第12話 給湯室

給湯室にいたのは、

彩乃一人だった。


カップにお湯を注ぐ音が、

やけに大きく響く。


ほんの少し、

肩の力を抜いていた。


ドアが開く音がした。


振り返らなくても、

分かった。


川原だった。


川原「一人?」


彩乃「……はい」


川原は、

自然に中へ入ってくる。


逃げ場がなくなる距離。


でも、

避けるほどでもない。


川原「最近さ、

ちゃんと話せてなかったよね」


彩乃「仕事の話は……」


川原「そうじゃなくて」


軽く笑う。


川原「今日さ、

仕事終わりにご飯行かない?」


彩乃「すみません。

今日は予定があって」


川原「そっか」


一瞬、

引いたように見えた。


川原「じゃあ、この日は?」


スマホを出す。


彩乃「……分からなくて」


川原「忙しいんだ」


彩乃「はい」


短く答える。


それで、

終わるはずだった。


川原は、

終わらせなかった。


川原「そんな構えなくていいよ」


一歩、

距離が縮まる。


川原「二人で、

ゆっくり話したいだけだから」


胸の奥が、

ぎゅっと縮む。


彩乃「……それは」


断りたい。


はっきり言わなきゃいけない。


分かっているのに、

言葉が出てこない。


川原は、

その沈黙を

待たない。


川原「小川さん」


声が、

近い。


川原「俺のこと嫌いじゃないでしょ?」


答えを待つ距離じゃなかった。


もう、

決まっている顔だった。


川原「大丈夫。

嫌なら、ちゃんと言うでしょ」


肩に、

手が置かれる。


軽く。


でも、

確かに。


身体が、

一気に強張った。


声を出そうとして、

喉が鳴るだけだった。


息が、

浅い。


その時だった。


美咲「川原さん」


低い声。


鋭い。


美咲「……何してるんですか?」


川原の手が、

肩から離れる。


空気が、

一瞬で変わった。


美咲は、

彩乃の前に立つ。


視線を逸らさず、

川原を見る。


美咲「ここ、

給湯室ですよね」


それ以上、

言わなかった。


でも、

十分だった。


川原は、

少し間を置いて、

笑った。


川原「ああ、

ちょっと話してただけ」


美咲「そうですか」


それだけ返す。


美咲は、

彩乃の隣に立った。


距離を、

完全に切る。


給湯室を出る時、

美咲は

歩幅を合わせた。


何も聞かない。


でも、

一人にしない。


少し前から、

美咲は気づいていた。


はっきりした出来事が

あったわけじゃない。


ただ、

川原と話している時だけ、

彩乃の空気が変わる。


返事はしているのに、

一拍遅れる。


笑っているのに、

どこか固い。


疲れてるのかな、

くらいに思おうとした。


仕事も忙しいし、

誰だって

余裕がなくなる時はある。


でも、

何度見ても、

同じだった。


川原は変わらない。


距離も、

声も、

表情も。


それが、

少しずつ

引っかかるようになった。


普通なら、

相手の反応を見て、

少しは引く。


でも、

川原は

いつも通りでいられる。


それが、

優しさじゃないことくらい、

美咲にも分かった。


給湯室で、

全部が繋がった。


ああ、

これは勘違いとかじゃない。


誰かが

我慢する前提で

成り立ってるやつだ。


深く考えなくても、

それだけは

はっきりしていた。


だから、

入った。


一人にしちゃいけないと

思った。


彩乃は、

何も言わなかった。


それでいい。


今は、

言葉より

距離が必要だった。


美咲は、

彩乃の隣を歩きながら、

それだけを

守ろうと思った。

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