新年に余り物でおせちを作ったら、冷酷と噂の騎士団長様に「運命の番」だと求婚されました
藤宮かすみ
第1話「凍える部屋と一匙のスープ」
冷たい石の床が、薄い毛布一枚を隔てて体温を奪っていく。
カイは身を丸め、浅い息を繰り返した。
ここはグレイフォード辺境伯家の屋敷、その最奥にある物置同然の部屋。
窓ガラスにはひびが入り、隙間風が容赦なく吹き込んでくる。
『寒い……お腹すいた……』
もう何度目になるか分からない心の声は、誰に届くこともなく虚空に消えた。
俺、カイ・フォン・グレイフォードはこの家の次男だ。
そしてごく稀に生まれるという、男のオメガ。
そのたった一つの事実が、俺の価値をゼロにした。
いや、マイナスかもしれない。
家族にとって俺は、存在しない方がいい汚点なのだ。
この世界に来て、もうすぐ1年が経つ。
前の世界では、俺は日本の小さなレストランで働く料理人だった。
仕込み中に起きたガス爆発事故。
それが俺の、最初の人生のエンディング。
そして次に目を開けた時、俺はこのカイという少年の身体に入っていた。
骨と皮ばかりに痩せ細り、いつも何かに怯えている可哀想な少年。
彼が元々持っていた記憶と俺自身の記憶が混ざり合い、今の俺がいる。
今日は新年を祝う日。
父も母も、そして俺を目の敵にする兄も、着飾って王都での祝賀会に出かけて行った。
屋敷に残されたのは、必要最低限の使用人たちと忘れ去られた俺だけ。
いつもなら、このまま凍える部屋で誰かが気まぐれに運んでくる硬いパンを待つだけ。
でも、今日は何かが違った。
『新年、か……』
前の世界なら、今頃は厨房で戦場のような忙しさを味わっていたはずだ。
年末から仕込み続けたおせち料理を重箱に詰め、常連客の笑顔を思い浮かべて。
家族で囲む温かい食卓。
笑い声。
それが料理人を目指した、原風景。
その記憶が、冷え切った身体の奥に小さな火を灯した。
じっとしていても、凍えて死ぬだけだ。
カイはゆっくりと身体を起こした。
ぎし、と床が鳴る。
空腹で目眩がするのを、壁に手をついてこらえた。
足音を忍ばせ、薄暗い廊下を歩く。
目指すのは厨房だ。
使用人に見つかれば、きっと怒鳴られるだろう。
それでも足は止まらなかった。
生きるために、何かを口にしなければ。
厨房からは微かに人の気配がする。
祝賀会に行かない組が、自分たちの食事の準備でもしているのだろう。
カイは扉の隙間からそっと中を覗いた。
いたのは年配のメイドが一人だけ。
彼女は大きな鍋をかき混ぜながら、退屈そうにため息をついている。
今しかない。
カイは意を決して、厨房に滑り込んだ。
「……! カイ様?」
メイドはぎょっとした顔で俺を見る。
無理もない。
この屋敷で俺は、幽霊か何かのような扱いなのだから。
「ご、ごめんなさい。すぐに戻ります」
慌てて引き返そうとする俺の腕を、意外にも彼女は掴まなかった。
代わりにその顔に浮かんだのは、驚きと……そしてほんの少しの同情。
「まあ……なんてお姿に……。旦那様たちもあんまりだわ」
つぶやかれた言葉に、カイは何も言えなかった。
「何か、お探しですか?」
「あ、あの……何か、食べるものを……少しでいいんです。パンの耳とか、野菜の切れ端とかで……」
か細い声でそう言うと、メイドは悲しそうに眉を下げた。
「そんなものではなく……。お待ちください、今、温かいスープを作っておりますから」
彼女が差し出してくれたのは、木の椀になみなみと注がれた湯気の立つスープだった。
具はほとんど入っていない、野菜の煮汁のようなもの。
でも今の俺にとっては、どんなご馳走よりも魅力的に見えた。
「ありがとうございます」
礼を言って受け取り、ふうふうと冷ましてからそっと口をつける。
温かい液体が凍えた喉を通り、胃へと落ちていく。
じんわりと、身体の内側から熱が広がっていく感覚。
生き返る、とはこのことだろう。
『……ん?』
スープを味わいながら、カイはふと調理台の隅に置かれた食材に目をやった。
干からびた肉の塊。
土のついたままの、ごつごつした根菜。
硬そうな黒パン。
おそらく使用人たちの食事の材料だろう。
決して上等な食材ではない。
でも、料理人だった俺の目にはそれが宝の山に見えた。
『この肉と野菜があれば……もっと美味しくできる』
俺の中に眠っていた魂が、うずき出すのを感じた。
「あの……」
気づけば声が出ていた。
メイドが不思議そうな顔でこちらを見る。
「もしよかったら……俺にこのスープ、作らせてもらえませんか?」
「え?」
メイドは目を丸くした。
無理もない。
今まで何もできず、ただ怯えていただけの次男坊が、突然料理をしたいと言い出したのだから。
「少し味を変えるだけです。きっと、もっと美味しくなりますから」
その時の俺がどんな顔をしていたのか。
自分でも分からない。
けれど、俺の目の中に確かな光を見たのか、メイドは戸惑いながらもこくりと頷いた。
それが、俺の二度目の人生の本当の始まりだった。
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