第3話

湿った空気の中で枝が擦れ、地面が踏み抜かれ、歪んだ軋み音が重なり合い、歪獣の大量の接近を認識する。その瞬間にはもう、視界の端で影が動いていた。


「来るぞ」


短い声。

二人ともそれで十分だった。


シェディは一歩、後ろへ下がる。加速のための溜め。

地面を蹴る前に、彼女の腕には魔紋が浮かび上がっており、稲妻を纏っている。


加速とは違う、稲妻の魔紋。

俺は彼女の魔紋を詳しく知らない。というのもその加速による速度で何をしているか分からないのが理由である。辛うじて感知することはできるが稲妻の魔紋が具体的にどのような力を持っているのか把握できていない。


最初にたどり着いた歪獣が、地を這うように飛び出した。


四足に近い姿勢。

特徴的なのはやはり裂けた口だろう。そして腕が異様に長い。爪が地面を削り、その爪で俺を殺しに来る。


俺は迎え撃たない。


一歩、前へ。

次の瞬間、歪獣の首は消えた。視界の端で、白い稲妻がはしった。


切断の音はない。重さだけが、遅れて落ちる。

熱で焼き切れたような断面だけが目に入る。シェディが歪獣の後ろにいることから彼女がやったのだと容易に想像が出来る。


特に作戦はない、ただ、殲滅するだけ。


ただ戦場で立ってるのが良い獲物に見えたのだろう、右から二体目がこちらを喰おうを口を開ける。歪んだ口が迫り、その強靭な歯に剣を返して半身で受ける。

衝撃が腕を打つが、既に魔紋が起動させてある。


力で押し返す。

剣が、歪獣の肩口から胸を割る。獣の喰いつこうとしていた口内まで刃が通り、肉が裂け、内側の熱が噴き出す。

そのまま歪獣を踏み台し、跳躍。それと同時に短剣を歪獣の傷口へ投擲する。


「爆ぜろ」


衝撃は内側だけを破壊し、肉体が内圧で崩壊する。歪獣は声を上げる暇もなく沈黙した。その間に、左から三体。奇形の歪獣が一体、大型だ。



(――速い、が)



シェディの方が速い。


加速の魔紋が、彼女の足で淡く光る。

踏み出した瞬間、彼女の姿は視界から消えた。


次に見えた時には、歪獣の視線が追いつく前に、喉元へ短剣が沈み、離れる。

一拍遅れて、身体が縦横無尽に切り刻まれた二体が崩れる。


「前、大型は任せたわよ」


後ろから聞こえたシェディの声。

既に剣を振り上げている。上段から、真っ直ぐ。


ただの力任せではない剣と身体を一直線に揃え、強化の魔紋で質量を更に上乗せする。俺に迫っていた大型種の四本腕。攻撃が届く前に俺の斬撃が、歪獣を割る。

こちらに触れる瞬間、歪獣の胴体が上下に分かれた。周囲に血と歪獣特有の腐臭が充満する。


剣が描く軌跡の中で、歪獣が次々と沈黙していく。

次々と俺たちは獣を斬り潰していく、シェディの加速の中で数体の歪獣が瞬きの間に死骸と化し、俺も強化の魔紋を局所的には発動させ、歪獣という異物の膂力を圧倒的上から捻じ伏せていく。


そして残り数体となった所で自分の中で警鐘が鳴る。

それと同時に俺は迎撃態勢を取った、受けきるのは無理という判断。斬り返しによる反撃、受け流し狙い。


迎撃態勢を取った瞬間、今までの歪獣とは比べ物にならないほどの速度で、死角から凶刃が飛んでくる。


ガギン、という鈍い金属音と共に理解する。


(これは…っ…流せない…ッ!!)


