第4話『契約:弟子入りと恋プロデュース(ただし聖域厳守)』
静寂が戻ったはずの廃温室に、招かれざる「熱量」が渦巻いている。
「ねえ聞いてる!? すごいわ師匠! さっきの動き、完全に気配が消えてた! あれこそ私が求めていた『透明になる技術』だわ!」
雪代透子が去った後の温室で、天王寺カレンが俺に詰め寄っていた。
その瞳はキラキラと輝き、マスク越しでも鼻息が荒いのがわかる。
彼女は俺の「対人遮断の手順」を、勝手にこう命名した。
——**《モブ道》**、と。
(……やれやれ)
俺は心の中で溜息をついた。
俺がやっているのは、単なるノイズの遮断だ。
気配を殺し、死角を選び、会話を最短で切る。
静寂を守るための実務的な「手順」にすぎない。
だが、この元アイドルにとっては、それが魔法か奥義のように見えるらしい。
「断る。俺は弟子を取らない主義だ」
「えーっ! ケチ! いいじゃない、減るもんじゃなし!」
「減る。俺の精神的安寧と、この場の静寂がな」
俺は冷たく言い放ち、荷物をまとめ始めた。
これ以上、彼女に関わればロクなことにならない。
さっさと撤収して、明日のためにこの場の「ログ(痕跡)」を消さなければ。
「待ってよ師匠〜! 私、本気なの!」
「ついてくるな。あと師匠と呼ぶな」
「じゃあ……『取引』しましょ?」
カレンが俺の前に立ちはだかり、ニヤリと悪戯っぽく笑った。
その表情は、ステージ上のアイドルではなく、少し小悪魔的な響きを帯びていた。
「師匠、あの子のこと好きなんでしょ?」
「……」
「図星ね! さっきのあの子を見る目、完全に『推し』を見るファンの目だったもん! 私にはわかるわ、だって視線を浴びるプロだもの」
俺は動きを止めた。
否定はしない。雪代透子は俺にとっての「神」であり、その隣にある静寂は、何にも代えがたい価値がある。
だが、それを「好き」という俗世の言葉で括られるのは、少し違う気もするが——
「で、どうするの? 一生、物陰から拝むだけで終わる気?」
「それで構わない。干渉はノイズだ」
「嘘つき。本当は、あの子の『特別』になりたいって顔してる」
カレンが指先で、俺の胸をツンとつつく。
「私なら、協力できるわよ」
「……協力だと?」
「そう! 私を弟子にしてくれたら、その見返りに——師匠のその地味すぎる恋、私がプロデュースしてあげる!」
カレンは胸を張り、高らかに宣言した。
「元国民的センターの私が、恋愛参謀になってあげるって言ってるの。認知のさせ方、好感度の上げ方、全部教えてあげる。……どう? 悪い話じゃないでしょ?」
俺は眉をひそめた。
恋愛プロデュース。
普通なら願ってもない提案かもしれない。だが、相手は「静寂」を愛する雪代だ。アイドルの派手な戦術が通用するとは思えない。
だが。
現状、雪代との関係は「黙認」で止まっている。
もし、このまま何も変わらなければ、いつか彼女は俺を完全に「背景」として処理し、俺の存在すら忘れてしまうかもしれない。
それは……少し、怖い。
(……それに、こいつを野放しにする方がリスクが高い)
特定班に追われる彼女が、勝手にここへ逃げ込み、騒ぎを起こす未来が見える。
ならば、俺の管理下に置き、制御する方が合理的か。
「……条件がある」
「! 乗った!?」
カレンがパァッと表情を明るくする。
俺は人差し指を立て、厳格なトーンで告げた。
「一つ。この
「うっ……努力します」
「二つ。その『オーラ』を消せ。お前は存在自体が光源だ。苔には有害な光だから、ここではスイッチを切れ」
「ひどい言い草! ……わ、わかったわよ。オフにすればいいんでしょ、オフに」
カレンが深呼吸し、ふぅっと肩の力を抜いた。
まとっていた華やかな雰囲気が、少しだけ収まる。
……やればできるじゃないか。
「三つ。俺の指示には絶対服従だ。特に『隠れろ』と言ったら、秒で従え」
