第4話:出発の朝

 炎獄の巨人ギガノトスが、俺たちの前に立ちはだかっている。


 その巨体から放たれる熱気が、肌を焼くように熱い。周囲の木々は、その熱で葉が縮れていく。地面すら、熱で乾燥し始めている。


「ユート、どうする…!?」


 リリアナの声は、恐怖に震えていた。


 当然だ。S級の魔物。普通の冒険者なら、A級以上のパーティーでも倒すのは困難だ。


 俺たち二人、しかも12歳の子供では——


「逃げるぞ!」


 俺はリリアナの手を掴み、走り出す。


「待って、荷物…!」


「そんなの後だ! 命の方が大事だ!」


 俺たちは必死に森の中を走る。


 背後から、巨人の重い足音が響く。


 ドスン、ドスン、ドスン。


 地面が揺れる。


 木々が倒れる音。


 巨人が、森を破壊しながら追いかけてくる。


「ウォオオオッ!」


 咆哮が響く。


 そして——


「危ない!」


 俺はリリアナを抱きかかえて、横に飛ぶ。


 ドガァン!


 俺たちがいた場所に、巨大な拳が叩きつけられる。


 地面が抉れ、土砂が舞い上がる。


「くっ…!」


 衝撃で体が吹き飛ばされる。


 俺はリリアナを守るように、体を丸める。


 地面に転がり、背中を強く打つ。


「痛っ…」


「ユート、大丈夫!?」


「ああ…何とか」


 俺は素早く立ち上がる。


 巨人が、再びこちらに向かってくる。


「このままじゃ、逃げ切れない…!」


 リリアナが叫ぶ。


 確かに、その通りだ。


 巨人の足の速さは、見た目以上に速い。このまま走っても、いずれ追いつかれる。


(戦うしかない…!)


 だが、どうやって?


 S級の魔物だ。俺の【絶対防御】は、まだ完全には覚醒していない。防げるかどうかも分からない。


「リリアナ、俺が時間を稼ぐ。その間に逃げろ!」


「そんなこと、できるわけないでしょう!」


 彼女は杖を構える。


「私も戦うわ。あなた一人に、させない」


「でも…!」


「いいから、作戦を考えて! あなた、頭いいでしょう!?」


 リリアナの言葉に、俺は我に返る。


 そうだ。


 パニックになっている場合じゃない。


 冷静に、考えるんだ。


(S級の魔物…炎獄の巨人ギガノトス)


 神界での記憶を辿る。


 母エリディアから学んだ、魔物の知識。


(ギガノトスは、炎を操る魔物。弱点は…水属性と、そして——)


 思い出した。


「リリアナ、あいつの核を狙える?」


「核?」


「ああ、胸の辺りに、赤く光る部分があるはずだ。あれが弱点だ」


 リリアナは目を凝らす。


「…あった。でも、あんな高い場所…」


「俺が引きつける。その隙に、全力で魔法を撃ち込め」


「分かったわ」


 彼女は杖を握りしめる。


「でも、無理しないで。死んだら、許さないから」


「ああ、約束する」


 俺はリリアナに背を向け、巨人に向き合う。


***


「おい、でかぶつ! こっちだ!」


 俺は叫びながら、石を拾って巨人に投げつける。


 石は、巨人の頭部に当たる。


 もちろん、ダメージなんてない。


 だが、注意を引くには十分だった。


「ウォオオオッ!」


 巨人が俺に向かってくる。


 その拳が、上空から振り下ろされる。


「くっ…!」


 俺は全力で横に飛ぶ。


 ドガァン!


 拳が地面に激突し、巨大なクレーターができる。


 衝撃で体が浮く。


「うわっ…!」


 地面に転がり、すぐに立ち上がる。


 巨人が、再び拳を振り上げる。


 今度は、避けられない。


(来い…!)


 俺は手のひらを前に突き出す。


 体内の魔力を、全て集中させる。


「【絶対防御】!」


 淡い光の膜が、俺の前に展開される。


 巨人の拳が、その膜に激突する。


 ドガァァァン!


 凄まじい衝撃。


 光の膜が、激しく揺れる。


「ぐっ…!」


 足が地面にめり込む。


 膜が、今にも砕けそうだ。


(持ちこたえろ…!)


