第4話
「……ん、ぅ……」
焚き火のパチパチという爆ぜる音と、鼻孔をくすぐる暴力的なまでの「いい匂い」で、彼女は目を覚ました。
銀色の睫毛が震え、宝石のような蒼い瞳がゆっくりと開かれる。
彼女は一瞬、自分がどこにいるのか分からないという顔をして、バッと身構えようとした。
「っ……ここは……!? 私は、覇竜に挑んで……!」
「おっと、動かない方がいいぞ。まだ顔色が真っ白だ」
俺は焚き火に薪をくべながら、努めて優しく声をかけた。
警戒させてはいけない。
彼女の装備はボロボロで、あちこち焦げている。きっと、この森に迷い込んでモンスターに襲われた新人探索者だろう。
「あ、貴方は……?」
「俺か? ただの通りすがりのソロキャンパーだ」
「ソロ……キャンパー……?」
彼女はポカンと口を開けて、俺と、そして俺の背後でお座りをしている巨大なトカゲ(覇竜)を交互に見た。
まだ混乱しているらしい。無理もない。こんな魔境で遭難したんだ、気が動転して幻覚も見ているんだろう。
「それより、腹減ってないか? 顔に『空腹』って書いてあるぞ」
「なっ、失礼な! 私は探索者として、飢えごときで――」
グゥゥゥゥゥゥゥ〜〜〜ッ!!
森の静寂を切り裂くような、見事な腹の虫の音が響き渡った。
彼女の白い頬が、耳まで真っ赤に染まっていく。
「……ふっ」
「わ、笑わないでください!」
「悪い悪い。ほら、残り物だけど食うか? いい肉だぞ」
俺は先ほど焼いたステーキの残りと、野菜を煮込んだ特製ポトフをシェラカップによそって差し出した。
彼女は「施しは受けない」と言いたげに唇を噛んだが、湯気と共に漂う肉の香りに抗えなかったらしい。
恐る恐る、震える手でカップを受け取る。
「……毒などは、入っていませんね?」
「入ってないよ。俺もさっき食ったし」
「……いただきます」
彼女は小さな口を開け、一口大にカットされた肉をパクリと口に含んだ。
その瞬間。
カッ! と彼女の瞳が見開かれた。
「んんっ!? ……んん〜〜〜っ!!」
クールな美貌が、一瞬で崩壊した。
咀嚼するたびに溢れ出す濃厚な肉汁。噛む必要がないほど柔らかい繊維。そして何より、飲み込んだ瞬間に腹の底から湧き上がってくる、奔流のような活力。
「な、何ですかこれ!? 美味しい……あまりにも美味しすぎます……ッ!」
「だろ? 直火焼きがポイントなんだ」
「それに、体が……熱い。枯渇していた魔力が、爆発的な速度で回復していく……!?」
彼女はもう、俺への警戒心など忘れてしまったようだった。
スプーンを動かす手が止まらない。
ガツガツ、という擬音が聞こえそうな勢いで肉を頬張り、熱々のポトフを流し込む。
「はふっ、んぐっ、おいひぃ……!」
その様子は、高貴な令嬢というより、お腹を空かせた野良猫が餌にありついた時のようだった。
そして、その一部始終は、もちろん全世界に配信されている。
**『あのアリシア様が……ガツガツ食ってる……だと?』**
**『尊い』**
**『氷の令嬢(笑) 完全に溶けてて草』**
**『いや待て、あの子が食ってるの「覇竜の肉」だぞ!?』**
**『あ、そうか。だから魔力が回復してるのか』**
**『S級モンスターの肉とか、一口で数億円する超高級食材じゃねーか!』**
**『それを「残り物」として振る舞うこの男……』**
**『器がデカすぎる』**
**『俺も餌付けされたい』**
そんなコメント欄の盛り上がりなど露知らず、俺は彼女の食べっぷりに目を細めていた。
(若いのに苦労してるんだなぁ。装備もボロボロだし、お金なくてご飯も食べてなかったのかも)
俺の中で、彼女への「貧乏な新人さん」という誤解がより強固になっていく。
一方、完食して人心地ついた彼女――アリシアの中では、全く別の確信が生まれていた。
(間違いない……この肉、ただの肉じゃない。私達パーティを壊滅寸前に追い込んだ、あの『獄炎の覇竜』の魔力そのものだわ)
彼女はチラリと、俺の背後を見る。
そこには、大人しく待機している覇竜の姿。
(あの怪物を従え、その肉を糧とする……。この男性、一体何者なの? まさか、この【奈落の森】を統べる『人型の守護神』……?)
そう考えると、全て辻褄が合う。
この圧倒的な強者のオーラ(※ただの脱力感です)。
S級危険地帯を「庭」のように扱う余裕(※庭だと思ってます)。
(……私、とんでもない方に命を救われてしまったのかもしれない)
彼女は空になったシェラカップを名残惜しそうに見つめ、それから意を決したように顔を上げた。
口元にソースがついているのも気にせず、潤んだ瞳で俺を見つめる。
「あの……」
「ん? 足りなかったか?」
「は、はい……じゃなくて! そうではなくて!」
彼女は慌てて首を振り、居住まいを正した。
そして、地面に綺麗に正座をすると、深々と頭を下げたのだ。
「ご馳走様でした。……それで、その」
「なんだ?」
「――責任、取っていただけますか?」
「……はい?」
俺の手から、トングが滑り落ちた。
責任?
え、俺なんかしたっけ? ご飯あげただけだぞ?
きょとんとする俺に、彼女は真剣な眼差しで、言葉を重ねた。
「貴方が私に与えたモノ(※覇竜の肉)は、あまりにも強大すぎました。おかげで私の体は今、貴方の力で満たされて、疼いてしまっています」
「言い方!!」
ちょっと待って、なんか誤解を招く表現じゃないか!?
「ですから、責任を取って……私を、貴方の側に置いてください。お世話係でも、弟子でも、ペットでも構いませんから!」
彼女は必死だった。
こんな規格外の存在(神)に出会えた奇跡を、手放すわけにはいかない。
それに何より――。
(この人のご飯、もっと食べたい……!)
S級美女の胃袋は、完全に俺の料理(ドラゴン肉)に屈していた。
**『プロポーズきたああああああああ!!』**
**『責任(意味深)』**
**『ペット枠はドラゴンと取り合いだな』**
**『羨ましすぎてスマホ投げた』**
**『お似合いだよちくしょう!』**
**『【速報】氷の令嬢、チョロい』**
こうして、俺の静かなソロキャンプに、騒がしくも可愛い居候が増えることになったのだった。
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