第八話 帝、勅命を下す

 ———田人が御前で話を始めてから、既にかなりの時間が経過していた。明り取りの窓から差し込んでいた陽の光も傾きはじめ、部屋隅に奉られた神杖を柔らかく照らしている。

  

 帝は今にも天に昇りそうな気持ちで、田人の話を聞いていた。

 かぐや姫がこの田人の存在を知らせようとしていたことは、まさに、飛車で月まで迎えに来てほしいという、なんともいじらしく奥ゆかしい恋心の表れに他ならないではないか、と。


 帝は姿勢を前のめりにする。

「かぐやは、余について、何事か語りおったか?」

「帝におかれましては、この国の偉大な王であられると。その御力みちからをもって天人を退け必ずやこの地に安らぎをもたらすでしょうと」

「他には」

「とても歌に心が深いお方であると」

「……他には?」

「風流なお方であると」

「……ほ、他には?」

「……」

 少年の困惑した表情を見て、帝は深いため息をつく。


「……まぁ、そのようなこと、従者に伝えることでもないか。ふむ。苦しゅうないぞ。して、かぐやは今どのように過ごしておるのだろうか?」

「はい、集めました情報から考えますと……」


 田人は現在のかぐや姫の状況を、苦み走った顔で話し始めた―――


 ◇ ◇ ◇


 かぐや姫昇天から二か月前———月の都、王宮、執政室にて


 謀叛軍は月の都の制圧をほぼ完了し、いよいよ帝国の建国に向けて準備を進めていた。アシャディはファニの召還と処断を主張する。以前はディランにいさめられ流刑に処すことに納得していたが、王家軍の勢いが風前の灯火ともなれば、もう処断の頃合いだと考えた。

「アシャディ様。あれからしかたっておらず、まだ十分に日が経っているとは言えません。慎重な判断をすべきです」

「ならば、いつまで待てと?」

 アシャディは、カンサがファニへ執心していることを見抜いていた。そしてディランを使い、ファニの延命を図ってくるだろうということも。

 

 ディランも当然、アシャディの勘の鋭さを把握していたので、こうなればと腹案を繰り出す。

「……いえ、有効に利用するのです。すべての罪を着せ、民の前で罪人として処刑をするのはいかがですか」

「ほう、民の前で……逆らう者がどんな運命を辿るか、見せしめにはふさわしいが」

「はい、帝政の立ち上げ、これを民に伝える式典での催しとして処刑するのが良いでしょうな。それによって王家の罪を清算させる」

「おお、それは……よいではないか……よい!それは待ち遠しい!」

 情景を想像し喜びに身震いするアシャディ。

「そうと決まれば、すぐにファニを召還しなさい!」

 高らかな笑い声を上げ、そそくさと執政室を退出していった。


 その残響が聞こえなくなるのを確認し、カンサがディランを睨みつける。

「どうするのだ!」

「アシャディ様の執念を甘く見ておりました……こうなれば、抑留の間にお手をつけなさいませ。皇帝の子を身籠もっているかもしれないとなれば、皇妃と言えど、処断はできません」

「全く、アシャディの奴め……」


 ◇ ◇ ◇


「何!?」

 突然大声を出す帝。

「こうしてはおられぬではないか!」

 帝は怒りを露わにした。

 飛車に乗って直接会いに行き、真意を確かめようなどと思っていたが、それどころではない。


「どうするのだ!?」

「はい、そこでございます」

 帝の緊迫感と打って変わって、なぜか落ち着いている田人を、周りの者たちは不可解に思った。帝へ軽率な返答をすれば、ただでは済まされない。そこにいた皆が、田人の次の発言に耳を澄ました。


 その田人、傍らに備える一人の武官の方へ向き直り、頭を下げて話し始める。

「あの夜、天人が、時の流れについて何と言っていたか、お話いただけませんか」

「あの夜……?」

 田人が話しかけたのは、かぐや姫昇天の夜、兵を率いて現場にいた高野たかの大國おおくにであった。彼もまた、本日はかぐや姫に関わる話があるとして、内裏まで参集されていた。

「時の流れ……天人はあの時、を片時と……さらには、翁を幼いと」

「まさにそこです。七十を過ぎた翁ですら、天人から見れば幼きものであると。月の都とこの地では、それほどに時の流れが異なります」

「つまり?」

「こちらの一年は、あちらではわずか一日に過ぎません」

「おお、ならば……」

「これより懸命に準備をすれば間に合います」

 それを聞いていた帝が、たまらず口をはさむ。

「本当か!?」

「内通者からは、かぐや様の処断は、月の時間で七日ほど後……つまり、七年ほどの時間があります」

「七年……」

「間に合うと申しましたのは、あくまでも懸命に準備をすれば、でございます。どうか必ず間に合わせよと、我に厳命ください」

 庶民の分際で帝に奏ずるなど許されることではない。しかし、田人の真っすぐな瞳と気迫に、帝は押されるように頷いてしまった。


 こうして帝との対面を果たし、救出に向けた協力を取り付けた田人、帝が御座を立った後も、貴族たちによる問答は続いた。ようやく解放されると、先ほどの役人が帰りの案内も申し出てくれる。

