第十一章 桑麻呂、屋敷に現れる
さて、都の市中でも飛車の話は噂になっていた。帝が月にかぐや姫を迎えにいくらしいと、かぐや姫昇天以来の大騒ぎである。
その噂を聞きつけて、竹取の屋敷に桑麻呂が現れた。
「父君、都でも噂になっていますぞ。実際に飛車が空に浮く姿を見た者たちは、いち早く協力を申し出られた父君の目は確かであると、讃えております」
「そうか」
「我も父君の助けとなるべく、修めたる武芸を兵どもに施し、鍛えて進ぜようと思い、こちらへ参りました」
「そ、そうか」
「はい、噂になったと浮かれる兵に、武芸の厳しさを叩き込んでやりましょう」
「・・・そうか・・・それならばまず、訓練に参加し、兵達と気持ちを一つにするのがいいだろう」
と、中將はまず、桑麻呂に兵達と鍛錬を共にすることを薦めた。
しかし訓練は想像以上に厳しいものであった。走り込み、素振り、型稽古・・・桑麻呂も気力を振り絞ったが、途中で足がもつれ、転倒してしまう。
「そちらで休んで見ておけ」
これでは面目丸つぶれである。父君はこうなることを見透かしていたのかと、桑麻呂は口惜しがった。指南をすると豪語しておいてこの様では流石にばつが悪い。しかし何より、桑麻呂自身も一族の汚名を返上しようと懸命に武芸に励んできた身であるから、兵達がどのくらいの強者なのかは感じ取っていた。
「おい、そこの。水を持て」
桑麻呂はそばを歩きかかった一人の兵、炭売に声をかけた。
「吾でしょうか?」
「何だ?女か?他におらんだろう。早くしろ」
炭売が水筒を持ってきて桑麻呂に渡す。
「しかし何だというのだ、この者たちの気迫は。訓練とは思えぬぞ」
炭売は質問されているのか独り言なのかわからなかったため返事をしなかったが、
「汝に聞いておるのだ」
と言われ、
「皆、天人が来たあの日、この場にいた者たちです。戦う相手も、その差も知っている。だからこそ、訓練にも身が入るのだと思います」
と答える。
「天人に立ち向かえなかった兵たちであろう。あらかたその日に呼ばれた農民ども、失う名誉などあるものか・・・あの後、父君は腑抜けと
「・・・それは、吾に話しかけておられますか」
「大体、汝は何者だ?女の分際で武芸のまねごとなど。聞かせてみよ。どうせ大した身の上ではないであろう」
「吾は・・・」
法師に拾われる前———炭売は元々、農民の子であった。
炭売の住んでいた農村は凶作に見舞われ、さらに病が流行り壊滅状態となっていた。親、弟、妹・・・家族をことごとく失い、一人で生きる術など持たず、目を閉じていればそのうちに死ぬのであろうと、軒下にぼんやり横たわっていた。
物音に目を開ける。昨夕頃から、法衣を着た人間が村を訪れていた。村の惨事を聞きつけ、死者を弔いに来た法師。動けるものを集め、亡きがらを運んでいる。鼻を
「どうした、眠いか?」
声を掛けられたが、答える気はわかない。おそらくは先ほどの法師。この絶望に満ちた世界で、法師に何の役目があるのだろう。炭売は応じず、放っておくことにした。
「そうか、では、死ぬ前に腹ごしらえをしてはどうかな。それに、もっと内の方に来なくては。狸にかじられると痛いぞ」
そう言うと法師は、横たわる炭売の口の前に、笹の葉に巻かれた粟の握り飯を差し出した。その匂いに思わず目を開けたが、再び目をつむる。しかし口と腹が、その飯が食べたいと頭の中で暴れている。こんなにのどが渇いているのに、どこからかよだれが湧いてくる。
「腹が減っていては、死ぬことすらもままならんものだぞ。何も考えなくて良い。塩を塗ってある」
法師は飯を一千切り、炭売の口にあてがう。炭売は少し口を開け、それを含む。冷たく固い、しかし、おいしい・・・一粒一粒、残さず咀嚼する。
「よい味わいであろう」
そういうと、法師は残りの飯も差し出してくる。炭売は身を起こし、もう、どうとでもなれという気持ちでかぶりつく。
「水も」
法師はにこやかな顔で炭売の顔を見つめながら、水筒を見せる。こんなおいしいものを、自分だけが味わっていいのか。家族に申し訳がない。そう思いながら、食べることは止められない。夢中で食べきってしまった。空腹感が消え、安らかな気持ちになる。ああ、食べ終わってしまった。さぁ、もうこれで・・・そう思い、横たわろうとすると、
「食ったな?」
と、にやけながら法師が言っていた。
———腹が満たされたためか、いつの間にか眠っていたようだ。先ほどの飯が身になったのか、体に力が満ちている感覚がある。やがて目覚めに気づいた法師が、
「起きたか。さぁ手伝ってもらおう。汝は乾いた枝を集めてきてくれないか。わかるだろうか?このくらいの」
と言ってくる。勝手に食わせておいてとは思ったが、何か返さねば後味も悪いと思いと、なまった体を引きずりながら、懸命に枝を集める。そのうち、体がほぐれたか、いや、後は死ぬだけと思っていた人間が役目を得たからなのか、体が動くようになってきた。
「そこで十分だ、置いてくれ」
目線の先、掘り下げられた地面に遺体が堆く積まれているのが、ぼんやりと見える。なるべく視界に入らないように入らないようにと、目を伏せる。あのようになりたくはない・・・と、自分の心決めの弱さを恥じた。申し訳ないと思いながら、しかし視界には入らないように、拾い集めた枝を置く。家族を思い出す。薄情だと思っても、見ることが出来ない。とにかく枝を運ぶ。それを何度も繰り返した。
「助かった。では最後に、経を念じてやってくれ。そこからでよい」
