第2話
「……あー、うるさいな。シッ」
俺が人差し指を口元に当てると、湖の主――リヴァイアサンは、巨大な瞳をパチクリとさせた。
そして次の瞬間。
シュン、と音が出そうなほど小さくなり、音もなく水面下へと沈んでいった。
まるで、怒られた飼い犬みたいに。
「よしよし。物分かりのいい奴だ」
俺は満足気に頷いて、視線を焚き火台へと戻した。
この森の生き物は、昔から俺の言うことをよく聞いてくれる。爺ちゃんが「お前の覇気が強すぎて、生物としての生存本能が『逆らうな』と告げているんじゃろう」と言っていたが、俺は単に動物に好かれやすい体質なのだと思っている。
そんな俺の平和な勘違いをよそに、空中に浮かぶドローンの向こう側――コメント欄は、爆発的な速度で流れていた。
**『えっ』**
**『沈んだぞおい』**
**『国家指定災害クラスの竜種が、「シッ」だけで帰宅した件wwwww』**
**『いやいやいや、これ絶対CGだって! 今の映像技術すごいな』**
**『CGにしては水の物理演算が完璧すぎるだろ……』**
**『この配信者何者? プロのハンター?』**
**『いや、装備が初期の布の服なんだが』**
もちろん、俺にそんな声は届かない。
俺の悩みは、もっと切実なものだった。
「……参ったな。薪が湿気ってる」
俺は拾ってきた枝をポキポキと折りながら溜息をついた。
昨日の雨のせいだろうか。森の湿気が多くて、なかなか火がつきそうにない。
せっかく、奮発して買った『霜降り角毛牛』のA5ランクステーキ肉があるというのに。
これじゃあ、生肉を齧ることになってしまう。
「もっとこう、ガッと燃える強力な火種があればいいんだが……」
俺がそう呟いた、その時だった。
ゴオオオオオオッ!!
突如として、上空から熱風が吹き荒れた。
周囲の気温が一気に十度以上跳ね上がり、木々の葉がチリチリと焦げ付く。
「ん? なんだ、急に熱くなったな」
俺が額の汗をぬぐいながら空を見上げると、そこには『紅蓮の太陽』があった。
いや、違う。
それは太陽ではなく――全身にマグマのような赤熱した鱗を纏った、巨大なドラゴンだった。
翼長二十メートルを超える巨体。
口の端から漏れ出る炎は、岩をも溶かす超高温。
S級モンスター『獄炎の覇竜(インフェルノ・タイラント)』。
かつて一つの小国を単騎で焼き尽くしたと言われる、生ける伝説だ。
ドローンのカメラが、その威容を鮮明に映し出す。
**『は!? 嘘だろ!?』**
**『オイオイオイオイ! あれ覇竜じゃねーか!!』**
**『終わった。これ現実なら死んだわ』**
**『逃げろおおおおおおおおおお!!』**
**『いや無理だろ、あんなのと遭遇したらS級ハンターでも即死だぞ』**
**『放送事故確定』**
**『グロ注意』**
視聴者たちが絶望に包まれる中、俺は眩しそうに目を細めた。
「うわ、デカい鳥だな。しかもやたら暑苦しい」
俺にとっては、夏の盛りの蝉みたいなものだ。
ちょっとサイズが大きいだけで。
『グルルルルルル……!』
覇竜が俺を見下ろし、喉を鳴らす。
人間ごときが自分の領域でキャンプをしていることが気に食わないらしい。
あるいは、俺をウェルダンに焼いて食べるつもりなのか。
カッ! と覇竜の口が大きく開かれ、喉の奥に眩い光が収束していく。
ブレスの予備動作だ。
**『ブレス来るぞ!!』**
**『あー……南無』**
**『逃げてえええええええええ!』**
コメント欄が悲鳴で埋め尽くされる。
だが、俺は動かなかった。
正確には、「動く必要を感じなかった」。
俺は手元にあった、愛用の鉄製フライパンを手に取った。
長年使い込んで底が焦げ付いているが、手に馴染む相棒だ。
「あのさぁ、今から飯にしようと思ってたんだよ」
俺はフライパンをバットのように構え、迷惑そうな顔で竜を睨んだ。
「埃が舞うから、あっち行っててくれない?」
『GYAOOOOOOOOO!!』
覇竜がブレスを放とうと首を突き出した、その瞬間。
俺は脱力した構えから、自然体でフライパンを一閃させた。
カァーーーーンッ!!
乾いた、しかしやけに澄んだ金属音が森に響き渡った。
俺のフライパンが、覇竜の硬質な鼻先をジャストミートで捉えていた。
インパクトの瞬間、衝撃波が円形に広がり、周囲の木々がザザザッとしなる。
『ゴ、ガッ……!?』
覇竜の白目が剥かれた。
S級ハンターの剣すら通さないはずの鱗が砕け散り、巨体がまるで紙屑のように地面へと叩きつけられる。
ズドオオオオオーン!!
地響きと共に土煙が舞い上がった。
**『……は?』**
**『今、何が起きた?』**
**『フライパン……だよね?』**
**『嘘だろ、覇竜がワンパンされたぞwww』**
**『しかも武器が焦げたフライパンてwww』**
**『音www カァーンってwww』**
**『野球かよ!』**
土煙が晴れると、そこには信じられない光景が広がっていた。
さっきまで威厳たっぷりに空を飛んでいた覇竜が、今は地面にお座りをして、涙目で鼻先を前足で押さえているのだ。
『クゥン……』
「なんだ、お前も腹減ってたのか?」
俺はフライパンをクルクルと回しながら、竜に近づいた。
竜がビクッと身を震わせて後ずさる。
「ちょうどいいや。お詫びに火、貸してくれよ」
俺はリュックから高級ステーキ肉を取り出し、フライパンに乗せた。
そして、覇竜の顔の前に突き出す。
「ほら、弱火で頼むわ。レアで食いたいんだ」
『……コクッ』
覇竜は何度も頷くと、恐る恐る口を開き、チョロチョロと調整された絶妙な火炎を吐き出した。
ジュワアアアア……。
肉の焼ける極上の音が、高精細マイクを通して世界中に配信される。
**『S級モンスターがコンロ扱いwww』**
**『あの覇竜が怯えてるぞ……』**
**『火加減がプロ並みで草』**
**『美味そう』**
**『これもう現代の神話だろ』**
**『【速報】世界最強の男、発見される』**
**『投げ銭したいけど機能がない! 誰かこの配信者の口座特定してくれ!』**
香ばしい匂いが漂ってくる。
俺は焼き上がった肉を一口大に切り、口へと運んだ。
「ん〜っ! やっぱ直火焼きは最高だな!」
俺が満面の笑みでサムズアップをすると、視聴者数は桁を変え、爆発的な勢いで拡散され始めていた。
俺が気づかないうちに、『伝説のソロキャンパー』の称号が確定した瞬間だった。
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