「了解です、師匠!」
「よし。……契約成立だ」
俺が短く告げると、カレンは満面の笑みで右手を差し出してきた。
「よろしくね、師匠! あーあ、こんな地味な師匠を持つなんて、私の人生最大の汚点かも!」
「嫌なら辞めろ」
「冗談よ。……ふふっ」
俺は渋々、その手を握り返した。
契約の握手。
あくまで形式的なものだ。すぐに離すつもりだった。
だが。
「……」
「……おい」
「ん? なあに?」
「長い。離せ」
カレンは俺の手を両手で包み込み、なぜか離そうとしない。
それどころか、ギュッと力を込めてくる。
柔らかい掌の感触。
彼女の体温が、俺の皮膚を通して伝わってくる。
「……師匠の手、意外と大きいのね」
「関係ない。離れろ、密着はノイズだ」
「いいじゃない、契約の証なんだから。それに……」
カレンは上目遣いで俺を見上げ、マスクの下で少し恥ずかしそうに呟いた。
「誰かに『守られる』って約束……久しぶりだから。少しだけ、安心させてよ」
その瞳が、不意に揺れていた。
トップアイドルとして常に矢面に立ち、評価と視線に晒され続けてきた孤独。
今の彼女は、ただの「逃げ場所を探している女の子」に見えた。
(……チッ)
俺は舌打ちを飲み込み、強引に手を振りほどくのをやめた。
数秒間。
静寂の中で、俺たちは手を繋いだまま立ち尽くした。
雪代が見たら即退場処分の光景だろう。だが、今は俺たちしかいない。
これはノイズではない。契約履行のための、必要な儀式だ。そう自分に言い聞かせる。
「……そろそろいいだろ」
「あ、うん。ごめん」
カレンがパッと手を離し、慌てて背を向けた。
耳が少し赤い気がするが、見なかったことにする。
「よし! じゃあ早速、作戦会議よ師匠! あの子を落とすためのプラン、私が練ってあげる!」
「期待はしていない」
「失礼ね! 私のアドバイス通りにすれば、一週間で認知、一ヶ月でデートよ!」
カレンは自信満々に鼻を鳴らし、スマホを取り出した。
「そのためにも、まずは情報収集ね。……あ、そうだ」
彼女は何かを思い出したように、スマホの画面をタップし始めた。
チラリと見えた画面には、風景写真ばかりが並ぶ、フォロワー数の少ないSNSアカウントが表示されていた。
「……何だそれは」
「ん? これ? 私の『裏垢』よ」
「裏垢だと?」
「公式じゃ言えないこととか、綺麗な景色の写真とかをひっそり上げてるの。誰にも教えてない、私だけの秘密の場所」
カレンは楽しそうに画面をスクロールしている。
投稿されているのは、空の写真や、道端の花、そして——さっき撮ったであろう、廃温室の入り口の写真。
『素敵な場所見つけた。ここなら息ができるかも』
そんなポエムと共に投稿されていた。
俺の背筋に、冷たいものが走った。
秘密の場所。お忍びアカウント。
それは「特定班」にとって、最高のご馳走ではないか。
「おい。まさか位置情報は入れてないだろうな」
「入れてないわよ。私だってプロだもん」
「写真の背景は? ガラスの反射は? 特定される要素はないか?」
「大丈夫だってば! 師匠は心配性ね〜」
カレンはケラケラと笑い、スマホをポケットにしまった。
その無防備な笑顔が、俺には時限爆弾のタイマーに見えて仕方がなかった。
こうして。
俺の愛する聖域に、「元トップアイドル」という名の、あまりにも騒がしい弟子が住み着くことになった。
これが、俺の愛する静寂が音を立てて崩れ去る、その序章だったとは知らずに。
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次回「無理陽キャ、拗れ恩義で噛みつく」。
師匠の過去を知る(?)厄介な女子が登場します。
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