第二十一章 かぐや、思し嘆く
「あそこです」
ファニが指差す先には丘陵地帯が広がっており、その丘陵に挟まれた谷の一部が、基壇のように造形されている。ツクヨミが降り立つと、土ぼこりが舞い上がり、大きな円を為した。
田人はファニの手を取り、体を支え機体から降ろす。
「ありがとう・・・少し、歩けそうです」
ファニの足取りはまだ不安定だったが、その表情はどこか満足げであった。基壇の中心部に歩み寄り、跪く。床に積もった土を左右に払いのけると、起動装置のようなものが現れた。
「これですね・・・」
ファニが装置を起動すると基壇全体が揺れ始めた。装置周辺の地面が土埃を上げながらせり上がり、演台のような構造物を形作る。
田人が息を呑む。
「これが・・・星間放送設備」
ファニが演台の中央に立つと、彼女の周囲の空間がかすかに光り始めた。
「・・・かつて初代の王がこの地で建国を宣言、宇宙の諸文明に向けて月の都の誕生を告げたと・・・」
田人は演台に立つファニの背中を見つめていた・・・
これだけ痛々しい姿をしていながら、その背中は、あの夜、月を見て嘆いていたかぐや姫の背中より、何倍にも大きく見えた。これが彼女の本来の姿。
わかっていたことではあったが、このように目の当たりにすると、その存在があまりにも遠く感じられた・・・
機器が唸る。演台を取り囲むように、周辺の床面から柱が突き出る。
「これで皆に・・・」
そう呟くファニ。
田人はその肩越し、まだ遠方の空に、追っ手の航空隊と思われる機影を視認した。
「・・・王女様、我は偵察に行ってきます」
ファニは田人に申し訳なさそうな表情を向け、小さくうなずく。
「あの・・・気を付けてくださいね」
「王女様も。では」
田人はすぐさまツクヨミに乗り込み、再び飛び立つ———
ツクヨミには、攻撃の手段など積まれていない。月の結界を超える、それがツクヨミの最重要機構であり、武器など積めば、結界で自爆することとなる。
とはいえ、ツクヨミの機動力があれば、安定性は欠くものの、月の都の航空機を凌駕するほどの速さが出せるはずだ。この強みを生かせば、攪乱や陽動はできる———
中央広場では、数々の悪事を暴かれたアシャディが声を荒げている。
映像には、横領の数々の証拠、そして、有史以来、月の都の最大の悲劇と言われている王、王妃、将軍の爆殺事件、当時移民の犯行とされていたこの事件が、実はアシャディとマールムによって行われたという、王族暗殺計画の証拠が映し出されていた。
「誰か!誰かいないか!この映像を消せ!この映像は作り物だ!」」
———その時、映像が再び切り替わった。そこに、一人の女性の影が映る。むしられた髪、やつれた頬、しかしその瞳に宿る揺るぎない意志の光。民衆がそれがファニであると気づくまでに、さほど時間はかからなかった。
「王女だ!」
「ファニ様だ!」
「何というお姿・・・」
映像を見て、絶叫するアシャディ。
「消せ!なんだこの映像は!消せ!」
しかしその声は、もはや周囲の者にしか届いていない。すべての放送設備は、王家の谷の装置によって、接続が切り替えられていた。
「・・・愛する民よ」
ファニの声が、静かに響く。
「私はファニ・チャース・トア。王女として、皆さんに伝えたいことがあります・・・王宮を追われてからこの時まで・・・どれほどあなたたちを想っていたか・・・言葉では表せません」
中央広場の民衆が息を呑む。アシャディの狂乱とは対照的な、落ち着いた声。
「今、帝国軍の行いや他文明への侵略を、とても悲しく思っています。兵たちよ、あなたたちも私の愛する民です。不本意にも、力に従わざるを得ず、武器を取り、故郷を離れ、家族と別れ、どれほど辛い思いをしていることでしょう」
地球に進攻している艦隊も、この放送を傍受していた。ファニの言葉に涙を流す兵もいる。
「もう十分です。もう帰りましょう。愛する人達のもとへ」
「殺せ!」
中央広場の民衆は、叫びをあげるアシャディを唖然と見つめていた。先ほどまで「皇帝の死を悼む悲しい皇妃」を演じていた女性が、取り繕いもなく狂気を露わにしている。その無惨な存在は、月の民の品位を貶める粗悪な陰刻のようであった。
王家の谷で、ファニが続ける。
「長い歴史の中で培われた知恵、互いを思いやる心、そして何より、愛し合う力。
これこそが私たちの誇りです。これこそが私たちの宝です。
もう十分です。もう帰りましょう。愛する人たちのもとへ。私たちには、争う理由などありません・・・
———この星は、とても美しかった。
この月を見上げては、その美しさに心が震え、勇気をもらいました・・・」
ファニの頭の中に記憶が蘇る。そうだったのだ。自分はあの星に送られ、月を見上げていた。そして、地球で出会った人々。思い出が急激に巡る。思い出の数々、笑顔。
(希望を捨ててしまうのですか・・・!)
