第3話:唯一の光
魔狼の群れに囲まれ、俺は完全に追い詰められていた。
10匹以上の魔狼が、じりじりと包囲網を狭めてくる。そして中央には、銀色の毛並みを持つ魔狼王。その赤い瞳が、まるで炎のように俺を見つめている。
「グルルル…」
低い唸り声が、森に響く。
逃げ場はない。
一匹なら何とかなったが、この数では無理だ。
(どうする…)
冷や汗が背中を伝う。
心臓が激しく鼓動し、呼吸が荒くなる。
だが、頭は冷静だった。神界での訓練が、パニックを抑えてくれる。
(落ち着け。焦っても仕方ない)
周囲を見渡す。
木々が密集している。地面には岩が転がっている。
(あれを使えば…)
俺は素早く、近くの岩を拾い上げる。
それを、全力で魔狼の一匹に投げつける。
「せいっ!」
岩が魔狼の頭部に直撃する。
「ギャン!」
魔狼が怯む。
その隙に、俺は木々の間を縫って走り出す。
「ガアアアッ!」
魔狼王の咆哮が響く。
群れが一斉に追いかけてくる。
足音が、すぐ後ろまで迫っている。
(速い…!)
木の幹を掴み、体を回転させて方向を変える。
魔狼の一匹が、俺がいた場所を通り過ぎる。
だが、すぐに方向転換してくる。
(このままじゃ、いずれ追いつかれる)
体力に限界がある。
このままでは、遠からず捕まるだろう。
(戦うしかない…!)
俺は走るのをやめ、太い木の幹に背を預ける。
これで、少なくとも背後からの攻撃は防げる。
魔狼たちが、次々と目の前に現れる。
半円状に、俺を囲む。
そして、魔狼王がゆっくりと前に出てくる。
「グルル…」
その瞳は、知性を感じさせる。
ただの獣ではない。A級魔物としての、高い知能を持っている。
魔狼王が顎を動かす。
まるで、何かを命令しているかのように。
すると、両脇から二匹の魔狼が飛びかかってきた。
「くっ…!」
俺は左の魔狼の攻撃を避け、その首筋に拳を叩き込む。
だが、右の魔狼の爪が俺の腕を掠める。
「がっ…!」
鋭い痛み。
腕から、血が流れ出す。
服が裂け、赤い血が滲む。
(痛い…でも、致命傷じゃない)
俺は痛みを無視して、右の魔狼に蹴りを放つ。
魔狼が吹き飛び、地面を転がる。
だが——
「はぁ…はぁ…」
息が上がってきた。
体力が削られていく。
傷からの出血も続いている。
(このままじゃ…)
絶体絶命。
魔狼たちが、再び襲いかかろうとする。
その時——
「ユート!」
遠くから、声が聞こえた。
女性の声。
聞き覚えのある、優しい声。
「リリアナ…?」
***
突然、眩い光が森を照らした。
魔狼たちが怯み、後退する。
光の中から、一人の少女が現れる。
金色の髪を風になびかせ、サファイアブルーの瞳でこちらを見つめる。
腰まで届く美しいウェーブロングヘアの両サイドには、三つ編みが編み込まれている。
白と金の装飾が施された、清楚なドレス。
その手には、光を放つ杖。
「リリアナ…!」
俺は驚愕する。
彼女は、俺の許嫁——リリアナ・フォンテーヌだ。
「ユート、無事…?」
彼女は心配そうに俺を見る。
「ああ、でも…どうしてここに!?」
「追いかけてきたのよ。あなたを一人で行かせられないわ」
彼女は杖を魔狼たちに向ける。
「【聖光魔法(ホーリー・ライト)】!」
杖の先端から、神聖な光が放たれる。
光が魔狼の一匹に直撃する。
「ギャアアアン!」
魔狼は光に包まれ、その体が浄化されていく。
そして——消滅した。
「すごい…」
俺は呆然とする。
リリアナの魔法は、12歳とは思えないほど強力だ。
「ユート、私が時間を稼ぐわ。その間に逃げて!」
「でも…!」
「お願い! あなたが死んだら、私…!」
彼女の瞳には、涙が浮かんでいる。
だが、その表情は強い決意に満ちていた。
「リリアナ…」
俺は迷う。
彼女を置いて逃げるなんて、できるわけがない。
だが、このまま戦っても、二人とも死ぬかもしれない。
(どうする…!)