攻撃の衝撃で後方へ吹き飛ばされる。

が、すぐに態勢を整えて木々を足場に衝撃を吸収しながら着地する。


迷わず強化した肉体で接近し、剣を薙ぐ。

だが、首を狙った斬撃は容易に片方の爪で受け切られた。


暗闇で怪しげに光る緑の眼が、ギロリと俺に向けられた。

ゾクッ、と悪寒が走る。何よりもその場からの離脱を選択する。それと同時に、地面が奴の鋭利な爪で抉り取られた。……間違いない。




――落胤個体イレギュラー




俺達の前に姿を現したことで、その相貌が露になる。

それは歪獣の群れの中にあって、明らかに異質だった。


大きさは、中型種ほどではない。

人間より一回り大きい程度だが、存在感だけは今までの眷属のどれよりも重い。


まず、眼。緑色だった。

濁りのない、深い緑。腐臭や血に満ちたこの場所に似つかわしくないほど澄んでおり、二つの眼は獲物を見据えている。歪獣特有の知能なく喰いつこうとする浅ましさが、そこには一切ない。敵を殺す機会を伺っている。


顔つきは、獣より人に近い。獣のように歪ではない顔。だが決定的に違う、口だ。


口裂け、と呼ぶにはあまりにも深い裂け目が頬の奥まで走っている。

唇は薄く、裂けた両端は縫い留めたかのように歪み、閉じていてもその奥に歯列の白が覗く。


歪獣王種――裂く獣顎ヴァル=グラオスの眷属であることを示す、深い印。


歯は揃いすぎている。

獣のそれではなく、噛み砕くためではなく切断するために並べられた刃。

身体は細く、筋肉は無駄なく削ぎ落とされている。皮膚は灰褐色に近いが、所々に黒い紋様のような隆起が走っている姿。それは外傷ではなく、内側から浮かび上がった魔紋に似た構造だった。


二本の腕は異様に長い。

肘から先が不自然に伸び、指は五本。だが、それぞれが関節を一つ多く持ち、爪は湾曲し、金属のような鈍い光を帯びている。


動かずとも分かる、敵を殺すことに特化した腕だ。


(……しかも人間のように五本指で物を器用に扱うかもしれないと来たか)


脚は逆関節気味で、踵が地面についていない。

予備動作が掴みづらい、極めて戦いづらい相手。

いつでも跳べる。いつでも詰められる。逃走も追撃も、その一歩で完結する体の造り。


(その代わりに肉体が柔らかければ良かったんだが…)


剣で与えた感触でそれはないと否定する。

背中には、かつて翼だった名残のような骨の突起が左右に張り出している。

膜は失われ、だが骨だけが残りまるで不要になった殻のように脊椎に沿って並んでいた。


(……あれは、なんだ?)


呼吸は静かで唸り声も、無意味な咆哮もしない。

ただ、俺を見ている。


ゆっくりと緑の双眸が、戦場全体を舐めるように動き、死体の数、殺され方を観察しているようだった。


歪獣でありながら、知性を感じさせる動き。


だがそれは人の知性ではない。

王に仕えるために与えられた、戦闘のためだけの理解力。


落胤個体イレギュラー

いや、コイツは違う。落胤個体の中でも異質だ。


落胤個体とは本来なら王種のなりそこないに過ぎない、ただの大型種と何ら変わりはないはずだ。何か異質だったとしても、シェディが言っていたように嗅覚に優れていたり、筋力が異常発達するくらいだ。


変異が、歪獣の知性には影響を与えないと研究でわかっている。


(……おかしい)


その時、奴の裂けた口がゆっくりと開く。


声は出ない。

だが、その沈黙そのものが、合図だった。周囲の歪獣たちが、一斉に動きを変える。

残っていた歪獣全てがシェディの方を向き、彼女へ向かっていく。


――統制、している。


(……一対一ってか? ふざけやがって)


思わず、無意識に口角が上がる。

俺とシェディにとって、ではない。コイツは人類の脅威そのものだった。


(……コイツは、ここで殺さないと駄目だ)



