第7話 背中を押す者達

魔獣の死骸は、森の静けさの中に転がっていた。


 血の匂いも、戦いの痕も、まだ生々しい。


 だが兄は、それらを見ていなかった。


 視線の先にあったのは――ウルガだった。


 あの一瞬。


 あの刃。


 あの、世界の理屈を一段飛ばしたような一太刀。


 (……あれは、才能なんて言葉で片づけていいものじゃない)


 兄は剣を鞘に収めながら、唇を噛んだ。


 騎士爵家ウトナビス。


 貧しく、名も通らず、だが誇りだけは捨てなかった家。


 その中で、ウルガはあまりにも異質だった。


「ウルガ」


 呼ばれて振り返った弟の顔は、まだ幼い。


 今日の出来事を、どう飲み込めばいいのか分からずにいる顔だ。


「……今日のことは、家に帰ってから話そう」


 兄はそれだけ言った。


 今はまだ、言葉にできない。


 だが一つだけ、胸の奥ではっきりしていることがあった。


 ――このままでは、駄目だ。




 家に縛りつければ、


 畑仕事や雑用に追わせれば、


 いずれ“普通”として押し潰してしまう。


 あの力を。


 ウルガの未来を。


 *


 その夜、家は、いつも通り静かだった。


 粗末な夕食。


 薄いスープ。


 それでも姉は、いつも通り微笑んでいた。


「……今日、何かあったでしょ」


 食後、姉がそう切り出した。


 兄は一瞬迷い、そして隠すのをやめた。


 森での出来事を、すべて話した。


 ウルガが黙って聞いている間、姉の表情は一度も崩れなかった。


 話し終えた後、しばらく沈黙が落ちる。


 やがて姉は、小さく息を吐いた。


「……やっぱりね」


「やっぱり?」


「ウルガ、昔からそうだったもの。


 困ってる時ほど、変なところで肝が据わる」


 姉は弟を見る。


 不安と、期待と、少しの怯えが混じった目。


「ねえ、ウルガ。


 あんた、このまま家に残りたい?」


 突然の問いに、ウルガは言葉を失った。


 残りたいか。


 残るしかないと思っていた。


 だが――


 今日、刃を振るった瞬間。


 胸の奥が、確かに高鳴った。


「……分からない」


 正直な答えだった。


 兄は、その言葉を待っていたかのように口を開く。


「だったら、外を見ろ


自分の目で世界を見てこい」


 強い口調だったが、押しつけではない。


「お前の力は、この家の中で使うためのものじゃない。


 俺たちが囲っていいものでもない」


 兄は、ウルガの目をしっかりと見つめ‥


「ウルガ、冒険者になれ。


 自分の力が、どこまで通じるのか――確かめてこい」


 ウルガは目を見開いた。


 反対されると思っていた。


 危険だと言われると思っていた。




 姉が、そっと笑う。


「大丈夫。帰る場所は、ちゃんと残しておくから」


 その言葉で、胸の奥が熱くなった。


 逃げるんじゃない。


 捨てるんじゃない。


 ――背中を、押されている。


「……行ってくる」


 それだけ言うのに、少し時間がかかった。


 兄は、うなずいた。


「それでいい」


 こうして、ウルガ・ウトナビスは大きな一歩を踏み出した。


 騎士爵家の三男としてではなく、


 ただ一人の――冒険者として。


 その一歩が、やがて世界に名を刻むことになるなど、


 この時は、誰も知らなかった。

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