第6話『参謀の指導、全部裏目に出る(苔が傷む)』
廃温室の片隅、積み上げられた腐葉土の影。
そこは俺、鈴木優斗の定位置であり、今や「恋愛参謀(自称)」の作戦本部と化していた。
「いいですか、師匠。今日のテーマは『視線による認知』です」
天王寺カレンが、マスク越しに真剣なウィスパーボイスで囁いてくる。
彼女の手には、スマホのメモ機能にびっしりと書き込まれた「あの子を落とす100のメソッド」が握られていた。
「師匠は存在感を消しすぎです。風景と同化するのは《モブ道》的には正解ですけど、恋愛的にはアウトです。まずは『私はここにいる』と、熱い視線でアピールしてください」
「断る。直視は干渉だ。彼女の集中力が乱れる」
「乱してナンボでしょうが! あの子がふと顔を上げた瞬間、三秒見つめる! これ、握手会で釣る時の基本テクですから!」
カレンが力説する。
三秒見つめる。アイドル業界では常識かもしれないが、この聖域においては「宣戦布告」と同義だ。
だが、カレンは引かない。
彼女は俺の背中をバシバシと叩き(音は出さないよう配慮しているのが憎い)、作業台の方へ押し出そうとする。
「ほら、今です! あの子、水を変えようとしてます! 手伝うふりして、熱いアイコンタクトを!」
「……チッ」
俺は舌打ちを飲み込んだ。
このまま騒がれる方がノイズだ。俺は仕方なく腰を上げ、作業台の方へと音もなく移動した。
雪代透子は、新しい霧吹きを用意しようと、棚のボトルに手を伸ばしていた。
その横顔は、ガラス細工のように無機質で美しい。
俺は死角を利用して近づき、彼女の視界の端にスッと入る。
(……カレンの言う「熱い視線」など論外だ)
そんな不純物を混ぜれば、この場の空気(湿度)が濁る。
俺が見るべきは彼女ではない。
彼女が手に取ろうとしている、そのボトルの「位置」だ。
雪代の手が、わずかに滑った。
重いガラスボトルが、棚の縁でガタリと傾く。
「……っ」
彼女が息を呑むより早く、俺は動いた。
干渉回避の手順——『最短の動線』。
俺は音もなく手を差し出し、倒れかけたボトルを寸前で支えた。
指先が触れるか触れないかの距離。
だが、俺の視線は雪代の顔ではなく、ボトルの中の水面に注がれていた。
「……揺らすな。沈殿物が舞う」
俺は低く、事務的に告げた。
水質の変化は苔にとってストレスになる。静かに扱うのが鉄則だ。
カレンの指示した「熱い視線」とは真逆の、「苔への配慮」全振りの対応。
雪代が動きを止めた。
その瞳が、ボトルを支える俺の手と、俺の無愛想な横顔をじっと見つめる。
(……怒られるか?)
勝手な手出しは余計な干渉だったかもしれない。
俺が手を引こうとした、その時だ。
「……そうね」
雪代が、小さく頷いた。
「あなたが言う通りだわ。……ありがとう」
彼女は俺の手からボトルを受け取ると、愛おしそうに中身を確認した。
その表情は、普段の氷のような冷徹さではなく、どこか柔らかい空気を纏っていた。
俺の「配慮」が、彼女の基準をクリアした証拠だ。
俺は音もなく一礼し、腐葉土の影へ戻った。
「……はぁ? なんで?」
戻るなり、カレンが不満げに頬を膨らませていた。
彼女は俺の袖を掴み、抗議の声を押し殺してくる。
「師匠、今の何ですか! 全然『熱い視線』じゃないし! 『沈殿物が舞う』って何!? 理科の実験!?」
「静寂を守るには、あれが最適解だ」
「意味わかんない! 普通、『大丈夫?』とか言って手を握るチャンスでしょ!」
カレンが悔しそうに地団駄を踏む(音は立てない)。
彼女の恋愛メソッドは、どうやらこの聖域の生態系には適合しないらしい。
「次よ、次! プランB、『道具の貸し借り』作戦!」
カレンは懲りていなかった。
数十分後。
雪代が、細かい苔のトリミング作業に入った。
カレンが俺の脇腹をつつく。
「師匠、あの子、ピンセットを探してます! 師匠の持ってるやつ、貸してあげて!」
「……俺のは安物だ。彼女の道具とは精度が違う」