コイツは何か違う、そう考えてしまう。

そもそも歪獣ですらないような……そんな異質さを感じる。


両者ともに動かない。いや、動けない。

お互いにカウンターを狙っている。



―――落胤個体は自身の攻撃で死ななかったモノを警戒している。


―――グリムも、想定外のイレギュラーに警戒している。




――膠着状態。




風が止まったわけじゃない。

だが、この場だけが妙に静まり返っていた。


血の匂いは濃く、地面には倒れた歪獣の死骸があちこちに転がっている。それでも、動くものはない。


落胤個体イレギュラーは、微動だにせずこちらを見ていた。


緑の眼が、俺だけを捉えている。

視線が合った瞬間、背筋の奥が冷えた。威圧じゃない。殺気でもない。観察だ。


――こいつ、俺を測ってる。


剣を握る手に、力を込める。

手の甲で、魔紋が淡く熱を帯び、骨と筋を締め上げる感覚が走った。重心が下がり、世界がわずかに引き延ばされる。人間のもう一段階上にいった感覚。


シェディの気配が、遠ざかっていく。

歪獣の群れに飲み込まれながらも、彼女はまだ生きている。シェディが追い付かれることはない。だが彼女にも限界がある。あの稲妻の魔紋の力は長くは持たない。消費魔力が多過ぎる。長期戦には向かない、彼女は短期決戦を得意とする。


だからその時々に稲妻を纏っている。


(……先に、こっちだ)


俺が一歩、踏み出した。


それが合図だったかのように、イレギュラーの裂けた口が、わずかに広がる。

歯列が見え、喉の奥の暗闇が覗いた瞬間、奴が弾けた。


(来るッ!)


踏み込みが、異常に速い。

音が遅れてついてくる。地面が抉れ、土と血が跳ねる。


剣を振るのではなく、置く。

瞬間の速度では勝てないと判断し、相手の速度で奴を殺す算段に切り替える。横薙ぎではない。刃を空間に固定するように差し出した瞬間、衝撃が走った。


――重い。


金属が悲鳴を上げ、剣を持つ腕が根元から持っていかれそうになる。爪だ。

鋭い爪が、剣身を掴み、叩き落とそうとしている。


咄嗟に、強化の魔紋に追加で魔力を流す。骨が軋み、筋肉が強引に引き締められる感覚。だが、次の瞬間、腹部に衝撃。

蹴りだ。逆関節の脚が、あり得ない角度から突き刺さる。


「っ、ガハッ!!」


息が詰まる。鈍痛が走り、口から鮮血が滴る。

蹴りの衝撃で宙を舞い、背中から樹木に叩きつけられた。


(――速いッ! シェディ程じゃないが。目で追うのは難しいか…ッ!!)


やはり奴の体の構造を見るに生物特有の予備動作がない。

王種や魔女より、余程やりづらい。


転がりながら体勢を立て直す。

着地と同時に、短剣を一本、投擲する。イレギュラーは避けない。腕を振り、叩き落とす。触れた瞬間、爆発。爆音と衝撃が全身を殴る。魔紋を付与した短剣の衝撃と閃光が炸裂し、奴の肉片と血が舞う。


だが、手応えがない。


煙の中から、緑の眼が、変わらずこちらを見ていた。

腕の外皮が裂け、焦げている。だが、致命傷はない。明らかな軽傷。


(……込めた魔力が少なすぎたな)


いつかの魔女の時の四分の一の魔力。あの一瞬ではそれほどの魔力は込められなかった。奴の裂けた口が、さらに歪む。


――笑っている。


俺が立ち上がるより早く、イレギュラーの姿が消え、影が落ちる。


(上ッ!!)


剣を逆手に持ち替え、頭上へ突き出す。


爪と刃がぶつかり、火花が散った。

何度かの攻防、斬りつけ合うごとに互いに傷が増えていく。けれど確実に疲労は、限界が近いのはこちらだ。押される。明らかに、力負けだ。


イレギュラーの身体が、空中で捻れる。それは肉体の可動域を越えた挙動。


次の瞬間、肩口に激痛。

爪が食い込み、肉を裂いた。


血が噴き出す。だが、俺は笑った。

逆境で前へ進む。あの時とは違い、自ら死地へ踏み込む。


痛覚を無視して、踏み込み剣を引く、至近距離での突き。狙いは喉。

突きで空気が分けられる音が聞こえてくるほどに速く、鋭いそれは裂けた口の奥、そのさらに奥に狙いを定めた。だが、イレギュラーは首を引かない。

代わりに、噛みついてきた。自ら前に出ることで剣の軌道を僅かに曲げ、威力をも殺した。


「……ッ!!」


歯が、剣身を噛む。金属が軋み、刃が悲鳴を上げる。

ギギギッ!、という音が聞こえてくる、まだ愛剣は耐えている。


(剣を離すかッ!? いや、ここで剣を手放すと終わる…っ……どうするッ!!)


