第7話『映え侵入者:聖域をスポット化するな』

 カチャリ。

 錆びついた南京錠が、乾いた金属音を立てて開く。


 俺、鈴木優斗のポケットには、今やこの廃温室のスペアキーが入っている。

 それは、聖域の主である雪代透子から渡された、無言の「入室許可証」だ。


 重い鉄扉を、音を殺して押し開ける。

 出迎えてくれたのは、いつもの湿った空気と、森のような苔の匂い。

 そして——


「……ふぅー、ふぅー。……よし、今の呼吸音はセーフね」


 入り口付近で、座禅のようなポーズで呼吸を整えている金髪の不審者、天王寺カレンだった。

 彼女なりに、この場の「静寂」に馴染もうと努力しているらしい。

 その涙ぐましい姿は、もはや風景の一部(変な置物)としてノイズ判定から外れつつある。


 最奥の作業台には、雪代透子の姿があった。

 彼女はこちらを振り返らない。

 だが、俺が入室し、鍵を閉める音を聞いても、作業の手を止めなかった。

 拒絶ではない。

 「そこにいてもいい」という、静かなる受容。


 俺は定位置の腐葉土の影に腰を下ろし、文庫本を開いた。

 完璧な静寂。

 この時間が永遠に続けばいいと、本気で思う。


 だが。

 世界は、美しい静寂を放っておくほど優しくはない。


「——え、ここじゃね? マジで穴場っぽい!」

「うわ、レトロ〜! これ絶対『映え』るって!」


 鉄扉の外から、浮ついた男女の声が響いた。

 俺の指がページの上で止まる。

 カレンがビクリと反応し、俺の方を見た。


(……来たか)


 最近、キャンパス内で「裏庭にエモい廃墟がある」という噂が、微熱のように広まりつつある。

 原因は不明だ。……心当たりはあるが。

 こうした「映え」目的の侵入者は、最もタチが悪いノイズだ。

 彼らは場所を愛でるのではない。

 「そこで写真を撮る自分」を消費しに来るのだ。


 ガチャガチャ!

 施錠されたドアノブが乱暴に回される。


「あー、鍵かかってるわ」

「えー、マジ? 窓とか割れてないの? 中に入りたいんだけど!」


 雪代の背中が強張った。

 彼女はピンセットを握りしめたまま、震えている。

 土足で踏み込まれ、カメラのフラッシュで聖域を蹂躙される恐怖。

 彼女の平穏が、今まさに脅かされている。


 俺は本を閉じ、音もなく立ち上がった。


「……師匠、どうするんですか? 追い払います?」


 カレンが小声で訊いてくる。

 俺は首を横に振った。


「追い払うだけでは下策だ」


 単に「コラ!」と怒鳴ったり、「幽霊が出るぞ」と脅したりすれば、彼らはそれを「武勇伝」として持ち帰り、拡散するだろう。

 『管理人に怒られたヤバい場所』『心霊スポット』。

 そんなタグが付いてしまえば、興味本位のノイズは倍増する。


 必要なのは、恐怖ではない。

 「失望」だ。

 ここを、彼らにとって「来る価値のない退屈な場所」に書き換える必要がある。


 俺は干渉回避の応用手順——『噂の温度下げ』を選択した。


 俺は温室の壁際、通気口の近くへ移動した。

 そこからは外の話し声がよく聞こえる。

 俺はスマホを取り出し、誰かと通話しているふりをして、あえて「聞こえる音量」で喋り出した。


「……ええ、はい。駆除業者の手配、完了しました」


 事務的で、どこか疲れたような「理系の大学生」の声色を作る。


「はい。温室のマムシと、あとスズメバチの巣ですね。ええ、殺虫剤を散布します。……かなり強い薬品なので、吸い込むと肌が荒れるかもしれませんね。立ち入り禁止テープ、増やしておきます」


 外の会話がピタリと止まった。


「……え、マムシ?」

「スズメバチってヤバくね? てか、強い薬品って……」

「肌荒れるとか無理なんだけど」


 俺はさらに畳み掛ける。


「ああ、それと『カビ』の胞子も酷いですね。服につくと取れないタイプの……ええ、全焼却した方がいいレベルで臭いです」


 決定打だ。

 「映え」を求める彼らにとって、「虫」「薬品」「カビ」「悪臭」は、最も相性の悪いワードだ。

 キラキラした写真を撮るために、服を汚し、肌を荒らすリスクを冒す者はいない。


「……やめよっか。なんかここ、キモいし」

「だね。食堂でアイス食おうぜ」


 興味の熱が、急速に冷めていくのがわかった。

 ジャリ、ジャリと足音が遠ざかっていく。

 彼らは二度とここには来ないだろう。そして、「あそこは汚い場所だ」という、聖域を守るための「悪い噂」を広めてくれるはずだ。


 完璧な処理。

 俺は通話を切るふりをして、スマホをポケットにしまった。


 振り返ると、雪代がすぐ後ろに立っていた。

 いつの間に近づいていたのか。

 彼女は不安げな瞳で俺を見上げ、そして——俺のジャケットの袖を、ギュッと掴んでいた。


「……」


 言葉はない。

 だが、その指先は白くなるほど力が込められていた。

 もし俺が失敗して、彼らが侵入してきていたら。

 もし俺がここから出て行って、彼女を一人にしていたら。

 そんな恐怖と、俺への依存心が、その指先から痛いほど伝わってくる。


「……もう、いない。安心してくれ」


 俺はあえて、袖を振りほどかなかった。

 彼女の手の震えが止まるまで、数秒間。

 俺たちは薄暗い温室の中で、じっとしていた。

 静寂が、ゆっくりと修復されていく。


「……お見事です、師匠」


 一部始終を見ていたカレンが、少し離れた場所から感嘆の声を上げた。

 彼女は俺たちに聞こえないよう、小さく拍手していた。


「『温度下げ』……! あえてネガティブな情報を流して、相手の期待値をへし折る。炎上対策の逆を行く発想だわ……!」


 カレンはブツブツとメモを取っていたが、ふと、窓の外の景色に目を向けた。

 夕日が差し込み、苔たちが黄金色に輝いている。

 息を呑むほど美しい光景。


 カレンの手が、無意識にポケットのスマホへと伸びた。


(……撮りたい)


 彼女のアイドルとしての本能が、そう叫んでいるのがわかった。

 この美しさを切り取りたい。誰かに見せたい。共有したい。

 それは、表現者としては正しい欲求だ。


 だが、彼女は俺と雪代を見た。

 静寂の中で、袖を掴んだまま安堵している雪代と、それを守る俺。

 この場所が「知られないこと」で守られているという事実。


 カレンは唇を噛み、スマホを握りしめた手を、ゆっくりと下ろした。


「……我慢、よね」


 自分に言い聞かせるような呟き。

 だが、その指はまだ未練がましくスマホのカメラレンズを撫でていた。


 俺は気づいていた。

 彼女の中にある「見せたい」という衝動が、この静かな聖域で、少しずつ、しかし確実にカウントダウンを進めていることに。


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次回「莉奈自爆:静寂の女に勝てるわけがない」。

拗らせた元同級生が、ついに聖域へ特攻してきます。

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