ブラックギルドを辞めて、S級指定の「未踏破エリア」で一人キャンプを楽しんでいただけなのに。配信切り忘れてて、俺の「焚き火動画」が世界中で神話扱いされてるって本当ですか?
kuni
第1話
「おいカイ、聞いてんのか!? お前みたいな無能な荷物持ち、どこのギルドが雇うと思ってんだ!」
バンッ、とマホガニーの机が叩かれる音が、執務室に響いた。
目の前で顔を真っ赤にして唾を飛ばしているのは、俺が所属している――いや、所属『していた』ギルド、『銀の牙』のギルド長だ。
S級探索者だか何だか知らないが、更年期なのか最近とくにヒステリーが酷い。
「お前の代わりなんていくらでもいるんだぞ! 今のうちに俺の靴を舐めて謝るなら、置いてやらんでもな――」
「あ、いえ。結構です」
「……は?」
俺は懐から封筒を取り出すと、ギルド長の目の前に置いた。
スッ、と。
音を立てず、丁寧に。
「退職届です。今までお世話になりました」
「た、退職……だと? 正気か? ただの荷物持ち(ポーター)風情が、この最大手ギルドを辞めて生きていけると思って――」
「じゃ、失礼します」
俺はギルド長の言葉を最後まで聞かず、踵を返した。
背後で「おい待て!」「後悔するぞ!」という負け犬の遠吠えが聞こえた気がしたが、扉を閉めた瞬間に全てのノイズは遮断された。
廊下に出た瞬間。
俺の口から、自然と深いため息が漏れる。
「……ふぅー」
それは絶望の吐息ではない。
肺に溜まっていた毒素を全て出し切ったような、極上の解放感だった。
終わった。
深夜残業、休日出勤、理不尽なパワハラ、そして雀の涙ほどの給料。
その全てと、今この瞬間におさらばしたのだ。
「さてと」
俺は廊下の窓から、突き抜けるような青空を見上げた。
「天気もいいし……行くか、キャンプ」
俺の第二の人生(スローライフ)は、ここから始まる。
◇
街の喧騒を離れて、徒歩三時間。
舗装された道はとっくの昔に途絶え、周囲には鬱蒼とした木々が生い茂っている。
俺の目の前には、古びた看板が立っていた。
そこには赤いペンキで、どくろマークと共にこう書かれている。
『警告:これより先、S級指定危険地帯【奈落の森】』
『人類未踏破エリアにつき、立ち入りを禁ず』
『死にたくなければ引き返せ』
一般的には、国家レベルの戦力がないと生きて帰れないと言われている魔境だ。
「よし、誰もいないな」
俺は看板の脇をすり抜けて、軽快な足取りで森へと足を踏み入れた。
空気が、ガラリと変わる。
街の排気ガス混じりの空気とは違う、濃厚な魔素を含んだピリつくような大気。
普通の人なら吸い込んだだけで肺が焼け付くらしいが、俺にとっては実家の線香の匂いみたいに落ち着く香りだ。
俺は死んだ爺ちゃんに、幼い頃からこの森で鍛えられた。
というか、ここが俺の遊び場だった。
だから知っている。
この森の奥に、最高のキャンプスポットがあることを。
森を進むこと数十分。
ガサガサ、と茂みが揺れ、体長三メートルはある猪のような魔物が飛び出してくる。
C級モンスター、『鉄甲ボア』だ。戦車でも貫けない皮膚を持っているらしい。
「おっと、危ない」
俺はあくびを噛み殺しながら、突進してくるボアの鼻先をデコピンで弾いた。
パチンッ。
「ブヒッ!?」
ボアは情けない悲鳴を上げ、きりもみ回転しながら森の奥へと吹っ飛んでいった。
「……虫が多いな。虫除けスプレー持ってくるんだった」
俺は荷物のリュックを背負い直し、さらに奥地へと進む。
目指すは、森の中心部にある開けた湖のほとりだ。
◇
「ここだ……!」
到着した瞬間、俺は思わず声を上げた。
視界が開け、鏡のように静かな湖面が広がっている。
周囲を巨木に囲まれ、風も穏やか。
聞こえるのは鳥のさえずり(※実際は怪鳥の威嚇音)と、風に揺れる木々の音だけ。
完璧だ。
ギルドの喧騒も、上司の怒鳴り声も、ここにはない。
「早速、設営するか」
俺は慣れた手つきで一人用のテントを張り、折りたたみ式のチェアを広げた。
焚き火台を設置し、その辺に落ちていた枝(※ドラゴンの骨を含む)を集める。
準備が整うと、俺はリュックの底から『ある物』を取り出した。
最新鋭の小型ドローンだ。
以前助けた魔導具オタクの友人から、「お礼にやるよ。旅の記録を残すのに便利だから」と押し付けられたものだ。
「せっかくのソロキャンデビューだし、動画くらい撮っておくか」
俺は機械に詳しくないが、友人が「ボタン一つで全自動だから」と言っていたのを思い出す。
えーっと、電源を入れて、空に浮かべて……。
「記録開始はこの赤いボタン……じゃなくて、こっちの青い方か?」
よく分からないが、『LIVE』と書かれたランプが点滅している。
生きてる(ライブ)ってことだから、多分動いてるんだろう。
「よし、起動」
ブゥン、と低い羽音を立てて、ドローンが空中に静止する。
高精細なカメラレンズが、俺と、そして背後に広がる【奈落の森】の絶景を捉えた。
俺には見えていないが、このドローンは世界中の動画共有プラットフォーム『チューブ』に接続されていた。
しかも、友人のいたずらで『全世界緊急拡散モード』という、トップページをジャックする違法スレスレの機能がオンになっていることも、俺は知らない。
「ふふっ、最高だ」
俺はカメラに向かって……いや、これからの自由な未来に向かって、満面の笑みでビール缶を開けた。
プシュッ!
「乾杯、俺!」
喉に流し込む冷えた液体。
美味い。
五臓六腑に染み渡る。
これだ。俺が求めていたのは、この静寂と平穏なんだ。
――ズズ……ズズズッ……。
その時、背後の湖の水面が大きく盛り上がった。
立ち上る水しぶきと共に現れたのは、湖の主。
国家認定災害指定モンスター、『水龍リヴァイアサン』の巨躯だった。
ビル五階建て分はあろうかという巨大な顎が開き、鼓膜を破らんばかりの咆哮が森に響き渡る。
『グオオオオオオオオオオオッ!!』
衝撃波で木々が薙ぎ倒され、テントがバタバタと揺れる。
だが、俺は眉をひそめただけで、振り返りもしなかった。
「……あー、うるさいな。シッ」
俺は背後の気配に向けて、野良犬を追い払うように手を振った。
「今、動画撮ってるんだから静かにしてくれ」
俺は知らない。
今この瞬間、世界中の端末に「伝説のリヴァイアサンと、それを『シッ』だけで黙らせる一般人男性」の映像が流れ、コメント欄が阿鼻叫喚の嵐になっていることを。
俺のソロキャンプは、まだ始まったばかりだ。
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