至近距離で、視線が交差した。


深い緑の眼。

そこには、迷いも恐怖もない。理解していっている。

俺が、人間であることを。そして、人間の限界も。


「っ…上等だァッ!!」


左手を離し、導器を抜く。

ほぼゼロ距離。



―――引き金トリガー



白銀の弾丸が、イレギュラーの顔面で炸裂した。


轟音。導器の魔法術式構築を弄った。射程を犠牲にして、威力に全振りした一撃。

衝撃波と強い光が、互いを引き剥がす。俺は後方へ転がり、地面を抉って止まる。

視界が揺れる、耳鳴りがする。だが、立ち上がる。


煙と砂埃の向こう。

イレギュラーは、まだ立っていた。


体はだらりと脱力したまま顔の半分と片腕が吹き飛び、緑の眼が一つ潰れている。それでも、残った片目が、こちらを見据えていた。裂けた口が、血と涎を垂らしながら、さらに開く。


奴は相も変わらず吼えない。


剣を構え直す。剣に衝撃を付与し、斬る同時に奴に衝撃を、直接体内に叩き込む。

息を吐き、全身に広がる強化の魔紋を限界まで引き上げる。骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる。


【魔紋解放――閼伽アカ


器が血で満たされる。魔紋から血と淡い光が滲みだし、目からも血が流れてくる。剣を握る手からミシミシと軋む音が聞こえる。魔紋が燃えるように熱い。

俺の奥の手の一つ。


……この状態は、長くはもたない。


(ここで、終わらせる)


遠くで、雷が落ちたような爆音。

シェディの方だ。まだ、生きてる。


なら、やることは、一つ。



(…………殺す)