 この役人、堂々たる問答の様子を聞き、田人をどこか誇らしく親身に思ったようで、行きには見せなかった宮中の建物を解説してくれる。

 ———日が暮れ始めていた。御館にももう、人の姿がない。夕映えする静まり返った宮闕きゅうけつは揺らめいて見え、何か幽玄な雰囲気を放っている。


「では、また」

 役人へ丁寧にお辞儀する田人。さて、もうじき日没なれど、昼時とは違い大路には賑やかに、大勢の人々が行きかっている。門の近くに鍛冶場があるようで、風に乗って炭埃が香ってくる。実は田人、ここへ訪れた折から鍛冶場の存在が気になっており、帰りなら多少匂いが移っても構わないだろうと、しばし外からその様子を眺めていた。


「早速工匠の見定めか」

 不意に呼び掛けられる。


 振り向くと見覚えのある人物、声の主は頭中将であった。

「これは……都の鍛冶はいかにと、つい見入ってしまいました」

「熱心なことだ……先ほどはご苦労であったな。このように日が暮れれば、道中危うい。我が家で話などし、明朝に出立してはどうだ」

「有難いお話でございます……しかし、早く戻り、屋敷の皆へも伝えたいと」

「気持ちは分かる。だがな……先ほどの話、よく思わない者もいるのだ。そなたに何かあれば、帝もお嘆きになろう」

 帝のかぐや姫への執着が、様々な政治的思惑にとっては邪魔になるということなのであろう。中将は先ほどの問答の際にも場を取り成してくれた。それに、高貴な方からの厚意をこれ以上断るわけにもいかず、田人は申し出を受けることとした。


 中将の屋敷は宮城の門のほど近くにあった。高位官職らしく雅やかで格式高い造り、田人は案内された座敷で、丁重な歓待を受けた。


「あの夜のことは、今も忘れられぬ」

 中将が静かに口を開く。

「これからどうするつもりか。工匠を集めるとなれば、寝泊まりする場所や窯も必要であろう」

「はい、急ぎ用意をせねばなりません」

「衣服や食料の調達も大変であろうな」

 中将の関心は実務的な面にも及ぶ。他にも天人の技術や月の情勢など、談義は夜更けまで達した。


 翌朝、中将は田人のためにと、引き車や護衛の者まで用意してくれていた。

「そのようなお心遣いは恐れ多く…」

 田人は恐縮するが、中将は笑う。

「よいのだ。何かあっては困る。御帝のためにも、雪辱を果たすためにも、必ずや成し遂げねばならぬ」

「ご期待にお応えいたします」

「頼んだぞ……呪詛など企む者もおるかもしれん。不調があれば、遠慮なく申せ」


 引き車が動き出す。

「あのようなお姿、久々に見ることができたぞ」

「本当に。命の恩人だ」

 護衛たちは田人に感謝の意を伝えた。あのかぐや姫昇天の日以降、元気のなかった主が昨晩、久々に生き生きと話していたのを見て、皆が安堵の涙を流していたのだ。



 春とは言え早朝は凍える冷えがある。まだ薄暗い空の下、宮仕えの人々が出勤のため、大路を北へと歩いていた。

「あれほど美しい車とは」

「高貴な方の出立であろうか」

 人々は道の端によけ、朝風に震えながら、恭しく頭を下げて車が通り過ぎるのを待つ。誰が乗っているのかは気になるところだが、恐れ多く、直視はできない。車は静かに南へと向かい、やがて朝靄の中に消えていった。残された人々は、しばらくその後ろ姿を見送る。


 一方、車中の田人は身を小さくして座り、顔をあげることができない。頬が熱くなり、居心地の悪さで身をよじる。やがて都の大門を抜け田畑の道となると、先ほどより揺れが大きいものの圧倒的に心地良く、その伸び伸びとした田人の様子を見て警護の者がからかった。

 それにしても、中将の熱意には田人ですら感嘆を示した。あれほどに高貴な身にあって、武人の誇りにこだわることが出来るのは、帝への忠誠からであろうか。


 熱意、誇り、忠誠……


 景色を眺めながら、田人はかぐや姫との会話、昇天の日の一か月前のやり取りを思い出していた———

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