そう、田人の記憶・・・記憶が押し寄せる!
「そう、最後まで・・・希望を捨ててはなりません!」
その瞬間、ファニの目に、涙があふれる。
(あなたは、くじけそうな私を奮い立たせてくれた・・・そして、今も、こうして私を助けに・・・)
田人はこの時、かぐや姫の言葉を機内で聞いていた。その、あまりに崇高な民への愛を表すファニ。そのような大いなる存在に対し身勝手な嫉妬を抱く自分が、やたらと矮小な存在に感じられてしまっていた・・・
その時、親衛隊の飛行隊が、王家の谷に向けて爆撃弾を放った。
田人の陽動をすり抜け、ファニの姿を目視した一機の航空機。王家の愛を思い知り、謀叛に加担してしまった自分の未来に絶望する。アシャディに全てを狂わされた者の、錯乱の一矢であった———爆撃弾は煙を噴き出しながら、王家の谷に向け一直線に加速していく。
演台にいたファニがその存在に気付く。が、逃げる間など、あるはずもなかった・・・
———着弾するか否かの刹那、白き影が割り込んだ。閃光がほとばしり、爆音が鳴り響く。
激しい風圧に、ファニの体が綿毛のごとく吹き飛ばされる。ファニの盾となった白き影は、爆発の衝撃を受けその体を地面に擦り付け大きな音を立てながら、一直線に谷の岩壁へ吸い込まれていった。鈍い激突音が谷間に響き渡る。
大地を揺らす振動、舞い上がる砂塵と激突音の残響。その様子は中央広場にも映し出されていた。ある者は叫び声をあげ、ある者は耳をふさぎ、ある者は目を覆う。
アシャディは絶叫のまま、とうとう気を失い倒れこんだ。
———爆煙が段々と薄れていく。
激痛に意識を取り戻すファニ。衰弱した体、さらに今の衝撃による打撲で、体が支えられず、もはや立ち上がることができない。それでも、必死に這い寄る。ファニの頭の中に、田人とのこれまでの想い出が駆け巡る。目がかすむ。涙がにじむ。体中に痛みが走る。力が抜ける。目線の先には、谷間に突き刺さり、煙を上げる白き影、そう、ツクヨミがあった。
「いやっ・・・いやああああっ・・・!」
その悲痛な叫びを打ち消すように、谷間へ帝国軍の空挺が着陸してくる。親衛隊が次々と降りたち、隊列をなすと、一気に基壇を駆け上がり、乗り上がってきた。
「どうなった・・・?」
「わからない・・・」
あたりを見回す兵士達。飛び散ったミサイル弾の残骸。演台やその周囲には人影が見当たらない。航空隊からは、爆撃弾が演台へ直撃したように見えていた。
「あっ!あそこ!・・・生きている・・・?」
親衛隊が、土にまみれ這いずっているファニを発見する。
「よし、捕らえろ!殺すなよ!」
兵士たちはその言葉を合図に、何十人もの親衛隊がファニへ駆け寄っていった。
帝国がどのような状態であろうと、この王女され捕えられれば、幾分か有利な交渉が出来るはずだ。彼らがファニを捕らえようとする動機はもはや、帝国への忠誠心などではない。親衛隊がファニを取り囲んだ————
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