明確な殺意で、己を塗りつぶす。視界の奥で、何かが弾ける感覚。

眼球の内側、細い血管が耐えきれずに切れ、熱いものが滲む。


瞳が、赤く染まる。


まるで――

黄昏でもなく、夜明けでもない。



血を流した空が、世界を覆う瞬間のように。



視界は歪み、色彩が落ち、ただ一つの敵という存在だけが、異様なまでに鮮明になった。





……イレギュラーは敵の変化を感じ取った。




――ナニかが変わった。



身構える、敵を見据える。

瞬間、半身が軽くなった。気付いた時には、後ろにいた。





狩人が。




一太刀で、落胤個体イレギュラーの片腕を斬り飛ばす。

体が脱力した瞬間に生まれた関節の隙間。そこに一撃。今までの苦労が嘘のように斬れた。斬り飛ばされた片腕が、音もなく地面に落ちる。


次の瞬間、落胤個体イレギュラーは飛び退いていた。


理性での後退ではなく、反射で。

恐怖というモノが、その存在の奥底で初めて形を持った、その結果の逃避。


剣を握り、踏み込む。

その踏み込みで大地が砕け、体が悲鳴を上げる。剣が唸り、落胤個体の眼前へが迫る。今までの比にならない速度。


イレギュラーは残った腕で迎撃に出た。

爪が振るわれ、衝撃波が走る。だが、剣が先に届いた。


斬撃。

肩口から胸部へ、深く、深く入り込んでいく。


まだ硬い、王種に近いが経験からみてもグリムが経験した王種の強度を上回る。

イレギュラーの異質な抵抗感。



それでも、斬れる。



衝撃付与。

斬った後に、破壊が来る。


体内で衝撃が炸裂し、イレギュラーの胴体が不自然に膨らみ、次の瞬間、血と臓腑を吐き散らして後方へ吹き飛ぶ。


地面に叩きつけられたその瞬間、イレギュラーは四肢で跳ね起きた。こちらも前より動きが、速い。先程までのまでの余裕はない、完全な獣としての挙動。


裂けた口が大きく開く。

咆哮はない、だが代わりに空気が歪む。圧。

殺意と恐怖が混じり合った、異様な威圧。イレギュラーの眼が充血し、こちらも赤く染まった。


突進。


正面から、逃げる素振りもなく、ただ質量と速度だけを武器に突っ込んでくる。残った爪と獣としても牙で狩人を喰らおうとする。


剣を正眼に構え、迎え撃つ。


激しい衝突。

爪と剣が噛み合い、火花が爆ぜ、衝撃が腕を貫き、全身が悲鳴を上げる。

魔紋が限界を越え、皮膚の下で赤く、赤く、血のように脈打つ。


イレギュラーの眼が揺れる。

緑の瞳孔が、わずかに収縮するのがグリムには分かった。


――俺を恐れている。


それを理解した瞬間、踏み込みを変える。

力を抜き、わずかに角度をずらす。


バランスを崩した落胤個体の懐へ潜り込む。


至近距離で剣を反転。

肘から肩、背骨へと、連続斬撃。


落胤個体の抵抗虚しく、肉体が切り刻まれていく。

斬られれば斬られる程、剣に込められた衝撃の魔紋の効力が働き、内側からもイレギュラーの肉体を破壊していく。



斬る。


斬って、斬って、斬って、斬って――壊していく。



肉が裂け、骨が砕け、体内で衝撃が連鎖する。


それでも、イレギュラーは倒れない。残った腕で、必死に掴みかかってくる。

爪が胸を掠め、装甲を削り、血が噴き出す。。視界が揺れるがだが、止まらない。


腹部へ、全体重と魔紋の出力を余すことなく蹴りを叩き込む。

踏み抜いた足裏に伝わるのは、骨でも筋でもない、臓器が潰れる感触。

ぬめりを伴った嫌悪と確信が、遅れてこちらに伝わってきた。


次の瞬間、鈍い破砕音。

イレギュラーの巨体が、あり得ない軽さで宙を舞う。


裂けた口から、黒い血液が噴き出した。

それは吐瀉ではなく、内部から溢れ出したものだった。


空中。

重力を無視した歪な挙動で、落胤個体イレギュラーは身体を捻り、こちらを向く。




――咆哮。




それは声ではなかった、絶叫だった。



恐怖と怒りと屈辱を混ぜ込んだ、初めての、そして最後の叫び。




だが、それをするには遅すぎた。



イレギュラーが咆哮した、その刹那。グリムは、すでに眼前にいた。

着地する前に、追いつく。必ず追いついて、殺す。



落胤個体は人の心などもちろん読めない。

だが、この人間の顔を見て何故だか理解が出来た。



――シヌ、と。



それは、確信だった。


剣を振り絞る。骨が軋み、筋が裂け、血管が耐えきれず弾ける。体内の臓器も数々の攻撃と酷使で酷く損傷している。


だが、そんなことはもうどうでもいい。


閼伽アカ


この力を使うのは、初めてではない。

肉体を壊しながら振るう戦いには、とうに慣れている。


腕から血が噴き出す。

自身の視界が赤く染まり、輪郭が滲む。


――それでも、構わない。


ただ一言。




「死ね」




剣を全力で振り下ろす。

剣に滴った自らの血液で、剣は赤い軌道を描く。


それはまるで赤い月が円の輪郭をなぞるような一閃だった。


剣が落胤個体に触れた瞬間、衝撃が解放される。

体内から、内側から、爆ぜる。




落胤個体イレギュラーの上半身が消し飛んだ。




肉も骨も、王種に近いその異質な構造すら、耐えられない。

爆風と血煙が広がり、胴体だけが地面に転がる。咆哮は、途中で途切れていた。


沈黙。


遅れて、吹き飛ばされた黒い血液が、雨のように降り注ぐ。粘ついたそれが、グリムの身体を濡らし、剣を汚す。


そして魔紋が、ゆっくりと沈静していった。










「――……イレギュラー、沈黙確認。状況終了」

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