タルタロスに来てから、ずっと曇ってたから…」
「ああ。でも、ここは特別な場所だ」
俺たちは、噴水の縁に座る。
水の音が、心地よく響く。
「ねぇ、ユート」
リリアナが俺を見つめる。
「これから、どうするの?」
「まずは修行だ。能力を全て取り戻す」
「それで?」
「それで…」
俺は少し考える。
「強くなったら、お前を守れるようになる。そして、いつか神界にも帰りたい」
「神界…」
リリアナは少し寂しそうな顔をする。
「そっか…ユートには、帰る場所があるのね」
「でも、お前も一緒だ」
「え?」
「お前も、一緒に神界に連れて行く。俺の家族に、お前を紹介したいんだ」
その言葉を聞いて、リリアナの顔が真っ赤になる。
「そ、それって…」
「ああ。お前は、俺の大切な人だから」
「ユート…」
彼女の瞳が潤む。
「嬉しい…そう言ってくれて、本当に嬉しい」
彼女は俺の手を握る。
「私も、ずっとユートと一緒にいたい」
「ありがとう」
俺は彼女の手を握り返す。
二人の手が、月光の下で重なる。
***
その夜、俺は自分の部屋で一人、考え事をしていた。
ベッドに横になり、天井を見つめる。
今日は、色々なことがあった。
神殿の発見。リリアナとの絆が深まったこと。
そして、これからの目標が明確になったこと。
(修行を始めよう)
明日から、本格的な修行を開始する。
まずは【絶対防御】と【万物破壊】を完全に制御できるようにする。
そして、残りの能力も順次解放していく。
(全ての能力を取り戻せば…)
俺は、本当の意味で強くなれる。
誰にも虐げられない、本当の強さを手に入れられる。
そして——
リリアナを守れるようになる。
窓の外を見ると、星空が広がっている。
神殿の結界の中だけ、空が澄んでいる。
星々が、優しく輝いている。
(祖父様、祖母様、父上、母上…そしてアルティナ)
心の中で呼びかける。
(見ていてください。俺は、必ず強くなります)
(そして、約束を果たします)
風が優しく吹く。
まるで、神界からの返事のように。
俺は目を閉じ、眠りについた。
明日から、新しい生活が始まる。
本当の、修行の日々が。
***
一方、遠く離れたウォーカー侯爵家では——
ガルバート・ウォーカーは、書斎で一人酒を飲んでいた。
「あの子を…追放してしまった」
彼の声は、どこか後悔に満ちていた。
だが、すぐに頭を振る。
「いや、仕方なかったのだ。暗黒神に呪われた子供など、家に置いておけるわけがない」
だが、心の奥底では、罪悪感が渦巻いていた。
ユートは、確かに自分の息子だった。
それを、死地に追いやった。
「生きて…いるのだろうか」
窓の外を見る。
遠くに見える、タルタロスの黒い森。
あそこで、息子は今頃——
「いや、考えるな」
彼は酒を煽る。
考えても、仕方ないのだ。
***
エリザベス・ウォーカーは、自室で泣いていた。
「ユート…ごめんなさい…」
彼女の瞳からは、涙が止めどなく流れる。
「あなたを…守れなくて…」
彼女は、本当はユートを愛していた。
だが、夫と周囲の目を気にして、それを表に出せなかった。
弱い母親だった。
「どうか…生きていて…」
彼女は祈る。
慈愛の女神メルシアに。
どうか、息子を守ってくださいと。
***
そして、フォンテーヌ家では——
「リリアナが…いない…!?」
エドワード・フォンテーヌは、娘の置き手紙を読んで愕然としていた。
「タルタロスに行っただと…!?」
彼は怒りと心配で、声を震わせる。
「あの子は…何を考えているんだ…!」
「あなた、落ち着いて」
妻のマルグリットが、夫を宗めようとする。
「リリアナは、ユート様を愛しているのよ。だから、一緒に行ったの」
「だが、タルタロスだぞ! あんな危険な場所に!」
「大丈夫よ。リリアナは強い子。それに、ユート様も一緒なら…」
マルグリットは、どこか確信に満ちた表情をしている。
「あの二人なら、きっと大丈夫」
「しかし…」
「信じましょう。娘を」
エドワードは、深いため息をついた。
「…分かった。だが、もし何かあったら、すぐに救援隊を送る」
「ええ、それがいいわ」
二人は、窓の外を見つめる。
遠くに見える、タルタロスの方角。
そこに、愛する娘がいる。
「リリアナ…どうか、無事で…」
二人の祈りが、夜空に溶けていった。
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