「わからないのです。何も知らないのです」
「おお、口を利けたか。なに、難しいことではない。知らずとも、感謝の気持ちを念じるのだ。生かされた身として、この者たちの分も生きますと、強く思うこと」
「感謝・・・」
炭売は法師のまねをして手を合わせ、目をつぶる。家族、知人・・・どう感謝すればいいのかは分からず、ひたすらに申し訳ないと、ごめんなさいと念じる。
「火をかける。むごいようだが、放っておけばまた病のもとになる」
集まった村人たちにそういうと、法師は火をかけた———
炭売はその後、法師から水の分がまだだと因縁を付けられ、寺に引き取られた。炭売は寺で、汚れ仕事をやりたがった。特に炭作りを手伝い、村や町に売りに行くのは、自分の仕事だと譲らなかった。女の身であるからこそ、真っ黒に汚れた手を見ると、自分が穢れたようでなぜか安心した。自分が嫌いだった。自分だけ生き残ってしまったという罪悪感。法師に言われるまま結んでしまった、死んだ者たちの分まで生きるという約束。それが炭売にとって呪いとなっていた。
桑麻呂は余りに重い炭売の生い立ちに絶句した。明らかに、自分とは異なる世界を生き抜いている。
「と、ところで、汝もあの場にいた、という口ぶりだったな」
「その通りにございます」
「どうしてここにいたのだ?」
「はい、幼少の時分、寺からかぐや様に引き取っていただきました」
「あのかぐや姫を知っているのか。どんな人物であったか?」
「・・・かぐや様は、吾を救ってくれた、とても志のある方です・・・」
炭売はかぐや姫に引き取られた後も、心根から精進に励む田人に引け目を感じていた。自分は田人とは違う。なぜ自分の心は温まらないのだろうか。どうすればあのように、懸命になれるのであろうかと。
「かぐや様・・・吾は、この場にふさわしい人間ではないようです」
「なぜそのように思うのです?」
炭売は黙ってしまった。いじけたことを言ってかぐや姫を困らせるつもりも、構って欲しいわけでもない。本心から申し訳ないと思い、発した言葉であった。
「・・・法師様から伺っていましたよ。とても大変な経験をされたと。また、炭売はより良く生きたいという願望が、他の誰よりも一段と強い。その強い願望が、自身への厳しさにつながってしまっているのだと」
「いえ・・・いつまでも引きずっていじけているだけです」
「ああ、あと法師様がおっしゃるには・・・」
「あと?」
「面倒くさい子だと」
「えっ!?」
驚いた顔をする炭売の顔を見て、かぐや姫は満面の笑みを浮かべた。
「はあっはあっはあっはあっ!」
その大笑いを聞いて、
「法師様のまねです。どうです?似ていましたか」
「吾は・・・本当に悩んで・・・」
「ふふ、ごめんなさい・・・でもね、悲しみや苦しみを実際に経験したのは己だけ。だから、乗り越えることが出来るのも、己だけ。悲しみや苦しみは、一人に一つずつなのですから」
「一人にひとつずつ・・・」
「そう。他人が気持ちをわかってくれないなんて拗ねてみても、当たり前。逆にどうでしょう、わかっているなどと言われたら、今度は何がわかるんだと思うでしょう?ならば、前を向いて、弱い己すら受け入れて、進んでいくしかありません」
かぐや姫の励ましの言葉が、炭売はやたらと心に突き刺さる感じがした。顔面がこわばる。気づくと、涙があふれていた。かぐや姫がそれをぬぐおうとすると、炭売は慌てて横を向き、手のひらで無造作に目元をこする。
「・・・吾は・・・己が嫌いな己が、嫌いなのです・・・」
「そうですか。私は、炭売のこと好きですけど」
「・・・本当ですか?」
「本当ですとも。とてもまじめで、責任感が強い。そんな辛い思いをした炭売だからこそ、寄り添ってあげられる人もいると思います」
自分が人の役に立てるのか。苦しんでいる人、悲しんでいる人を救う人間になれるのか。あの、不条理に死んでいった者たちの分まで、生きることが出来るのか。
「・・・人は・・・変われるのでしょうか・・・?」
「大丈夫!どんな人でも変われますよ。・・・ああ、もちろん、元に戻るまでの間だけですが」
「何とも・・・味気の無い答えだな」
「そこが良いのです。かぐや様は当たり前だと思っていたことを
炭売は手のひらを桑麻呂に見せる。かつて炭で真っ黒になっていたという手のひら、今ではまめができ、皮が厚くなっている。
「元に戻らないためには、変わり続ければよい。これがあの場にいたものとしての心決めです」
「そ、そうか・・・」
桑麻呂は炭売の手を見て驚いていた。女の身でありながら、自分より鍛錬に励んでいるのではないだろうか。自分とは比べ物にならぬほど過酷な境遇にありながら、どこまでもたくましい。
「もう少し、ここで訓練をしていってもよいのかもな・・・」
桑麻呂はすでに気付いていた。ここにいる者に腑抜けは見当たらない。父を侮っていたのは他ならぬ自分自身ではなかったか、と。
「ところで、兵はこれだけか?」
「いえ、訓練の合間には、採掘の手伝いや輸送の護衛、屋敷の補強や修繕・・・これらも大事な役目となっています」
「そうであったか。それでもこの練度と気迫・・・」
口惜しい気持ちなど、いつのまにか、どこかへ消えていた。汗ばんでいた体の熱を、吹き抜ける風が涼やかに撫でていく。
「この水の恩、忘れぬぞ」
憧憬の念———桑麻呂は心の奥底に、暖かな火が灯るのを感じていた・・・
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