第2話 どうやら、その唐揚げがゴミ箱行きになるのは確定事項のようだ。

 昼休み。

 僕の机の上には、二つの「愛」が並べられていた。


 一つは、今カノ・霧島静が広げた手作り弁当。

 淡いアイスブルーのハンカチの上に、栄養バランスの整えられた彩り豊かな弁当箱が置かれている。

 卵焼き、煮物、焼き魚。健康的だが、育ち盛りの男子高校生には少し塩分が控えめで、物足りないラインナップだ。


 そしてもう一つは。


「ほら、湊くん! あーん!」


 僕の目の前に突き出された、箸の先。

 そこには、テラテラと脂ぎった巨大な鶏の唐揚げが挟まれていた。


 元カノ・天堂梨花だ。

 彼女は自分の机からわざわざ椅子を持ってきて、当然のように僕たちのランチタイムに割り込んできたのだ。


「ちょ、梨花。静がいる前で……」


「いいじゃん。霧島さんのそのお弁当、なんか味薄そうだし。湊くん、もっとガッツリしたの好きだよね?」


 梨花はニシシと笑うと、鮮やかなオレンジ色のネイルをした指先で、自分のタッパーを指差した。

 そこには、ニンニク醤油の匂いが強烈に漂う、茶色いおかずたちが詰め込まれている。

 中学時代、僕が「世界一美味い」と絶賛していた、梨花特製の唐揚げだ。


「ほら、口開けて! 冷めちゃうよ!」


 周囲の男子生徒たちが、「いいなあ佐藤」「元カノにあーんとか都市伝説だろ」と羨望と嫉妬の眼差しを向けてくる。

 断れば、梨花はここで大声を出すだろう。

 僕は静の顔色を伺った。


 静は、箸を止めてニコニコと笑っていた。

 怒っていない。むしろ、聖母のように穏やかな表情だ。


「いいですよ、湊くん。天堂さんのご厚意ですし」


「ほら、彼女さんもいいって! あーん!」


 逃げ場を失った僕は、梨花の唐揚げを口に入れた。

 ……美味い。

 悔しいけれど、舌が覚えている。濃いめの味付け、衣のカリカリ感。僕の好みを完璧に理解した味だ。


「でしょ? やっぱ湊くんには私の料理が一番合うんだよ」


 梨花が勝ち誇ったように胸を張る。

 静の方をチラリと見て、「味気ない料理で可哀想」と言わんばかりのマウントを取る。


 静は静かに口を開いた。


「すごいですね、天堂さん。ニンニクと化学調味料たっぷり……湊くんの将来の健康より、今の一瞬の快楽を優先した味付け。ジャンクフードみたいで、とっても参考になります」


「……はあ?」


 梨花の眉がピクリと跳ねる。

 静は表情を崩さず、僕に向き直った。


「でも、湊くん。食べ過ぎはダメですよ? 昨日の夕飯も、栄養バランスが悪かったですから」


「えっ」


 ドキリとした。

 昨日の夕飯は、梨花が勝手に置いていった肉じゃがだ。

 静には言っていないはずなのに。


「……ま、一つくらいなら大丈夫ですよね。ごちそうさまでした、天堂さん」


 静は会話を打ち切り、黙々と自分の弁当を食べ始めた。

 梨花は「なんなのあの子」と不満げに呟きながらも、僕に唐揚げを食べさせたことに満足して自分の席へ戻っていった。


 ◇


 放課後。

 僕は日直の仕事を終え、ゴミ捨て場に向かっていた。

 人気のない校舎裏。焼却炉の前に、見慣れた後ろ姿があった。


 静だ。

 彼女はゴミ箱の前に立ち、何かを捨てているようだった。


「静?」


 声をかけようとして、足が止まる。


 彼女が捨てていたのは、茶色い塊――梨花の唐揚げだった。

 昼休み、梨花が「残りもあげる!」と無理やり僕に持たせたタッパーの中身だ。

 静はそれを、割り箸で摘み、まるで汚物でも処理するかのようにゴミ箱へ放り込んでいた。


 それだけじゃない。

 彼女はポケットから小型のスプレーを取り出し、捨てた唐揚げに向かってシュッシュッと液体を吹きかけている。

 強烈な消毒液の匂いが漂ってくる。


「……不純物」


 静の口から、冷たい言葉が漏れた。

 いつもの穏やかな声とは違う、氷のような響き。

「湊くんの身体は、私が管理しないといけないのに。……バカな女が、余計な毒(カロリー)を入れないで」


 彼女はスマホを取り出し、何かを打ち込み始めた。

 画面が光り、彼女の無表情な顔を青白く照らす。

 僕は思わず身を隠し、遠くからその画面を盗み見た。

 メモアプリだ。そこには、びっしりと文字が並んでいた。


『○月×日 昼食

 摂取カロリー:850kcal

 ※イレギュラー発生。天堂梨花による唐揚げ(約300kcal)の強制摂取を確認。

 ※塩分過多。明日の朝食でカリウムを増量し、排出させる必要あり。

 ※対象(天堂)への警戒レベルを2に引き上げ』


 それは日記ではなかった。

 飼育日誌だ。

 彼女は僕を愛しているんじゃない。

 僕の身体を、健康を、人生を――「管理」しているだけなのか?


 背筋が凍りついた。

 彼女が顔を上げる気配がして、僕は慌ててその場を離れた。


 昼間に食べた唐揚げの味が、急に砂のように

感じられた。


 

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