耳卵(じらん)

もも

第1話 耳卵(じらん)という存在

 耳掃除をしていたら、白く濁った小さな丸い球がころりと出てきた。

 焼きししゃもの卵みたいに見えるそれを、私は指でつまんでぐっと力を入れる。


 ぷちり。


 何の反発もなく、呆気ない程に容易く潰れた。

 若干のねばりを帯びたジェルのような汁が、指の腹を湿らせる。

 もしかして、これは。

 私は今日の予定を全てキャンセルしたその足で、耳鼻咽喉科へ向かった。


 よく磨かれたメタルフレームの眼鏡を掛けた医者は、慣れた手付きで診察台の高さを調節し、私の両耳に器具を差し込む。

「うん、確かに耳卵じらんですね」

 モニターに映っているのは、少し赤味を帯びた右耳の中。

 ぽこぽことした凹凸の陰、柔らかそうな薄く細い毛のベッドに守られるようにして、真ん丸い球がいくつか見えた。

「数は十五個ですね……。外耳の部分にしっかりと卵の根が生えていますし、養分も問題なく摂取出来ていると思います。今のサイズから考えて、根付きからまだ一週間ぐらいでしょう」

 耳から器具を引き抜き、診察台を元の位置に戻したところで、医者は「おめでとうございます」と言った。

「診断書を書いておきますので、受付でお渡ししますね。後の流れはその時に確認してください。経過のチェックは義務となっていますので、一週間後にまたお越し下さいね。何か気になることなどありますか」

「あの」

「はい」

「予定日はいつ頃になりそうでしょうか」

「そうですね……」

 医者は診察室の壁に貼られている十二カ月が一枚の紙にまとめられたカレンダーを見て「今日からおよそ三週間後になるかと思います。お困りごとについては専用ダイヤルまでいつでもご連絡下さい」と告げた。

「分かりました」

 ありがとうございましたと軽く頭を下げ、診察室を出る。

 診察費用は国が負担するため、私は諸々の費用を払うことなくそのまま市役所へ足を運んだ。


 耳卵課の職員は診断書を確認するとおめでとうございますと告げ、「こちらの番号でお待ち下さい」と言い残して席を立った。私は待合室のソファに座り、これからのことをぼんやりと考えた。


 私が『ハハ』って。

 もう一文字『ハ』の字があれば、もっと楽しい気分になったのかなぁ。

 何だか変な感じだ。

 とりあえず会社に連絡して、耳卵休暇の申請をしなくては。


「五番の番号でお待ちの方」

 私は立ち上がり、先程と同じ窓口の椅子に座る。

「お待たせしました。こちらが耳卵保持者様にお渡しする『保持カード』です。公共交通機関などをご利用の際はこちらを提示いただきますと全て無料でご乗車出来ます。失礼ですがお仕事は?」

「しています」

「でしたら休暇などの申請の際、カードにございます番号の記入が必要となりますので、よろしくお願いします」

 職員は「その他、詳しいことはこちらの冊子にまとめてありますので、目を通しておいてください」と述べ、いくつかの書類とまとめて私の前に差し出した。

「ご質問は大丈夫でしょうか」

「はい、今のところは」

 渡された書類を鞄の中に収めながら答える私に、職員はにっこりと笑う。手続きに対する礼を言い、私は必要な買い物を済ませてから帰宅した。

 ベランダに干していた洗濯物を取り込み、マグカップに梅昆布茶の素を入れ、電気ポットで湧かした湯を注ぐ。和の香り漂う飲み物で一息付いてから、上司に耳卵休暇を申請したい旨をメールで送った。

 

 耳の中に卵状のものが発生する現象が発見されたのは、今からおよそ三十年前のことだ。何の前触れもなく突然起きたその現象に、世界はパニックに陥った。


『寄生虫の研究機関から誤って流出したもの』だとか、『武力ではない新たな侵略の道具として開発されたもの』だとか、『感染症予防ワクチンの影響』だとか様々な説がSNSを通じて一気に拡散していくのと並行して、世界中の研究者たちが調査を行った。しかし、環境要因なのか人的要因なのかも含め、卵状のものが生まれる理由について何ひとつ解明することが出来なかった。

 人々はこのまま卵に怯えたまま生きるのかと思われたが、今現在、そういった恐怖を抱いている人間はほぼいない。それどころか、卵が耳に出来た人は『ハハ』と呼ばれて感謝される存在になっていた。


 卵からかえったのは、非常に小さな人間によく似た何かだった。


 言葉を一言も発さず、極端に表情の動かないことを除けば、真顔で口を閉じた状態の人間と見た目はほぼ変わらない。

 いつからか『似人にひと』と呼ばれるようになったそれは、二ミリ前後で生まれた後、パンダの成長速度以上に恐ろしい速さでぐんぐん大きくなると、言語をはじめ一般教養や専門知識など教育を施せば施した分、丸ごと吸収した。身体も丈夫で指示されたことを素直に聞く『似人』は、人口減少の著しいこの国にとってまさに救世主となった。


 仕事を的確にこなす『労働力』としての存在。

 何の不平も述べずに税金を納める『納税者』としての存在。

 寂しさを抱える人々に寄り添う『救い』としての存在。


 『似人』は現代社会にとって必要な存在であるのと同時に、非常に都合の良い存在でもあった。私たち人間に似ているけれど同じ生き物ではないという点において、現行の法律が適用されなかったのだ。


 故に、殺そうが何をしようが私たちが罪に問われることはないため、学校の教室やオフィスのほか、商業施設や空港など、あらゆる場所に配置された『似人』は、苛立ちや鬱憤を抱えた人々の泥のように重く沈んだ心をぶつける相手として利用された。


 口汚く罵りたい者。

 暴力の使い方を試したい者。

 何かを殺めたくなる強い欲求を解放したい者。


 人々は『似人』を相手に、溜まったストレスを発散した。

 姿形が私たちによく似ているものを一方的になぶり、いたぶり、虐げることが社会的に認められているという点において、一部の人間にとってはある種『癒し』の対象だったのだ。


 直接手に掛けることに対して罪悪感を抱く人々は、『似人』を祀り上げる宗教に入信した。『似人』は人間を心の闇から救うために遣わされた憐れで尊い生き物だと定義付けし、『似人』の首を締めあげながら天地へ向かって捧げる儀式を通じて信者たちは間接的に『似人』を殺すことに手を貸した。


 このような扱いを受ける『似人』に対して「人間と同じ権利を与えるべきだ」と主張する団体の他、SNSでは『似人』をかくまう団体の存在も囁かれているが、「『与える』など、その考え方自体が既に『似人』を下に見る証拠であり、仲間扱いしていない」「『似人』以下の生活を送る人間に対する生活の保証が先だ」といった声を上げる人々が大半だった。

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