第3話「嘲笑と来訪者」
翌日の昼過ぎ、屋敷の正面玄関がにわかに騒がしくなった。
王都から辺境伯一家が帰還したのだ。
厨房の窓からその様子をうかがっていたカイの心臓が、どきりと跳ねる。
一番に馬車から降りてきたのは、俺の3つ上の兄ゲオルグだった。
金色の髪を陽光に輝かせ、仕立ての良い服に身を包んだ完璧なアルファ。
そして、この家で誰よりも俺を蔑み、見下している男。
カイはとっさに身を隠した。
ゲオルグは不機嫌そうな顔で屋敷に入ると、出迎えた執事に何事かまくし立てている。
王都での滞在が、あまり楽しくなかったのかもしれない。
その矛先が自分に向かないことを祈るばかりだ。
『おせちは……どうしよう』
カイは厨房のテーブルに広げられた大皿に目をやった。
色とりどりの料理は、まだ静かにそこにある。
兄に見つかれば何をされるか分からない。
すぐに片付けてしまった方がいいだろうか。
でもせっかく作ったものを、誰にも見られずに隠してしまうのはあまりにも寂しかった。
カイが逡巡していると、厨房の扉が乱暴に開けられた。
「おい、カイ! やはりこんな所にいたか、虫けらが」
そこに立っていたのは、案の定ゲオルグだった。
彼の目はすぐにテーブルの上の大皿に気づき、嫌悪の色を浮かべた。
「なんだ、それは。気味の悪い……また何かくだらないことをしているのか?」
「こ、これは……」
「どうせ食い物を盗んで、ろくでもないままごとでもしていたのだろう。汚らわしい」
ゲオルグはテーブルに近づくと、大皿を掴んで持ち上げた。
「こんなものは捨ててしまえ!」
「やめてください、兄さん!」
思わず叫んだカイを、ゲオルグは冷たい目で見下ろす。
「オメガの分際で、アルファの俺に口答えするか? 身の程をわきまえろ」
彼の手が大皿を床に叩きつけようとした、その瞬間だった。
「――それは、なかなか見事なものだが」
凛とした、低い声が響いた。
厨房の入り口に、一人の男が立っていた。
背が高く、引き締まった身体。
黒い騎士服に身を包み、腰には長剣を下げている。
陽光を弾く銀色の髪と、全てを見透かすような鋭い青い瞳。
圧倒的な存在感。
そこにいるだけで、空気が張り詰めるのが分かった。
ゲオルグが息をのんで振り返る。
「ア、アークライト騎士団長……! なぜ、このような場所に……?」
その名前を聞いて、カイも息をのんだ。
リアム・フォン・アークライト。
平民の生まれながら、その圧倒的な実力で若くして騎士団長の座に上り詰めた王国の英雄。
同時に、敵には一切の情けをかけないことから『氷の騎士』と恐れられる存在。
そんな大物が、なぜ辺境の、それも屋敷の厨房にいるのか。
リアムはゲオルグの問いには答えず、ただ真っ直ぐにテーブルの大皿を見つめていた。
「それは、お前が作ったのか?」
青い瞳がカイを射抜く。
カイはあまりの圧に声も出せず、ただ小さく頷くことしかできなかった。
リアムはゆっくりとテーブルに近づくと、大皿をゲオルグの手から、まるで子供のおもちゃを取り上げるかのように軽々と奪い取った。
そして近くにあったフォークを手に取ると、躊躇なく皿の上の料理の一つ――鶏肉のハーブ巻きを口に運んだ。
厨房に静寂が落ちる。
ゲオルグもマーサも、そしてカイも、固唾をのんでリアムの反応を見守った。
リアムはゆっくりとそれを咀嚼し、そしてごくりと飲み込んだ。
彼の表情は相変わらず氷のように無表情だ。
だがその青い瞳が、ほんのわずかに見開かれたのをカイは見逃さなかった。
リアムは何も言わず、今度は魚の甘露煮にフォークを伸ばす。
次々と、おせち料理を口に運んでいく。
その食べ方は、決してがっついているわけではない。
むしろ一つ一つの味を確かめるように、丁寧で、どこか神聖な儀式のようにも見えた。
全ての料理を少しずつ味わい終えたリアムは、静かにフォークを置いた。
そして、初めてカイの方を真っ直ぐに見て言った。
「……美味い」
たった一言。
けれどその言葉には、紛れもない真実の響きがあった。
「こんな料理は初めて食べた。一体、なんという料理だ?」
「お、おせち……料理、です。新年を祝うための……」
「オセチ……」
リアムは初めて聞く単語を確かめるように反芻する。
その様子に兄のゲオルグが割り込んだ。
「き、騎士団長! こんな下賤な者の作ったものなど、お口に合いますまい! こいつはオメガで、家の恥なのです! さあ、すぐに上等な食事を用意させますので……」
必死に取り繕うゲオルグの言葉を、リアムは冷たい視線で遮った。
「黙れ」
地を這うような低い声。
ゲオルグの顔から、さっと血の気が引いた。
リアムの身体から放たれる威圧感は、同じアルファであるはずのゲオルグを赤子のように萎縮させていた。
リアムは再びカイに向き直る。
その青い瞳が、先ほどよりもずっと深く強い光を宿していることにカイは気づいた。
まるで探し物をようやく見つけたかのような、そんな光。
「お前の名は?」
「カ、カイ、です……」
「カイ」
リアムは愛しいものを呼ぶかのように、カイの名を呼んだ。
そしてカイのすぐそばまで歩み寄ると、その骨張った手を優しく掴んだ。
その瞬間、カイの身体にピリ、と電気が走ったような感覚がした。
リアムの身体から甘く、そして抗いがたい力強い香りが漂ってくる。
それは今まで感じたことのない、極上のアルファのフェロモン。
カイの身体の奥深くが、きゅんと疼いた。
リアムは驚きに目を見開くカイの耳元で、静かにつぶやいた。
その声は、他の誰にも聞こえない二人だけの秘密のように。
「――ようやく、見つけた。俺の、運命の番」
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