第2話 耳卵保持者の生活

 耳卵じらん保持者の義務は診察を受けることと卵を無事に孵化させること、『似人にひと』が孵化次第すぐに引き渡しを行うこと、社会の混乱を防ぐため耳卵に関して体験した一切について口外しないことの四点だ。そうすれば、世界耳卵機関の規定により、保持者には決して少なくない額の報酬がその場で渡される上、世界の秩序に貢献したことに対する保証がどの国にいようと生涯に渡って約束される。


 その一方で、義務の履行を怠った者については重い罰則が科せられる。


 中でも重罪は保持者が予定日間近の耳卵を抱えたまま逃走した場合だが、即日刑務所行きとなる上、引き渡していれば発生していたであろう『似人』による経済的利益の倍額を賠償金として支払わなければならない。以前、耳卵逃亡罪を犯した人間について特集したネットの記事を読んだが、義務を放棄した者については何をしても良いという暗黙の了解からか、未成年であろうと顔写真付きの実名で報じられる上、コメント欄は本人だけでなくその家族に対する中傷であふれていた。


 ちなみに、差し出した『似人』がどのような意味で人間の役に立つのか、『ハハ』本人に知らされることはない。人間の残酷さを正面から受け止めることに対して、精神的苦痛を感じる『ハハ』も存在するからだ。


 人間に似ていながら人間ではなく、物のように扱われながら人間と同じように生きて動く何か。

 

 そんなよく分からないモノの卵が今、私の右耳にある。


 無事の孵化を目指し、私は冊子に掲載されている事柄を意識しながら日々を過ごした。


 適度な運動と睡眠で心身を健康に保つこと。

 旅行などの遠出は出来るだけ控えること。

 喫煙や飲酒は耳卵に悪影響を及ぼす可能性があるため避けること。

 薬やサプリメントは許可を得たものだけを服用すること。

 食事は十分加熱したものを食べるなど、生の食品は摂らないようにすること。


 注意しなくてはならないことは、お腹に赤ちゃんがいる時ととても似ている。

 とはいえ、人間の出産までに掛かる日数と比べ、『似人』はたった一ヶ月で殻を破り、外の世界へ現れる。私の耳に出来た耳卵も一週間経ち、二週間経つと、最初に発見した時の倍ぐらいのサイズになった。一般的な妊娠であればつわりによる吐き気や食欲不振などの症状が出ることもあるが、今のところ、耳掃除を気軽に出来なくなったことにやや不満があるぐらいで、取り立てて大きな不調はなかった。


 私は耳の中の様子を頭にえがきながら、「じらんちゃん」と呼びかける。

「元気に育ってる?」

 胎児に向かって話す妊婦のように尋ねてみたが、勿論返事など返って来ない。

 当然か。

 『似人』は喋らない。だから、卵の状態で返事などそもそもする訳がないのだ。

 無駄なことをしたと思ったが、自分の耳に生き物めいたモノがいると思うと、その後の生活の中で独り言を話すにしても呼び掛けるような言葉遣いになってしまう自分が少し面白かった。


 耳に卵を抱えたまま日々は過ぎ、予定日の三日前になった。

 夕食の味見をしながら「ちょっと塩気が足りないかな」とこぼした時、右耳の奥がコンコンと鳴った。窓ガラスに何かが当たったのかと思い余り気にもしなかったが、バラエティ番組を見ながら「そんなことある?」と呟いた直後、コンコンと先程聞こえたものと同質の音が聞こえた。


 脆い生卵の殻同士をギリギリの力で当て合った時のような、硬くて軽い音。


「じらんちゃん」


 耳の中を意識しながら、声に出して呼ぶ。

 少しの間をおいて、コンコンという音がした。


「私の声、聞こえてる?」


 問い掛けに応えるように、コンコンと鳴る。

 羊水に包まれた胎児が外からの呼びかけに対して返事をするみたいに腹をぽこんと蹴ることがあるというが、それと同じようなものなのだろうか。そんな事例、冊子には一言も書かれていなかったし、耳卵に関する報道でも聞いたことがない。でも、私の脳は確かに耳の中で響く音を捉えて認識したし、卵の立てた音は胎児の反応よりもはるかに明確な意志を持っているように感じる。


 もしかして、成長した耳卵は音を立てることで、保持者とコミュニケーションを取ることが出来るのかもしれない。


 そう考えたところで、「ははっ」と私の口から笑いが漏れる。

 耳卵と人間の間で意思疎通が出来るとか、ファンタジー過ぎじゃない?

 我ながら馬鹿げた話だとおかしくなった。


 耳卵の発生からもう三十年程が経過している。

 国立の耳卵研究所は各国の専門機関と連携しながら、私なんかでは到底理解が及ばないような様々な研究を行っている。他国に比べて予算規模は少ないながらも、優秀な研究者たちが在籍していて、これまでに多くの耳卵保持者たちが実験に協力していると聞く。全ての卵が保持者に対して音を立てることで意志を伝えてくるのかは分からないが、私と同じ体験をしている保持者がいたとすればとうの昔に研究所は把握しているだろうし、保持者の不安を払拭するためにもこのことは周知しておくべき情報に該当するはずだ。


 そこまで考えた時、私はある可能性を思い付いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る