 必死に魔力を注ぎ込む。


 だが、魔力が底をつきかけている。


(まずい…!)


 その時——


「【光剣召喚】!」


 リリアナの声が響く。


 空中に、無数の光の剣が生成される。


 その数、20本以上。


「行きなさい!」


 光の剣が、一斉に巨人の胸部——核に向かって飛んでいく。


「ウォオオオッ!?」


 巨人が俺から手を離し、防御の姿勢を取る。


 だが、遅い。


 光の剣が、次々と核に突き刺さる。


 ガキィン、ガキィン、ガキィン!


 核が、ひび割れていく。


「やった…!」


 リリアナが叫ぶ。


 だが——


「まだだ!」


 俺は叫ぶ。


 核は、まだ完全には壊れていない。


 巨人が、再び動き出す。


 今度は、リリアナに向かって。


「リリアナ、危ない!」


 俺は必死に走る。


 だが、間に合わない。


 巨人の拳が、リリアナに向かって振り下ろされる。


 彼女は動けない。魔法の使いすぎで、魔力が尽きているのだ。


「リリアナァァァッ!」


 俺の叫びが、森に響く。


 その瞬間——


 俺の体が、熱くなった。


 体内で、何かが爆発する。


 視界が、赤く染まる。


 そして——


 俺の右手が、黒いオーラに包まれた。


「これは…」


 【万物破壊(オール・ブレイク)】。


 俺の戦闘系能力の一つ。


 あらゆる存在を分解・破壊する力。


 その一部が、今覚醒した。


「うおおおおおっ!」


 俺は叫びながら、巨人に向かって走る。


 そして——


 黒いオーラを纏った拳を、巨人の核に叩き込む。


「はあああああっ!」


 ドガァァァァン!


 黒いオーラが、核を包み込む。


 そして——


 バキィィン!


 核が、粉々に砕け散った。


「ウ…ォ…」


 巨人の動きが止まる。


 その巨体が、ゆっくりと崩れ落ちる。


 ドォォォンッ!


 地面が大きく揺れる。


 土煙が舞い上がる。


 そして——


 静寂が訪れた。


***


「はぁ…はぁ…はぁ…」


 俺は膝に手をつき、荒い息をする。


 体中の力が、抜けていく。


 魔力も、体力も、全て使い果たした。


「ユート…!」


 リリアナが駆け寄ってくる。


「大丈夫…?」


「ああ…何とか」


「今の…すごかった…」


 彼女の瞳には、驚きと感動が混ざっていた。


「あれが、あなたの本当の力…」


「いや、まだ一部だけだ」


 俺は巨人の死骸を見る。


 その胸の辺りから、赤く光る大きな結晶が転がり出ている。


「魔核…」


 S級の魔核だ。


 これは、かなり貴重なものだ。


「これは…持っていくべきね」


 リリアナが魔核を拾い上げる。


「熱い…でも、すごい魔力を感じるわ」


「ああ。これがあれば、武器や防具を強化できる」


 俺は立ち上がり、周囲を見渡す。


 戦闘の影響で、森は大きく破壊されている。


 木々は倒れ、地面は抉れている。


「ここは、もう安全じゃないな」


「そうね。他の魔物が寄ってくるかもしれない」


 俺たちは急いで荷物を回収し、その場を離れることにした。


***


 巨人との戦闘から数時間後、俺たちは小さな洞窟を見つけた。


 中は意外と広く、奥行きもある。入り口は狭いが、それが逆に外から見つかりにくい。


「ここなら、休めそうね」


 リリアナが洞窟の中を確認する。


「ああ。少なくとも、雨風は凌げる」


 俺たちは荷物を下ろし、地面に座る。


 疲労が、どっと押し寄せてくる。


「ユート、傷は?」


「大したことない。かすり傷だけだ」


「嘘。血が出てるわ」


 リリアナは俺の服をめくる。


 確かに、脇腹に浅い傷がある。巨人の攻撃を避けきれず、擦った傷だ。


「待って、今治すから」


 彼女は杖を傷にかざす。


「【治癒魔法】」


 温かい光が、傷を包む。


 痛みが消えていく。


「ありがとう」


「どういたしまして」


 彼女は微笑む。


 だが、その顔は疲れている。


「リリアナも、休んだ方がいい。魔力、使いすぎただろう」


「そうね…少し、眠いわ」


 彼女は俺の隣に座り、肩に頭を預ける。


「ちょっとだけ…眠っても、いい?」


「ああ、ゆっくり休め」


「うん…ありがとう…」


 彼女は目を閉じる。


 すぐに、規則正しい寝息が聞こえてきた。


 俺は彼女の頭を優しく撫でる。


(今日も、助けられたな)


