第4話「運命の番」

『運命の、番……?』


 リアムの言葉が頭の中で反響する。

 オメガバースの世界における絶対的な結びつき。

 ごく稀に存在する、魂の片割れ。

 本で読んだだけの、おとぎ話のような存在。

 それが、俺? この、氷の騎士と?


 カイは混乱し、掴まれた手からリアムを見上げた。

 彼の青い瞳は熱を帯びて俺をじっと見つめている。

 冗談を言っているようにはとても見えない。


「な、何を……言っているんですか……」


「分からないか? 俺には分かる。お前が放つ、この甘い香りが。他の誰でもない、俺を呼んでいる」


 リアムの指がカイの頬をそっと撫でた。

 ぞくりとするような感触に身体が震える。

 この人の前では、俺がオメガであることがどうしようもなく暴かれてしまう。


 兄のゲオルグが、信じられないといった顔で叫んだ。


「ば、馬鹿な! こいつが、騎士団長の番だと!? ありえない! こんな、男の、出来損ないのオメガが!」


 その侮蔑に満ちた言葉に、リアムの纏う空気が一瞬で凍りついた。


「……もう一度言ってみろ」


 殺気にも似た威圧感に、ゲオルグはひっと短い悲鳴を上げて後ずさる。

 リアムはカイを自分の背中にかばうように立ち、ゲオルグを睨みつけた。


「お前は、俺の番を『出来損ない』と呼んだのか?」


「ち、違います! 俺は、そんなつもりでは……!」


「カイが今まで、お前たち家族からどんな扱いを受けてきたか想像に難くないな。この痩せ細った身体が何よりの証拠だ」


 リアムの視線がカイの着ている薄汚れた服や、隠しきれない手足の痣に向けられる。

 その目に宿る怒りの炎に、カイは息をのんだ。


 この人は、俺のために怒ってくれている。

 今まで誰にも庇ってもらえなかった俺のために。


 リアムは辺境伯――カイの父親の方を向いて、宣告するように言った。


「グレイフォード辺境伯。王命による当家の視察はこれにて終了とする。だが、それとは別に個人的な要求がある」


「は、はあ……何でございましょうか」


 突然の話の展開に、父親も戸惑いを隠せない。

 リアムはカイの手を再び強く握りしめ、はっきりと告げた。


「このカイを、俺が引き取る」


「なっ……!?」


 その場にいた全員が息をのんだ。


「団長、それは……養子か何かとして、でございますか?」


 父親が恐る恐る尋ねる。

 リアムは、まるで愚かな質問だとでも言うように鼻で笑った。


「番を、だと言ったはずだ。カイは俺の番としてアークライト家に迎える。異論は認めん」


 その言葉は決定事項だった。

 王国の英雄であり、国王からの信頼も厚い騎士団長の言葉に、しがない辺境伯が逆らえるはずもなかった。

 父親もゲオルグも、顔を青くしたり赤くしたりしながら何も言えずに立ち尽くしている。


 カイ自身も、あまりに急な展開についていけなかった。

 この家から出られるのは願ってもないことだ。

 でも、それがこの人の『番』として、というのは……。

 会ったばかりの、何も知らない相手だ。

 それにこの人はあまりにも地位が高すぎる。

 俺なんかが釣り合うはずがない。


『それに、運命の番だからって……愛情があるとは限らない』


 この世界では、オメガはアルファの所有物のように扱われることも少なくない。

 この地獄から逃れても、また別の地獄が待っているだけだとしたら……。


 カイの不安を読み取ったかのように、リアムが身を屈めてカイの目線を覗き込んできた。


「怖がらなくていい」


 その声は、先ほどまでの威圧感が嘘のように優しかった。


「お前を傷つけるものは、俺が全て排除する。お前はただ、俺のそばで……美味いものを作って、笑っていてくれればいい」


「……」


「お前の料理は最高だった。まるで魔法のようだ」


 まっすぐに向けられる賞賛の言葉。

 青い瞳の中に嘘は見つけられなかった。

 カイは、この人の言葉を信じてみたい、と柄にもなく思ってしまった。


 ***


 話は驚くほど早く進んだ。

 リアムがカイを連れて屋敷を出ると言った時、ゲオルグが「お待ちください! そいつの荷物をまとめさせますので!」と引き留めようとした。

 しかし、リアムはそれを冷たく一蹴した。


「荷物など必要ない。全てこちらで用意する。この家にカイのものは何一つ残させん」


 カイの私物といえば、擦り切れた服が2、3着あるだけだ。

 リアムの言う通りだった。


 カイはリアムに手を引かれるまま、屋敷の玄関ホールを横切った。

 使用人たちが遠巻きに驚きと好奇の目でこちらを見ている。

 その中にマーサの姿を見つけた。

 彼女は目に涙を浮かべながら、カイに向かって小さく頷いてくれた。

 カイも彼女にだけ分かるように小さく頭を下げた。

 短い間だったけれど、彼女の優しさは忘れない。


 屋敷の外には、リアムが乗ってきたのだろう、立派な馬が1頭繋がれていた。

 リアムはひらりと馬に跨ると、カイに向かって手を差し伸べる。


「さあ、乗れ」


 カイがためらっていると、リアムは軽々とカイの身体を抱き上げ、自分の前に乗せた。

 逞しい腕がカイの身体をすっぽりと包み込む。

 背中には硬い胸板の感触と、規則正しい鼓動が伝わってきた。


「しっかり捕まっていろ」


 耳元で囁かれ、カイは慌ててリアムの騎士服をぎゅっと掴んだ。

 リアムが手綱を引くと、馬はゆっくりと歩き出す。


 カイは振り返って、自分が生まれ育った屋敷を見た。

 灰色で、冷たくて、何の思い出もない場所。

 そこがどんどん小さくなっていく。

 これで本当に、あの場所から解放されるのだ。


 寂しさは、不思議とひとかけらもなかった。

 ただこれからどうなるのだろうという漠然とした不安と、ほんの少しの期待が胸の中で入り混じっていた。


 カイの身体を包むリアムの腕に、少しだけ力がこもる。


「寒いか?」


「い、いえ……大丈夫です」


「そうか」


 短い会話。

 でもカイの身体を気遣うその響きが、今まで誰からも向けられたことのなかった優しさが、凍っていた心をじんわりと溶かしていく。


 馬は王都へ続く道を、確かな足取りで進んでいく。

 カイはリアムの腕の中で、これから始まる新しい生活に思いを馳せるのだった。

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