「好きなこと、得意なこと」が分からない

 プロフィール帳を埋めるのが苦手だ。

 プロフィール帳とは、自己紹介のテンプレートが用意された可愛らしいメモ帳のようなもので、名前とか生年月日とか、星座とか、好きな異性のタイプとかを書かせるものだ。今もあるんだろうか。

 小学校の頃、クラスの人気者だったSちゃんが配ってきたのが最初だった。Sちゃんはあらゆる女子にプロフィール帳を一枚ずつ配りまくっていた。いずれ記入済みのプロフィール帳は彼女の元に回収されるのだろう。クラスの女子という女子のプロフィールなんて集めて何をするんだろう、もう少し大人になればわかるんだろうか、などと思ったものだったが、結局分からないまま大人になってしまった。


 さて、見よう見まねで可愛らしいプロフィール帳を埋めていった小学生の私だが、「好きなこと」と「得意なこと」の欄でぴたりと手を止めてしまった。


「ねえSちゃん、好きなことと得意なことって何が違うの?」


 好きなことも得意なことも、当時の私にとっては同じものだった。好きだから得意。得意だから好き。習い事のピアノも英語も好きで得意なこと。そう思っていた。けれども今の私は「本当にか??」と当時の私にツッコミをいれずにはおれない。


 本当に好きだったか?


 ちなみに今の私は趣味も答えられない。好きなこともわからないし、得意なこともピンとこない。趣味だってよくわかっていない。

 なんだかそれらを言葉にしたら、それをラベルにして顔面にべったり貼られてしまう気がする。たとえば「読書が好きです」といっただけなのに、「読書好き」という大きなラベルを引き受けなきゃいけない気がする。私はそれが嫌でたまらない。

 読書好きにもいろいろいるだろう。週にひと文字も文字を読まなくとも読書好きの人は居るだろうし、読書好きを標榜する方々のなかには、週に一〇冊も二〇冊も本を読むことを誇りにしている人が居るかもしれない。

 しかし「読書好きにもいろいろいる」、と分かっていながらも、ただ一つの正答みたいなものを求めてしまう自分がいる。

 私の中には「好き」とか「得意」に関する何らかの水準があるらしい。

 好きだの得意だの言うけれど、「イヤイヤ、実のとこそんなに好きでも得意でもないんですよ(笑)」みたいな。謙遜だろうか。いや、違う。「ゆうて自分はそこまでじゃないな……」という後ろ向きな肯定感だ。

「そこまでじゃない」と思う今の自分を、好きなことはすなわち得意なことだと思っていた小学生の自分が見たならばどう思うだろう。昔は勉強が「好き」だったし、ピアノも英会話も「好き」だった。今の私にしてみれば、それは好きなことも得意なことも一緒くたにして考えていた幼さゆえの勘違いだ。


 今はどうだろうか。そこそこの文章を書けることは自負するが、好きか、得意かといわれると「イヤイヤ……そこまでじゃないです(笑)」って感じだ。

 記憶の中のSちゃんは「好きなことは好きなことだよ」と至極当たり前のことを言っている。それがどれだけ難しいか。

 私はいつでも、自分にラベルを貼ることから逃げ続けているらしい。

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ちょっとズレてるわたしの背骨 紫陽_凛 @syw_rin

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