 リリアナがいなければ、俺は死んでいただろう。


 彼女の魔法が、俺を何度も救ってくれた。


(必ず、守る)


 改めて誓う。


 彼女だけは、絶対に守り抜く。


***


 リリアナが眠っている間、俺は洞窟の入り口で見張りをしていた。


 外は、相変わらず薄暗い。タルタロスは、常に曇っているのだ。


 だが、時折雲の隙間から光が差し込む。


 その光を見ていると、少し心が落ち着く。


(今日、【万物破壊】が覚醒した)


 右手を見つめる。


 今は何も起きていないが、確かにあの時、黒いオーラが纏わりついていた。


(昨日は【絶対防御】、今日は【万物破壊】)


 二つの能力が、部分的に覚醒した。


 ということは、他の能力も覚醒する可能性がある。


 【神域創造】、【時空転移】、【次元跳躍】、【創世再生】。


 残り四つ。


 全てを取り戻せば、俺は神界にいた頃の力を取り戻せる。


(その時が来るまで、修行を続けないと)


 だが、修行をするには、まず安全な場所が必要だ。


 タルタロスは危険すぎる。常に魔物の脅威がある。


(神殿…母上が用意した神殿が、この森のどこかにあるはずだ)


 神界での記憶が、そう告げている。


 母エリディアは、俺のために修行場所を用意してくれたはずだ。


 それが、どこにあるのか。


(奥だ…森の、もっと奥)


 直感がそう告げる。


 神としての本能が、目覚めつつある。


「ユート…」


 背後から、リリアナの声。


 振り返ると、彼女が目を覚ましていた。


「起こしちゃった?」


「ううん、少し眠れたから大丈夫」


 彼女は俺の隣に座る。


「何を考えてたの?」


「これからのこと。俺たち、もっと奥に行く必要がある」


「奥? もっと危険な場所に?」


「ああ。でも、そこに俺たちが求めているものがある気がするんだ」


 リリアナは少し考えてから、頷いた。


「分かったわ。あなたを信じる」


「ありがとう」


「でも、約束して。無理はしないって」


「ああ、約束する」


 俺は彼女の手を握る。


「俺たち、二人で生き延びよう」


「うん」


 彼女は微笑む。


 その笑顔が、俺に勇気をくれる。


***


 夜が更け、俺たちは交代で見張りをすることにした。


 まずはリリアナが眠り、俺が見張る。


 洞窟の入り口に座り、外を警戒する。


 森は、夜になるとさらに不気味だ。


 木々の隙間から、時折赤い目が光る。


 魔物の目だ。


 だが、洞窟の入り口は狭く、大型の魔物は入ってこれない。


 それが、この場所を選んだ理由の一つだ。


 時折、遠くで咆哮が聞こえる。


 魔物たちの縄張り争いだろうか。


 だが、こちらには近づいてこない。


(今日は、色々あった)


 炎獄の巨人との戦闘。


 【万物破壊】の覚醒。


 そして、リリアナとの絆がさらに深まった。


 この12年間、俺は家族から愛されなかった。


 だが、リリアナだけは違った。


 彼女は、俺を本当に大切に思ってくれている。


(だから、俺も彼女を守る)


 それが、俺の使命だ。


 星空を見上げる。


 雲の隙間から、わずかに星が見える。


 その中に、ひときわ明るく輝く星がある。


(あれは…)


 北極星だ。


 道に迷った時、北極星は進むべき方向を教えてくれる。


 まるで、俺に「諦めるな」と言っているかのようだった。


「ありがとう…」


 小さく呟く。


 神界の家族に向けて。


 そして、今隣で眠っているリリアナに向けて。


(俺は、必ず強くなる)