「いいから! 『これ使って』って渡す時に、指と指が触れ合うの! そこから生まれるスパーク!」
「火花は厳禁だ」
俺は渋々、自分の道具箱からピンセットを取り出そうとした。
だが、安物の金属同士が擦れ、カチリと微かな音を立てた瞬間——
ピクリ、と雪代の肩が揺れた。
彼女が眉をひそめ、不快そうにこちらを見た。
(……しまっ、た)
苔を傷つける周波数だ。俺としたことが、道具の手入れを怠っていたか。
俺は動きを止めた。
渡すわけにはいかない。こんなノイズの出る道具で、彼女の神聖な作業を汚すわけには——
俺は気配を殺して近づき、彼女の背後にある棚から、目的のピンセット(雪代専用の高級品)をスッと抜き取った。
そして、彼女の作業台の端に、音もなく置いた。
直接手渡しはしない。
指が触れ合うリスクなど、徹底的に排除する。
雪代がハッとして顔を上げた。
置かれたピンセットを見て、それから背後に立つ俺を見る。
「……私の、動きが見えていたの?」
「探す気配がノイズになっていた。作業に集中してくれ」
「……」
雪代は数秒間、俺を凝視した。
そして、自分の手元にある予備の高級ピンセットを手に取り——それを、俺の方へと差し出した。
「……これ、使いなさい」
「は?」
「あなたのピンセット、噛み合わせが悪い音だったわ。苔が傷む」
彼女は俺のポケットを指差し、有無を言わせぬ瞳で告げた。
「これは共有の許可よ。……いいわね?」
それは、命令というよりは、聖域への「入室パス」を渡されたような響きだった。
道具の共有。
職人気質の彼女にとって、それは言葉以上の信頼の証だ。
「……恩に着る」
俺は震える手で、その美しいステンレスの道具を受け取った。
間接的な接触。
だが、その冷たい金属の感触は、どんな握手よりも雄弁に「許可」を物語っていた。
俺が定位置に戻ると、カレンが頭を抱えてうずくまっていた。
「なんで……? なんで指一本触れてないのに、お揃いの道具を使ってるの……?」
カレンの常識が崩壊していた。
彼女は涙目で俺を見上げ、すがるように俺の腕にしがみついてきた。
「師匠、ずるい……。私には『触るな』とか言うくせに……あの子とはアイテム共有とか……」
「これは業務上の必要措置だ」
「嘘つき! 顔がニヤけてる!」
「緩んでない。平常運転だ」
カレンが俺の肩に額を押し付け、グリグリと擦り付けてくる。
悔しさと、嫉妬と、そしてどこか「置いていかれた」ような寂しさ。
彼女の体温が、じんわりと俺に伝わってくる。
(……重い)
物理的にも、感情的にも。
だが、その重さが、不思議と不快ではなかった。
俺は溜息をつき、彼女の頭にポンと手を置いて、すぐ離した。
「騒ぐな。静寂が壊れる」
「……むぅ。次は絶対、私の作戦で落とすから」
カレンはふてくされながらも、俺の腕から離れようとはしなかった。
夕暮れ。
雪代が帰った後の温室で、俺は戸締まりを確認していた。
ふと、入り口の南京錠に目が止まった。
錆びついた古い錠前。
だが、その横に、真新しいスペアキーが一つ——見落としようがない位置に、丁寧に置かれていた。
「……これ」
「あら? 忘れ物?」
カレンが覗き込む。
俺はそれを手に取り、冷たい金属の重みを確かめた。
忘れ物ではない。
あの雪代透子が、自分の道具を忘れるはずがない。
これは、合図だ。
『明日も、ここに来ていい』という、無言の招待状。
俺の聖域へのアクセス権が、今、正式に更新されたのだ。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。
「苔への配慮がすごい(笑)」
「カレンちゃん、不憫かわいい」
「ついに合鍵!」
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次回「映え侵入者:聖域をスポット化するな」。
聖域にカメラを持った侵入者が現れ、カレンが葛藤します。
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