第9話 確認された噂は、もう噂じゃない
ドアの向こうで、
もう一度だけインターホンが鳴った。
短く、
業務的な音。
「須藤さん。
お話だけで結構です」
“だけ”という言葉ほど、
信用できないものはない。
俺はドアを開けた。
警官は二人。
年齢は、たぶん俺の父親くらい。
どちらも、
やけに落ち着いていた。
「突然すみませんね」
そう言いながら、
片方がメモ帳を取り出す。
もう片方は、
玄関の中を一瞬だけ見た。
その視線で分かった。
もう、見に来てる。
「少し確認したいことがありまして」
確認。
ただの確認。
何度も聞いたことのある、
一番安全な言葉。
「昨日の夕方、
女子校付近にいらっしゃいましたか?」
来た。
俺は、
一拍だけ置いてから答えた。
「……はい」
嘘は、もう意味がない。
「その際、
全裸だったという情報がありまして」
情報。
“証言”でも、
“被害届”でもない。
情報。
「……はい」
声が、
自分でも分かるくらい小さかった。
「誰かに、
強要された可能性は?」
一瞬、
ムライの顔が浮かんだ。
でも、
あいつはもういない。
ここにいない人間の名前は、
証拠にならない。
「……いいえ」
警官は、
小さく頷いた。
それだけだった。
否定も、
同情もない。
ただ、
書かれる。
「SNS上では、
不審者として拡散されています」
分かってます、
と言いかけて、
やめた。
それを言うと、
“見ていた”ことになる。
「今回は、
注意で済ませます」
その言葉を聞いた瞬間、
少しだけ、
安心してしまった。
でも、
次の一言で終わった。
「ただし、
こちらとしては
事実確認は完了しています」
――あ。
それは、
許されたという意味じゃない。
確定した、という意味だ。
「今後、
同様の通報があった場合」
警官は、
一切声を荒げずに言った。
「即対応になります」
即対応。
その言葉が、
頭の中で何度も反響した。
警官たちは、
丁寧に頭を下げて、
帰っていった。
玄関が閉まる。
鍵をかける。
音が、
やけに大きかった。
スマホを拾った。
電源を入れる。
通知が、
一気に流れ込む。
《警察も確認済みらしい》
《注意で済んだって》
《でも事実ってことだよね》
――“警察が来た”。
その情報だけで、
十分だった。
俺は、
何をしたかより、
**“何者として扱われたか”**で
決まった。
ランキングアプリを開く。
順位:100位。
注釈が増えていた。
《※問題行動歴あり》
笑えなかった。
もう、
喧嘩の話じゃない。
強い弱いでも、
勝ち負けでもない。
俺は今、
**「確認された危険物」**だ。
布団に倒れ込む。
天井を見つめる。
喧嘩を否定した。
逃げた。
反省した。
それでも、
何一つ、
戻らなかった。
その時、
ふと気づいた。
ムライは、
捕まっていない。
ランキング44位のままだ。
俺だけが、
落ちた。
「……制度って、
すげぇな」
誰にも聞かれない声で、
そう呟いた。
喧嘩をした人間じゃない。
“負けた人間”だけが、
全部を失う。
目を閉じる。
眠りに落ちる直前、
玄関の方から、
また、
何かが来る気配がした。
次に来るのは、
警察じゃない。
――ここからだ。
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