 拳を握りしめる。


 そして、誰も守れる力を手に入れる。


 長い夜が、静かに過ぎていく。


***


 翌朝、俺たちは洞窟を出発した。


 空は相変わらず曇っているが、昨日よりは明るい気がする。


「今日は、どっちに進むの?」


 リリアナが問う。


「北東だ。直感がそう言ってる」


「分かったわ。あなたの直感、信じてるもの」


 俺たちは森の中を進む。


 木々は相変わらず太く、不気味だ。


 だが、不思議と昨日ほど怖くない。


 リリアナがいるから。


 二人なら、どんな困難も乗り越えられる気がする。


「ねぇ、ユート」


 歩きながら、リリアナが話しかけてくる。


「もしこの先、本当に安全な場所が見つかったら...何をしたい?」


「修行だな。能力を全て取り戻したい」


「それで?」


「それで…」


 俺は少し考える。


「強くなったら、お前を守れるようになる」


「私を?」


「ああ。お前は、俺にとって大切な人だから」


 その言葉を聞いて、リリアナの顔が赤くなる。


「そ、そう…嬉しい…」


 彼女は照れくさそうに俯く。


「じゃあ、私も頑張らないと。あなたの隣に立てるように」


「リリアナは、既に十分強いよ」


「そんなことない。まだまだ、あなたの足を引っ張ってるわ」


「そんなことないって。お前がいなければ、俺はとっくに死んでた」


 俺は彼女の頭を撫でる。


 彼女は嬉しそうに微笑んだ。


***


 それから数時間、俺たちは森を進み続けた。


 途中、何度か低ランクの魔物に遭遇したが、二人で協力して退けた。


 俺の体術と、リリアナの魔法。


 二人の連携は、日に日に良くなっていく。


「そろそろ、休憩しない?」


 リリアナが提案する。


「そうだな」


 俺たちは近くの岩に座る。


 水を飲み、保存食を齧る。


「あと、どれくらい進めばいいのかしら」


「分からない。でも、近い気がする」


 俺の直感が、そう告げている。


 もうすぐだ。


 母が用意した神殿が、もうすぐ見つかる。


「じゃあ、頑張りましょう」


 リリアナが立ち上がる。


「あなたと一緒なら、どこまでも行けるわ」


 その言葉に、俺の心は温かくなった。


「ああ、一緒に行こう」


 俺たちは再び歩き出す。


 森の奥へ、奥へと。


 そして——


 その時、俺は感じた。


 強大な魔力の気配。


 だが、それは魔物のものではない。


 神聖な力だ。


「リリアナ、この先だ!」


「え?」


「走るぞ!」


 俺はリリアナの手を引いて、走り出す。


 木々を掻き分け、険しい道を進む。


 魔力の気配が、どんどん強くなる。


 そして——


 目の前の木々が開けた。


 そこには——


「これは…!」


 巨大な石造りの建造物が、聳え立っていた。


 古代の神殿だ。


 苔に覆われ、一部は崩れている。


 だが、それでも神々しい雰囲気を放っている。


 神殿の周囲には、魔法陣が刻まれた石柱が円形に並んでいる。


 そこから放たれる神聖な力が、結界を形成しているようだ。


「すごい…こんな場所が…」


 リリアナが呆然と呟く。


「ここが…母上が用意してくれた場所」


 俺は神殿に近づく。


 石造りの扉には、古代文字が刻まれている。


 神代文字だ。


「これは…」


 俺は文字を読む。


『創造神の血を継ぐ者よ、この神殿はお前の修行の場なり』


『ここで修行をし、封印された力を解放せよ』


『お前なら、必ずできる』


 最後の一文に、母の優しさが込められているのを感じた。


「母上…」


 胸が熱くなる。


 母は、俺のことを見捨てていなかった。


 こんな場所を用意して、待っていてくれたのだ。


「ユート…」


 リリアナが俺の手を握る。


「ここが、私たちの新しい家になるのね」


「ああ」


 俺は扉に手を当てる。


 魔力が反応し、扉がゆっくりと開いていく。


 中から、神聖な光が溢れ出る。


「さあ、行こう」


「うん」


 俺たちは、神殿の中へと足を踏み入れた。


 ここから、本当の修行が始まる。


 そして——


 俺の、成り上がりの物語が、本格的に始まるのだ。

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