その時、魔狼王が動いた。
リリアナに向かって、猛スピードで飛びかかる。
「リリアナ、危ない!」
俺は反射的に彼女の前に飛び出す。
魔狼王の巨大な爪が、俺に向かって振り下ろされる。
(これは…避けられない)
目を閉じる。
だが——
衝撃は来なかった。
***
恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景があった。
俺の手のひらから、淡い光の膜が展開されている。
魔狼王の爪は、その膜に阻まれて、俺に届いていない。
「これは…」
【絶対防御(アブソリュート・ガード)】。
俺の能力の一つ。いかなる攻撃も無効化する完全防御。
その一部が、覚醒したのだ。
「ユート…今の…」
リリアナが驚愕の声を上げる。
「俺にも…分からない」
だが、確かに使えた。
封印されていた能力が、少しだけ解放された。
魔狼王が後退し、再び襲いかかろうとする。
だが、今度は——
「させない!」
俺は手のひらを前に突き出す。
光の膜が、さらに大きく展開される。
魔狼王の攻撃が、全て防がれる。
「リリアナ、今だ!」
「分かったわ!」
彼女は杖を高く掲げる。
「【光剣召喚(ルミナス・ブレード)】!」
空中に、光の剣が次々と生成される。
その数、10本以上。
「行きなさい!」
光の剣が、魔狼たちに向かって飛んでいく。
「ギャアアアン!」
魔狼たちが次々と倒れていく。
光明の女神ルミナスの加護を受けたリリアナの魔法は、闇の魔物に対して絶大な効果を発揮する。
そして——魔狼王だけが残った。
「グルル…」
魔狼王は、俺たちを睨みつける。
だが、その瞳には恐怖の色が浮かんでいた。
群れを失い、勝ち目がないと悟ったのだろう。
魔狼王は、最後に一度咆哮を上げると——
森の奥へと逃げていった。
「逃げた…」
リリアナが呟く。
「ああ…助かった」
俺は膝をつく。
緊張の糸が切れ、一気に疲労が襲ってくる。
「ユート!」
リリアナが駆け寄ってくる。
「腕、怪我してる…!」
彼女は俺の傷を見て、顔を曇らせる。
「大丈夫、かすり傷だ」
「かすり傷じゃないわ。待って、今治すから」
彼女は杖を俺の腕にかざす。
「【治癒魔法(ヒールキャスト)】」
温かい光が、俺の腕を包む。
傷が、見る見るうちに塞がっていく。
痛みも消えていく。
「すごい…」
「これくらい、できて当然よ。私、一応あなたの許嫁なんだから」
彼女は少し照れくさそうに笑う。
***
傷が癒えた後、俺たちは少し離れた岩の上に座った。
リリアナは、布袋から水筒とパンを取り出す。
「はい、これ」
「ありがとう」
俺は水を一口飲み、パンを齧る。
戦闘で消耗した体力が、少しずつ回復していく。
「でも、本当にどうしてここに?」
俺が問うと、リリアナは少し俯いた。
「聞いたのよ…あなたが追放されるって」
「ああ…」
「許せなかったわ。あなたは何も悪いことしていないのに」
彼女の声は、怒りに震えていた。
「だから、父に相談したの。ユート様を助けたいって」
「それで?」
「父は…『家同士の問題だから、介入はできない』って」
リリアナは悔しそうに拳を握る。
「でも、私は納得できなかった。だから、一人で追いかけてきたの」
「リリアナ…」
彼女の優しさが、胸に沁みる。
12年間、彼女だけが俺に優しくしてくれた。
家族からも、周囲からも見捨てられた俺を、彼女だけは見捨てなかった。
「ありがとう。でも、危険だ。タルタロスは——」
「分かってる。でも、あなたを一人で行かせられない」
彼女は俺の目を真っ直ぐ見つめる。
「私たち、許嫁でしょう? だったら、一緒にいるのが当然よ」
「でも…」
「それに、さっきの戦いで分かったでしょう? 私、役に立てるわ」
確かに、彼女の魔法がなければ、俺は死んでいただろう。
だが——
「リリアナの家族が心配するだろう」
「大丈夫。置き手紙してきたから」
「置き手紙って…」
俺は頭を抱える。
フォンテーヌ家は、ウォーカー家と並ぶ名門貴族だ。その令嬢が、こんな危険な場所に来ているなんて知られたら、大騒ぎになるだろう。
「まぁ、怒られるのは覚悟してるわ。でも、それでもいい」
彼女は微笑む。
「あなたと一緒にいられるなら」
その言葉に、俺の心は揺れた。
***
しばらく休んだ後、俺たちは再び歩き出した。
リリアナと二人で、タルタロスの森を進む。
一人の時よりも、心強い。
だが、同時に責任も感じる。
彼女を守らなければならない。
「ねぇ、ユート」
歩きながら、リリアナが話しかけてくる。
「さっき使った魔法…あれ、何だったの?」
「ああ…」
俺は少し迷ったが、正直に答えることにした。
「俺の能力だ。【絶対防御】って言う」
「すごい名前ね。でも、あなた魔法使えないんじゃ…」
