第5話『無理陽キャ、拗れ恩義で噛みつく』
大学という環境において、最も警戒すべき「ノイズ」の一種。
それは、春の陽気に当てられて発生する「大学デビュー勢」だ。
髪を明るく染め、流行りの服で武装し、大声で「一軍」をアピールする手合い。
通称、無理陽キャ。
彼らの発する空元気な周波数は、俺、鈴木優斗が愛する静寂とは対極にある。
「——あれぇ? もしかして鈴木くんじゃん! うっわ、久しぶり〜!」
講義終わりの廊下。
次の移動教室へ向かおうとしていた俺の背中に、甲高い声が突き刺さった。
この、語尾を妙に伸ばすイントネーション。そして安っぽい香水の匂い。
俺は足を止めずに通り過ぎようとしたが、相手の方が早かった。
「ちょっと、無視しないでよ! 同じ高校だった
バシッ、と背中を叩かれる。
俺は小さく溜息をつき、振り返った。
そこにいたのは、茶髪の巻き髪に、やたらと露出度の高い服を着た女子学生だった。
「……ああ。久しぶり」
俺は必要最低限の音量で返した。
早乙女莉奈。高校時代は教室の隅で地味に過ごしていたはずだが、どうやら大学進学を機に「キャラ変」を敢行したらしい。
努力は認める。だが、俺に関わらないでほしい。
「相変わらず暗いね〜。せっかくの大学生活なんだからさ、もっと弾けなよ。私なんてテニサー入って毎日飲み会で寝不足〜。マジつらたん〜」
出た。典型的な「不幸自慢風のマウント」だ。
彼女はニヤニヤと俺を見下ろしている。
かつて自分と同じ「地味グループ」にいた俺に対し、「私はもうお前とは違う」と確認することで優越感に浸りたいのだろう。
どうぞご勝手に。褒め声だろうが悪口だろうが、俺には等しく「ノイズ」でしかない。
「そうか。大変だな」
「でしょ〜? あ、そうだ。鈴木くん、サークルとか入ってないんでしょ? かわいそ〜」
莉奈が不意に、上目遣いで俺の顔を覗き込んできた。
「今度、私のサークルの新歓コンパ、来る? 男子の数合わせ足りなくてさ〜。特別に呼んであげてもいいけど?」
……は?
俺は眉をひそめた。
マウントを取りたいなら、底辺(と思っている)俺など相手にせず、イケメンの先輩と遊んでいればいいはずだ。なぜわざわざ、俺を自分のテリトリーに引き込もうとする?
(……ああ、そうか)
俺は記憶の片隅にある、高校時代の些細な出来事を思い出した。
文化祭の準備期間。クラスで孤立していた彼女が、資材運びで困っていた時。
俺は通りがかりのふりをして、誰にも気づかれないように荷物を減らしてやったことがある。
単に、彼女がふらついて俺の動線を塞ぎそうだったから処理しただけだ。
だが、もしかして彼女は——それを覚えているのか?
