第4話 主人公の“無自覚な”追い詰め
同居生活が始まって二週間。
食卓の風景は劇的に貧相になった。
以前の家では、母が栄養バランスを考えた彩り豊かな料理が並んでいたけれど。
今のメインディッシュは特売の豚小間切れ肉とモヤシの炒め物だ。
料理をしたのは私である。
ミナは「つわりが辛い」と言って寝室に閉じこもっているし、父に家事能力はないからだ。
「……ねえ、ケンちゃん。ベビーカーなんだけどさ」
モヤシを突きながら、ミナが不満げに口を開いた。
「インスタで見た海外のやつ、やっぱり欲しいなぁ。八万円くらいなんだけど」
「は、八万か……。うーん、今はちょっと厳しいかな。西松屋とかじゃダメなのか?」
「えー、だって一生に一度のことだよ? 妥協したくないし」
甘ったれた声を出すミナ。
父は困ったように頭を掻いている。
私は箸を置き、学校の鞄から一冊のノートを取り出した。
「お二人の将来のことですし、少しシミュレーションしてみたんですけど」
「シミュレーション?」
父とミナが怪訝な顔をする。
私はノートを開き、手書きのグラフと計算式を見せた。
「これ、出産までにかかる費用と、出産後のランニングコストです」
* オムツ
* ミルク
* 検診代
* 被服費
「ざっと見積もっても、初期費用でこれくらいかかります」
私が指さした数字を見て、ミナが「げっ」と声を漏らした。
「で、こっちが現在のお父さんの手取りから、固定費と慰謝料を引いた残額。……見てわかりますよね? 毎月、赤字です」
食卓に沈黙が落ちた。
赤字。
その二文字の破壊力は凄まじい。
「あ、赤字って……ボーナスがあるだろ、ボーナスが」
「お父さんの会社のボーナス、業績連動ですよね? 今年はカットされる噂だって言ってませんでしたっけ?」
父の顔が引きつる。事実なのだろう。
私は淡々と、しかし決定的な一言をミナへ投げかけた。
「ですからミナさん。八万のベビーカーを買う余裕はありません。それどころか、ミナさんが持っているブランドバッグやアクセサリー、今のうちにメルカリで売って現金化しておかないと、入院費用も払えないかもしれませんよ」
「はぁ!? なんで私がそんなことしなきゃなんないのよ!」
ミナが激昂し、箸を叩きつけた。
「あんたの学費とか食費が余計なんじゃないの!? あんたがいなけりゃ……」
「私がいてもいなくても、お母さんへの養育費の支払いは義務ですから金額は変わりませんよ。むしろ私がここにいることで、家事代行費が浮いている計算になります」
正論。
反論の余地のない、冷たい事実。
ミナは唇を噛み締め、父を睨みつけた。
その視線は「守ってよ」という甘えではない。
「なんとかしなさいよ、この甲斐性なし」という苛立ちに変わっている。
「け、ケンちゃん! なんとか言ってよ!」
「あ、ああとにかく! 俺が頑張るから! な? 凛もそんな意地悪な言い方しなくていいだろ。家族なんだから協力して……」
「協力してますよ。だからこうして家計簿をつけて、現実的なアドバイスをしているんです」
私は微笑んだ。
あくまで、新しい家族の生活を案じる「しっかり者の娘」として。
「赤ちゃん、可愛いといいですね。お金がない家庭に生まれてくるのは少し不憫ですけど、愛があれば大丈夫……ですよね? お父さん」
父は「う、うん……」と力なく頷くことしかできなかった。
ミナはもう何も言わず、ただ悔しそうに腹をさすっている。
彼女の頭の中では今頃、理想のキラキラ・マタニティライフが音を立てて崩れ去り、代わりに「貧困」という二文字が点滅しているはずだ。
父の愛だけでご飯は食べられない。
そんな当たり前のことを、この二人は今さら学んでいる。
授業料にしては、あまりに高くつく代償を払いながら。
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