月の都———


地上から連れ去られたかぐや姫、ファニは、王宮まで移送されていた。しかし、帰還中に受けた二度目となる記憶操作の影響からか、記憶とともに表情すらを失い、言語機能にも影響が生じている。


 元々反抗の罪人として流刑とされていたファニであったが、カンサの取り計らいにより、今は来賓の部屋を与えられている。侍女も付けられ、周りの世話などをしてもらっているが、誰がどのように話かけても反応を示さない。茫然自失のまま身繕いのみを整えられ、王の間へと連れてこられた。そこで待ち構えていたのはカンサである。傍らにはディランも立っていた。

「ご苦労であった、下がってよいぞ」

 ファニを送り届けた侍女たちが頭を下げ、退出していく。廊下で二人が囁き合う声が漏れ聞こえる。

「あのおめかしは一体…?」

「ファニ様を側室に加えるおつもりとか・・・」

「そんな・・・アシャディ様が何とおっしゃるか・・・」


 当然ながら、アシャディもファニの帰還を知っている。気が向けば様子を見に来て、気晴らしに痛めつけなどするだろう。もしカンサのこの丁重な扱いを知ったなら、いや、そもそも延命を図っているなどと知れれば、アシャディの激流のような憤怒が吹き荒れることは想像に難くない。しかし、アシャディは皇后となる身ではあるが、カンサとの間に世継ぎを得てはいない。もしファニが皇帝の子を身籠もったとなれば、たとえ皇后であろうと軽々しく手出しはできぬはず・・・というのがカンサの思惑であった。旧王家の血を引く世継ぎともなれば、帝国にとって政治的価値は計り知れない。だが、そのような政治の機微が、あのアシャディにどこまで通じるものかと、ディランは思案していた———


 ファニは虚空を見つめている。それを見てカンサが不気味に微笑む。このような状態のファニを見て、彼の劣情は鎮まるどころか、かえって激しく燃え上がっていた。

「しかし、ディラン、以前より育って見えるな」

「はい、月の都と穢れの地では、時間の流れが異なるためです」

「そうか・・・ぬふふ」

 カンサは立ち上がり、ゆっくりとファニに近づいていく。

 ファニは相変わらず、虚空を見つめている。朦朧もうろうとする意識の中、権力者然の男の前に連れられてきたことは分かる。もしこの男に逆らえば、ただでは済まないだろうと本能が察している。一体何がこれから起こるのだろうか———


 カンサはファニの前に立ち、勝ち誇った表情で告げた。

「ファニよ、お前に、我が側室となる名誉を与えよう。寛大な心で、お前の罪を許してやる。『王家』の血筋を残せるのだ。お前にとっても悪い話ではあるまい」

 カンサの言葉を途中まで無表情で聞いていたファニであったが、急にカンサを睨みつけ言い放った。

「下賤な者。控えなさい。私を王女と知っての振舞いですか?」


 王の間に静寂が落ちる。それまで茫然としていたファニが、今度は毅然と言い放ったのだから、その場にいた人間は一様に驚いた。傍らで見ていたディランも息を飲む。それどころか、ファニすらも自身の言葉に驚いた表情をしている。『王家』という言葉を聞いた瞬間、急激に意識の靄が晴れた感覚となり、口が自ずと動いたのだ。

「何!?何と言った!?」

 ファニの誇りに満ちた言葉が、カンサの醜い欲情に突き刺さった。カンサの顔が見る見るうちに紅潮する。

「聞こえませんでしたか?そなたの手に落ちるなら、死んだほうがまし、と」

 ファニの冷たい声が王の間に響く。カンサは震え上がり、ディランの方を振り返った。

「お、おいディラン!記憶はなくなったのではないのか!?」

「そのはずです・・・」

カンサは臣下の前で誇りを大いに傷つけられ、いやそれよりもファニへの愛憎により取り乱し、発狂した。

「おのれ!こいつを牢に入れておけ!」

兵士たちがファニを連行していく。彼女は最後まで毅然とした態度を崩さなかった。

「なぜだ!?」

王の間で一人、大声をあげるカンサ。ディランは思い煩うような表情のまま、カンサの怒声を聞いていた。

「記憶の操作だ!今度は徹底的にやれ!」


 翌日、ファニは再び王の間に引き立てられてきた。度重なる記憶操作の影響であろうか、昨日よりも表情を失ったように見える。昨晩は結局、牢で過ごすこととなったものの、また新たに身繕いをされていた。カンサが恐る恐る話しかける。

「ファニよ、昨日は取り乱してすまなかった。改めて言おう。お前を我が妻として迎えたい」

 記憶を失ったとて王女。その誇りが残っているのかと、今日こそはファニの感情を刺激しないようにと、カンサは下手に出た。

「すでに答えたはずです・・・弁えなさい」

と、ファニの反応は昨日と変わらない。

「貴様・・・!」

ファニの悠然とした態度に、カンサの理性が完全に吹き飛んだ。

「見下しおって!」

カンサは直情的にファニの首を絞めあげた。ディランがいち早く進み出てカンサを後ろから抱きかかえる。周囲の兵士たちは茫然とそれを見ている。

「落ち着いてください!この者は、式典の日に処刑することとなっているのです!」

式典の日とは、謀叛軍がこの星の政権を握ったとして、国民に向け帝政の立ち上げを宣言する式典を予定している日だ。また、この式典開催に合わせ、地球の攻略を行う予定ともなっている。

「ディラン、離せ・・・」

「カンサ様!」

 ディランの鋭い声が王の間に響いた。カンサの動きが止まり、手の力がゆっくりと緩んでいく。


「民衆の前で、罪人として処刑してこそ意味があります。ここで感情に任せて殺しては、ただの私怨と思われましょう」


 カンサはもともと、地方貴族であるアッセイ家出身のしがない軍人であった。昔、王宮に招かれた際に見た王妃の美しさに心を奪われ、その時から王妃へ劣情を抱くようになり、同時に、自身の地方貴族という出自に激しい劣等感を覚えるようになった。

 その数年後、廃嫡されたアシャディとの婚姻が取り決められる。カンサは当初、アシャディの美貌や、傍系とは言えど王家の血筋を持っていることを気に入って舞い上がっていたが、結局、指一本触れることを許されず、罵倒され、彼の精神はさらに歪んでいった。不幸なのも、上手くいかないのも、なにもかも自身の出自のせいであると。その歪んだ精神が、ファニへの異常なまでの執着につながっていた。

「王妃とは似ても似つかぬ!身の程知らずの小娘が!穢き地に触れておかしくなったか!?忌々しい!」


 かくして、投獄されたファニは、石造りの冷たい独房で、壁にもたれて座っていた。表情はうつろだが、記憶を少しずつ取り戻しているのか、時折、

「私は王女・・・」

などとつぶやいている。


 足音が響く。ディランがやってくる。しばらくファニの様子を見た後、看守に告げる。

「この者は処刑するその時まで死なせるわけにはいかん。必要なものは与えておけ。もう一つ、使者の話では、防疫薬ぼうえきやくをろくに飲まず、穢き地に下してしまったとのことだ。あの穢きの病を宿している可能性がある。今は式典前の大事な時期、病を広めるわけにはいかん。誰も近づけるなよ」

「はい」

 看守が頭を下げる。ディランはもう一度ファニを見やった後、その場を立ち去っていった。

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