「……鈴木くん? 聞いてる?」
「ああ」
莉奈の瞳には、マウントの裏に隠しきれない「期待」のような色が滲んでいた。
『誘ってあげたんだから、感謝してついてきなさいよ』。
そんな、拗らせた恩義と支配欲。
面倒くさい。静寂主義の俺にとって、最も関わりたくない種類の感情だ。
俺は対人遮断の手順——『会話の出口』を選択した。
相手の提案を否定も肯定もせず、「物理的にその場を去る理由」だけを提示して接続を切る。
「気遣いはどうも。だが、このあと用事がある」
「え〜? どうせ暇でしょ? 強がんなくていいって」
「いや、教授に呼び出されている。行かなきゃならないんだ」
俺は腕時計をチラリと見て、早歩きで歩き出した。
完璧な撤退。
これで会話は終了——のはずだった。
「——ちょっと! 待ちなさいよ!」
莉奈が俺の腕を掴んだ。
しつこい。俺が眉を寄せた、その時だ。
「師匠〜〜〜っ!!」
廊下の向こうから、別の騒音源が突っ込んできた。
帽子を目深に被り、黒マスクをした金髪の女子。
天王寺カレンだ。
「師匠! 探しましたよ! ほら、購買の限定パン、確保しました!」
カレンは俺と莉奈の間に割って入ると、戦利品のパンを掲げてみせた。
そして、俺の腕を掴んでいる莉奈の手を見て、マスク越しの目がスッと細まった。
「……師匠。誰ですか、その人」
「おい、師匠と呼ぶな」
「だって師匠は師匠でしょ! それより、なんでその人が師匠の腕を触ってるんですか? ……離してください」
カレンが莉奈の手をさっと外した。
莉奈が呆気にとられる。
「はあ? なにこいつ。……てか、鈴木くんの知り合い?」
「知り合いじゃありません。私は師匠の一番弟子です」
「弟子? イッミわかんない。鈴木くん、こういう痛い子がタイプなわけ? ウケるんだけど」
莉奈が鼻で笑った。
マウントの対象がカレンに向いたらしい。
だが、それは悪手だ。
カレンは莉奈を一瞥すると、ふふんと余裕の笑みを漏らした。
「痛い子で結構です。でも、その押し付けがましいやり方、ノイズですよ」
「なっ……!?」
「それに、師匠は忙しいんです。あなたみたいな『その他大勢』に構っている暇はないの。ねっ、師匠!」
カレンが俺の腕にギュッと抱きつき、これ見よがしに密着した。
柔らかい感触。甘い香り。
これは——『遮蔽ムーブ』の応用か?
いや、カメラもないのに、ただ俺を独占したいだけに見える。
「……離れろ、歩きにくい」
「いいじゃないですか! 虫除けですよ、虫除け!」
カレンは莉奈に向けて、「べーっ」と(マスク越しに)舌を出した。
圧倒的な格の差。
莉奈は顔を真っ赤にして、わなわなと震え出した。
「な、なんなのもう! 鈴木くんがそっち選ぶなら、もう誘ってあげないから!」
莉奈は捨て台詞を吐くと、ヒールの音を響かせて逃げるように去っていった。
後に残ったのは、微妙な空気と、俺の腕にへばりつく元トップアイドル。
「……行ったぞ。離せ」
「むぅ。……師匠、あの子とどういう関係ですか?」
カレンが離れようとせず、上目遣いで睨んでくる。
「ただの高校の同級生だ」
「ふーん。なんか、すごい執着されてましたよ? 『私を見て』ってオーラが出てました」
「気のせいだ。俺にはノイズにしか見えない」
「……鈍感」
カレンは不満げに頬を膨らませると、俺の腕をさらに強く抱きしめた。
「まあいいです。師匠の『一番』は、今のところ私(弟子)ですからね! 他のノイズに邪魔なんかさせません!」
「……俺の一番は静寂だ。お前もノイズだぞ」
「ひどっ! これだけ尽くしてるのに!」
ギャーギャーと騒ぐカレンを引きずりながら、俺は再び歩き出した。
やれやれ。
静寂を守るために契約したはずが、どうやら俺の周囲はますます騒がしくなっている気がする。
——だが、俺たちは気づいていなかった。
逃げ去ったはずの莉奈が、廊下の角からこっそりと顔を出し、こちらを睨みつけていたことに。
「……なによ、あの子。ムカつく……」
莉奈は唇を噛み締め、スマホを取り出した。
悔しさと、奇妙な敗北感。
そして何より、地味なはずの鈴木優斗が「何か」を隠しているという女の勘。
「……確かめてやる」
彼女の視線は、俺たちが向かう先——裏庭の廃温室の方角へと向けられていた。
(あそこに、何があるの……?)
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次回「参謀の指導、全部裏目に出る(苔が傷む)」。
カレンの恋愛プロデュースが始動しますが……方向性がおかしいです。
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