第8話 2ヶ月間の真実
学校帰りの駅前にあるカフェ。
久しぶりに足を踏み入れたその場所は、あのカビ臭いアパートとは別世界だった。
「凛、こっちよ」
窓際の席で手を振る女性。母だ。
二ヶ月ぶりにしっかりと顔を合わせる母は、私の記憶よりもずっと顔色が良く、肌も艶やかに見えた。
憑き物が落ちたように美しい。
「お母さん、久しぶり。元気だった?」
「ええ、おかげさま。……そっちは、大変だったでしょう?」
母が心配そうに眉を下げる。
私はアイスティーを一口飲み、ふっと笑った。
「ううん、面白かったよ。動物園の観察日記をつけてるみたいで」
私はスマホを取り出し、これまでの母とのメール履歴をスクロールした。
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『件名:進捗報告』
父さん、家の名義が自分じゃないことにまだ気づいていません。固定資産税の通知が来ないことも不思議に思ってないみたい。このまま泳がせます。
『件名:愛人の動向』
ミナさん、かなり浪費家です。父さんのカード限度額、来月には天井打ちます。お母さん、絶対に援助の連絡がきても無視してね。
『件名:Xデー予測』
そろそろ限界です。父さんが私の貯金に手を付けようとしました(阻止済み)。破綻まであと二週間と予測します。
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この二ヶ月間、私は父とミナの生活状況を、事細かに母へ報告していた。
もし私が父について行かず、母と二人で暮らしていたらどうなっていただろう?
きっと父は、家の権利を主張して母を脅し。
ミナは妊娠を盾に慰謝料の減額を迫り。
母は精神的に追い詰められていただろう。
だから、私が「人質」兼「監視役」として潜り込んだ。
父に「娘が味方についた」と油断させ、その裏で彼の資金源と精神を徹底的に削り取るために。
「凛には、本当に苦労をかけたわね。あなたがいてくれなかったら、私、どうなっていたか……」
「いいの。私、お母さんが泣いてるところ、もう見たくなかったから」
離婚を切り出されたあの日。
母の絶望した顔を見て、私は決めたのだ。
法律や常識が通じないあの父には、現実という名の鉄槌を下さなければならないと。
「で、どうなったの? あの二人」
「今朝、ミナさんは逃亡。父さんは抜け殻。部屋の中は空っぽ。たぶん数日中に、家賃の滞納で追い出されると思う」
淡々と告げる私に、母は少しだけ複雑そうな顔をして、すぐに凛とした表情に戻った。
「……弁護士さんから連絡があったわ。向こうからの慰謝料の支払い、期待できないかもしれないって」
「だろうね。ない袖は振れないし」
「でも、公正証書は作らせるわ。給料の差し押さえをしてでも、払える分は払ってもらう。それが、あの人がしたことへの責任だから」
母の声には、もう迷いはなかった。
私が泥船に乗っている間に、母もまた、強く生まれ変わっていたのだ。
「それでね、凛。たぶん……来るわよ、あの人」
「うん。来るね」
私たちは顔を見合わせた。
全てを失った父が向かう場所は一つしかない。
「家族」という、彼が自分から捨てたはずの場所だ。
「やり直したい、とか言うと思う」
「そうね。あの人のことだから、『ミナに騙された、俺も被害者だ』なんて言い出すかもしれないわ」
想像できすぎて笑えない。
でも、今の私たちには、そんな戯言は通用しない。
「お母さん、情けかけちゃダメだよ?」
「もちろん。……私、この二ヶ月一人で考えて、やっとわかったの。私が彼を甘やかしていたから、あんなモンスターになっちゃったんだって」
母は紅茶のカップを置き、静かに微笑んだ。
「だから、最後の教育をしてあげなくちゃね」
その笑顔は、女神のように優しく、そして背筋が凍るほど冷ややかだった。
「帰ろう、凛。私たちの家に」
私たちは席を立った。
外は晴れ渡っている。
さあ、お父さん。準備はいい?
あなたの愛した家族からの、最後の手向けを受け取る準備は。
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