「別れても友達でいようね」と言った元カノが、毎晩僕の部屋に合鍵で侵入してくる。今カノが包丁を研いで待っているとも知らずに

こん

本編

【序章:元カノの襲来と、今カノの沈黙】

第1話 やはり、元カノが合鍵を返さないという事実は覆らない。

ガチャリ、と鍵を開けて、ドアノブを回す。

 その瞬間、僕は違和感に眉をひそめた。

 

匂いだ。

 一人暮らしの男の部屋には似つかわしくない、甘辛い煮物の匂いが漂っている。


「……またかよ」


 靴を脱いでリビングに入ると、テーブルの上にラップのかかった皿が置かれていた。

 肉じゃがだ。

 具材の大きさ、人参の切り方、そして漂ってくる出汁の香り。

 食べるまでもない。僕が中学時代から食べ慣れていた、あの味だ。


 ブブッ。

 ポケットの中でスマホが震えた。

 タイミングを見計らったかのような通知。

 画面に表示された名前を見て、僕は深いため息をついた。


『冷蔵庫の中身、賞味期限切れそうだったから使っといたよ! 感謝してね(笑)』

『あ、あとシャンプー詰め替えといたから!』


 差出人は、天堂てんどう梨花りか

 僕の3ヶ月前に別れたばかりの元カノであり――この高校の誰もが憧れる「学園のマドンナ」だ。


 ◇


 翌日の昼休み。

 僕は購買のパンを片手に、梨花を屋上の踊り場に呼び出した。


「ねえ、梨花。どういうつもりだよ」


 僕が問い詰めると、梨花はきょとんとした顔で首を傾げた。

 明るめの茶髪をゆるく巻き、スカートは校則ギリギリの短さ。

 大きな瞳と、アヒルのように少し尖らせた唇。

 悔しいけれど、彼女は可愛い。

 廊下を歩けば男子が振り返り、他校にファンクラブがあるという噂も伊達じゃない。


「どういうつもりって? お礼は?」


「お礼なんて言うか。……合鍵、返せって言っただろ」


 そう。彼女は僕の部屋の合鍵を持っている。

中学から長く付き合い、高校に入って別れた彼女に渡したものを、別れて三ヶ月経った今も「返し忘れた」と言い張って持ち続けているのだ。


「えー? いいじゃん、減るもんじゃないし」


 梨花は悪びれもせず、人差し指をチッチッと振った。


「それにさ、みなとくんって家事ダメダメじゃん? 今の彼女さん……霧島きりしまさんだっけ? あの子、そういうのやってくれないんでしょ?」


 梨花の目に、侮蔑の色が混じる。

 彼女は僕の今カノ、霧島きりしましずかのことを良く思っていない。


「静は関係ないだろ」


「関係あるよ! だって湊くん、昨日もワイシャツの襟、シワシワだったじゃん。私がアイロンかけてあげなかったら、恥かくところだったんだよ?」


 梨花が一歩、僕に近づく。

 甘い香水の匂いが鼻をくすぐる。

 彼女は上目遣いで、僕の胸元に指を這わせた。


「私の方が、湊くんのこと分かってるもん。好きな味付けも、洗濯物の畳み方も、夜の……」


「やめろ」


 僕は彼女の手を振り払った。


「僕たちはもう別れたんだ。今は静と付き合ってる。こういうのは迷惑なんだよ」


 梨花の動きが止まった。

 一瞬、その整った顔が歪む。

 嫉妬だ。

 プライドの高い彼女にとって、「地味な女」に負けたという事実は許しがたい屈辱なのだ。


「……ふーん。そっか」


 梨花はすぐに明るい笑顔を作り直した。

 でも、その目は笑っていない。


「でも、合鍵は返さないよ。だって私たち、


『友達』だもんね?」


「梨花!」


「緊急用だよ、緊急用! 湊くんが倒れた時とか、誰が助けるの? 霧島さんじゃ、ドア蹴破れないでしょ?」


 彼女はケラケラと笑い、翻って階段を降りていった。

 嵐のような女だ。

 僕は頭を抱えて、壁にもたれかかった。


 鍵を変えればいいのは分かっている。

 でも、業者を呼ぶ金もないし、梨花に「鍵変えたでしょ!」と逆上されるのも面倒だ。

 そんな優柔不断さが、彼女をつけ上がらせていると分かっていても。


 ◇


 放課後。

 僕は昇降口で静を待っていた。


「お待たせしました、湊くん」


 控えめな声と共に、静が現れた。

 艶やかな黒髪のロングヘア。透き通るように白い肌。

 梨花のような派手さはないが、整った顔立ちは日本人形のように美しい。

 彼女は図書委員で、クラスでも目立たない存在だ。


「ごめんね、待たせちゃって」


 静は申し訳なさそうに眉を下げた。


「ううん。僕も今来たところだから」


 僕は彼女の鞄を持とうとした。

 その時、静がふと僕の袖口を見て、動きを止めた。


「……湊くん?」


「え、なに?」


「いい匂いがしますね」


 静がスンスンと鼻を鳴らし、微笑んだ。


「甘いバニラの香り。……天堂さんの香水と同じ匂い」


 心臓が跳ねた。

 昼休み、梨花が近づいた時の匂いだ。あの一瞬だけで、匂いが移っていたのか?

 いや、それよりも。

 なぜ静は、梨花の香水の銘柄まで知っているんだ?


「あ、いや、これは……すれ違った時に……」


 僕がしどろもどろになっていると、静はふふっと笑った。

 それは春の日差しのように温かく、そしてどこか冷やりとする笑顔だった。


「冗談ですよ。湊くんがそんな浮気みたいなこと、するわけないですもんね」


 彼女は僕の手をぎゅっと握った。

 華奢な手。でも、その力は意外なほど強かった。


「信じてますから。……ね、帰りましょう?」


 静は何も聞いてこなかった。

 肉じゃがのことも、合鍵のことも、昼休みの密会も。

 優しい彼女。

 僕を信頼してくれている、自慢の彼女。

 そう思って安心した僕は、気づいていなかった。


 彼女が握った僕の手を、自分のポケットに入れようとした時。

 そのポケットの中に、小型の除菌スプレーが入っていたことに。


 そして彼女が、僕に見えない角度で、まるで汚いものでも見るような冷たい目で――僕の袖口に残った「元カノの残り香」を睨みつけていたことに。


あとがき

新連載スタートです!

今回のテーマは「嫉妬」。

元カノのマウント攻撃と、今カノの静かなる独占欲。

板挟みになった主人公・湊の運命やいかに。


ぜひ【フォロー】と【★3つ】で応援をお願いします!

この三角関係、泥沼化必至です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る