「普段は使えない。でも、ここは魔力が濃いから、少しだけ能力が戻ってきてるんだ」
リリアナは興味深そうに頷く。
「つまり、ここでなら修行ができるってこと?」
「ああ。だから、これはチャンスなんだ」
「なるほど…」
彼女は少し考え込むような表情をする。
「じゃあ、私も一緒に修行するわ」
「え?」
「だって、あなたが強くなるなら、私も強くならないと。釣り合いが取れないでしょう?」
彼女は可愛らしく笑う。
その笑顔に、俺の心は温かくなった。
「ありがとう、リリアナ」
「お礼を言うのは、こっちの方よ。あなたを助けられて、嬉しいもの」
二人で歩きながら、俺は思う。
この12年間、辛いことばかりだった。
だが、リリアナという光があったから、俺は生きてこられた。
彼女がいなければ、俺はとっくに心が折れていただろう。
(必ず、守る)
そう誓う。
彼女だけは、絶対に守り抜く。
***
日が暮れ始めた頃、俺たちは野営の準備を始めた。
適当な岩陰を見つけ、そこに荷物を下ろす。
「ここなら、風を防げるわね」
リリアナが周囲を確認する。
「ああ。それに、魔物からも見つかりにくい」
俺は周囲に枝を集め、簡易的な焚き火を作る。
だが、火をつける手段がない。
「困ったな…火打石を持ってくるべきだった」
「大丈夫よ。私に任せて」
リリアナは手のひらに魔力を集める。
「【小火炎(マイナー・フレイム)】」
小さな炎が、彼女の手のひらに灯る。
それを枝に移すと、焚き火が燃え上がった。
「すごい。やっぱり魔法が使えると便利だな」
「えへへ、役に立てて嬉しいわ」
焚き火を囲んで、俺たちは座る。
リリアナが布袋から保存食を取り出す。
「はい、これ」
「ありがとう」
乾燥肉とパンを齧る。
決して美味しいとは言えないが、空腹の体には有難い。
「明日からは、どうする予定?」
リリアナが問う。
「まずは、安全な場所を見つける。そこで修行をするつもりだ」
「安全な場所…タルタロスにそんな場所あるのかしら」
「あるはずだ。俺の勘がそう言ってる」
神界での記憶が、そう告げている。
この森の奥には、何かがある。
それが何なのかは分からないが、俺を導く何かがある。
「じゃあ、私もついていくわ」
「危険かもしれないぞ」
「構わないわ。あなたと一緒なら、どこだって行くもの」
彼女は真っ直ぐに俺を見つめる。
その瞳には、強い決意が宿っていた。
「分かった。じゃあ、一緒に行こう」
「うん!」
リリアナは嬉しそうに微笑む。
***
夜が更け、焚き火の炎が静かに揺れている。
リリアナは俺の隣で、小さく寝息を立てている。
彼女の寝顔は、とても穏やかだった。
俺は自分の上着を脱いで、彼女にかける。
夜は冷える。風邪をひかないように。
「ん…」
リリアナが小さく呟く。
だが、目は覚まさない。
俺は焚き火を見つめながら、考える。
今日、初めて【絶対防御】の一部が覚醒した。
ということは、他の能力も覚醒する可能性がある。
【神域創造】、【時空転移】、【次元跳躍】、【万物破壊】、【創世再生】。
神界で使っていた、六つの能力。
それらを全て取り戻せば、俺は真の力を手に入れられる。
(必ず、取り戻す)
そして、誰にも虐げられない、本当の強さを手に入れる。
星空を見上げる。
厚い雲の隙間から、わずかに星が見える。
その星々は、まるで神界から俺を見守ってくれているかのようだった。
「祖父様、祖母様、父上、母上…そしてアルティナ」
小さく呟く。
「俺は、必ず強くなります。そして、約束を果たします」
風が優しく吹く。
まるで、神界からの返事のように。
俺は微笑んで、焚き火に薪を足した。
長い夜が、静かに過ぎていく。
***
翌朝、俺は鳥の鳴き声で目を覚ました。
いや、鳥ではない。
魔物の鳴き声だ。
「ユート、起きて」
リリアナの緊張した声。
目を開けると、彼女が杖を構えて立っている。
「どうした?」
「何か…近づいてくるわ」
俺は素早く立ち上がり、周囲を警戒する。
地面が、微かに振動している。
何か大きなものが、こちらに向かってきている。
「数は?」
「一体…だと思う。でも、すごく大きい」
リリアナの声は震えていた。
そして——
木々が揺れる。
何かが、森の奥から現れる。
それは——
全身が赤く発光する、巨大な人型の魔物だった。
身長は8メートル以上。
筋骨隆々とした体。
溶岩のように赤く輝く肌。
そして、その拳からは、炎が噴き出している。
「あれは…」
リリアナが青ざめる。
「炎獄の巨人…ギガノトス…!」
S級の魔物。
タルタロスの中盤に現れる、強大な魔物の一体。
それが、俺たちの前に立ちはだかっていた。
「ウォオオオオオオッ!」
巨人の咆哮が、森を震わせた。
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