第2話「異世界のおせち料理」
年配のメイド――マーサは、半信半疑といった顔で調理場のスペースを空けてくれた。
カイはまず、調理台の上に残っていた食材をじっくりと観察する。
塩漬けにされてカチカチになった豚肉。
芋のような、でも少し違う粘り気のある根菜。
玉ねぎに似た香味野菜。
あとは、数種類の乾燥ハーブ。
決して豊かとは言えないレパートリー。
でも、絶望するほどじゃない。
『やりようは、いくらでもある』
料理人だった頃の血が騒ぐ。
まず硬い豚肉を薄く、できるだけ薄くスライスする。
次に根菜の皮をナイフで丁寧に剥き、香味野菜と一緒に細かく刻んだ。
マーサが使っていた大鍋のスープを一度別の容器に移し、空になった鍋を火にかける。
油を少し垂らし、刻んだ香味野菜を投入すると、じゅ、という音とともに香ばしい匂いが立ち上った。
マーサは目を見開いて俺の手元を見ている。
この世界では、食材を炒めてから煮込むという発想があまりないのかもしれない。
野菜がしんなりとして甘い香りがしてきたら、スライスした豚肉を加える。
肉の色が変わったところで先ほどのスープの煮汁を戻し入れ、根菜も投入。
あとはアクを取りながらコトコトと煮込むだけ。
最後に乾燥ハーブを指で揉みながら加え、塩で味を調える。
「……どうぞ」
ほんの少しの工夫。
それだけで、ただの野菜の煮汁は豊かな旨味と香りのするご馳走に生まれ変わった。
カイが差し出したスプーンを、マーサはおそるおそる受け取り、スープを一口。
次の瞬間、彼女の目が見開かれた。
「な……! なんですの、これ……! いつものスープと全然違う……!?」
驚きに満ちた声に、カイは小さく笑った。
「よかった」
「カイ様……あなた、どうしてこんな……」
「昔、少しだけ本で読んだことがあるんです」
とっさにそう誤魔化した。
転生者だなんて、言えるはずもない。
マーサは感動した様子で、何度もスープを口に運んでいる。
その姿を見て、カイの胸にも温かいものが込み上げてきた。
誰かが、自分の作った料理を「美味しい」と言って食べてくれる。
その喜びを、久しぶりに思い出した。
***
その日を境に、カイの厨房通いが始まった。
マーサは俺が料理をすることをおおっぴらにではないが黙認してくれた。
他の使用人たちも、最初は訝しげに見ていたが、カイの作る料理の味を知ってからは何も言わなくなった。
むしろ、賄いの時間が楽しみになっているようだった。
そして、数日が過ぎた。
新年を祝う期間も、もうすぐ終わりだ。
家族はまだ王都から帰ってこない。
彼らにとって、この辺境の屋敷は退屈なだけの牢獄なのだろう。
一人、厨房で食材を整理しながらカイはふと思った。
『せっかくの新年なのに……何もそれらしいことがないな』
前の世界なら、お正月はおせち料理とお雑煮で祝った。
豪華で彩り豊かで、一つ一つの料理に意味が込められた特別な料理。
『……作れないかな。この世界の食材で』
突拍子もないアイデアだった。
昆布も黒豆も数の子もない。
醤油もみりんもない。
それでも、挑戦してみたくなった。
この何もかもが灰色に見える世界で、たった一つでもいい。
自分の手で、色鮮やかな何かを生み出してみたかった。
カイは早速、屋敷の食料庫に忍び込んだ。
そこには日持ちのする野菜や穀物、塩漬けや燻製にされた肉や魚が並んでいる。
一つ一つ手に取り、匂いを嗅ぎ、時にはこっそりかじって味を確かめた。
『この黒っぽい豆は、甘く煮たら黒豆の代わりになるかも』
『この魚の卵の塩漬けは、数の子に見立てられるかもしれない』
『甘酸っぱい果実を煮詰めれば、みりんの代用になるソースが作れるはずだ』
頭の中でレシピが組み上がっていく。
それからの数日間、カイは厨房に籠りきりだった。
マーサも、カイのあまりの熱意に呆れながらもこっそりと食材を融通してくれた。
豆は灰汁を抜いてから果実のシロップでゆっくりと煮込む。
魚の卵は塩抜きをしてから、香りの良いお酒に漬け込んだ。
鶏肉はハーブと一緒に巻いてハムのように仕立てる(伊達巻の代わり)。
色鮮やかな野菜は、それぞれ違う味付けで煮物に。
小さな魚は甘辛いタレを絡めて焼き上げる(田作りもどき)。
醤油がない代わりに、発酵させた豆の醤(ひしお)を。
出汁がない代わりに、干し肉や魚の骨から取ったスープを。
知識と工夫を総動員して、カイは料理を完成させていった。
そして、家族が帰ってくる前日。
カイは厨房の大きなテーブルの上に、完成した料理を並べていた。
重箱はないから、屋敷にあった一番綺麗な大皿に盛り付ける。
黒、黄、赤、緑。
様々な色が、皿の上で踊っている。
それはカイが知っている「おせち料理」とは少し違うかもしれない。
でも紛れもなく、カイが心を込めて作り上げた、新年を祝うための特別な料理だった。
『できた……』
達成感と、少しの不安。
これを誰が食べてくれるというのだろう。
家族がこれを見たら、きっとまた気味悪がって怒鳴り散らすに違いない。
それでも、よかった。
自分の手で、こんなにも美しいものを作れた。
それだけでカイの心は満たされていた。
カイは完成したおせち料理を眺めながら、静かに新しい年の訪れを祝った。
この凍えるような世界で、ほんの少しだけ未来に光が差したような気がした。
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