12話 正規の妻

「ここが……未来?」


 瞼を持ち上げた瞬間、飛鳥の視界に光が走る。

 金色と緑が呼吸するように脈打つ空間に、空間全体が液体のように揺らめいている。床も壁もない。深海と星空が混ざり合ったような空間だった。


「そうだ。ここは西暦2125年――お前がいた世界からおよそ100年後の世界だ」


 レオナの声を反射するようにして光が膨らむ。

 脈動する空間に、飛鳥は半歩後ずさりしながら周囲を見渡す。地を踏む確かな感触だけが飛鳥を支える最後の柱となっていた。この感覚がなければ、飛鳥はきっと驚き倒れていたことだろう。


「100年……」


 飛鳥が呟いた瞬間、光は一斉に輝きを失った。

 完全なる闇。

 飛鳥は唐突な暗転に息を呑む。

 次の瞬間、紙と木の匂いが揺蕩い、世界は光を取り戻した。

 高く伸びる棚。ぎっしりと並ぶ背表紙。

 そこは静寂に守られた知識の森だった。


「これは……図書館?」


 まるで誰かが巨大な本のページを捲り、新たな場面へ章を進めたようだ。

 未知の空間は、どこか懐かしい場所へと変化していた。


「君にはこっちの方が落ち着くと思ってね」


 柔らかな声が背後から聞こえてきた。視線を向けると、受付カウンターに一人の青年が腰かけていた。銀髪が静かに揺れ、丸眼鏡の奥の瞳は楽し気に輝いている。


「私は図書館が好きなんだ。自分の足で棚を巡り、偶然の出会いに胸を躍らせる。一方で端末で目当ての本を瞬時に検索できる。非効率と効率、趣と実用、その二つが同じ空間で混ざり合っているのが好きなのだよ」


 早口なのに一言一句が滑らかで、まるで音楽のように耳に心地よく溶けていった。


「えっと……あなたは?」


 飛鳥は、銀髪の青年に声を掛けた。


「はっはっは。私の名前はクレインだ」


 青年――クレインは軽やかに立ち上がり、机を片手で押して身をひるがえすと、そのままひょいと飛び越えた。羽織っていた白衣がはためく。

 真面目そうな見た目に反して、動きは茶目っ気ある少年のようだ。飛鳥の前で立ち止まり、手を差し出した。


「これから、よろしく頼むよ」


 飛鳥は戸惑いながらも、その手を取った。


「こちらこそ、よろしくお願いします。俺は時任 飛鳥です」

「時任 飛鳥くんね。……ん?」


 飛鳥の名を聞いたクレインは、飛鳥を握る手とは反対の手を顎に当てた。

 なにやら深く考え込んでいるようだ。


「あん、どうしたんだよ博士?」


 横で挨拶を追えるのを待っていたレオナが口を挟む。


「いや、この名前……最近どこかで見かけた気がしてね」


 クレインは飛鳥の手を離し、棚に向かって指を伸す。すると一冊の本が吸い込まれるように宙を舞い、彼の手元へ収まった。

 ページを開き滑らかに捲っていく。

 擦れる紙の音が部屋に響く。

 全てのページに目を通していくクレインに、レオナは呆れたように言った。


「たく、雰囲気を2000年代にしたからって、データまで本にしなくていいだろう。その時代にも端末はあったんだからよ。って、さっき博士が自分で言ってただろうが」

「あ、ああ。そういえばそうだ。流石、レオナくん。人の話を聞ける良い子だ」

「相変わらず勢いで会話してやがるな……。せめて初対面の相手にはやめろってぇのによ」

「それはレオナくん。自分に言ってるのかな?」

「博士……てめぇ!」


 握る拳に力を込めたレオナを見向きもせずに、クレインは本に手を翳した。

 本は光の粒子に変わり、タブレット端末のような形状へ変化した。


「これは……『時越想纏』……?」


 光が物質として創造される。

 それはレオナが見せた『時越想纏』に似ていた。

 飛鳥の問いにレオナが答える。


「いや、これは単なる技術さ。空間そのものにデータを収納して、形状を変化させてんだよ。まあ、簡単に言えば『時越想纏』の劣化版みたいな感じだな」


 レオナは先ほどの恨みとばかりに「劣化版」と強調する。

『時越想纏』は想いを形にするが、あの端末はデータを形にしている――そう言うことなのだろう。飛鳥はそう理解することにした。

 飛鳥は納得したのだが、クレインは不満げに口を尖らせた。


「劣化版とはなんだ。誰でも使える技術に昇華させたのだから、その言い方は好きではないな、レオナくん」

「……」


 今度はレオナが黙る番だった。

 クレインは「やれやれ」と小さく溜息を着くと、端末を操作して飛鳥の名を調べた。


「おお、やっぱりあった!」


 検索結果を確認すると、クレインの表情は晴れた。

 画面を叩くと端末は霧のように消えた。


「先ほど、マホさんを探した時に見掛けた名前だ。飛鳥くんはマホさんの旦那さんだね」


「え?」


 飛鳥の時間が一瞬止まった。

 旦那さん?

 それはつまり結婚したということで、結婚とはずっと一緒に入れるということで。

 飛鳥の脳は止まった時を取り戻すように一気に回り始める。

 一人考える飛鳥と同じように、クレインもまた脳の歯車を加速させていた。

 もっとも、こちらは堂々と声に出していたのだが。


「そうかそうか。本来ならば生涯を沿えるはずだった相手が、未来の干渉によって悲惨な目に遭った。だから、想いが強まり『時越想纏じえつそうてん』が発動したということか」

「いや、『時越想纏じえつそうてん』に目覚めた理由なんかより、普通、そんな大事なことを、この流れで言わねぇだろうよ」


 配慮という概念だけが抜け落ちたかのような天才に、レオナは眉間を押さえて天を仰いだ。


「どうしてだい? なんで教えるのが駄目なんだい?」


 無邪気と無神経が同居した顔。

 どうやら、本当に分かっていないようだ。


「飛鳥は今さっき、マホと別れたんだ。まだ、想いの整理もできてねぇはずだ」


 レオナの声には、悔しさと優しさが滲む。

 凶器に呑まれたマホを、飛鳥の決意を間近で見てきたからこそ、その事実は落ち着いた時に知って欲しかった。

 今はまだ――マホの狂った姿が脳裏に焼き付き、マホとは会えない事実きずは塞がっていないはずだ。

 癒えるには少し時間がいる。

 レオナはそっと飛鳥を盗み見る。


「そっか。俺はマホさんと結婚できたんだ」


 飛鳥は事実を受け入れるように、深く頷いた。

 今の自分はマホの傍にはいないけど、本来の時間では一緒に過ごせていたんだ。

 その事実が心で溶けて温もりとなって広がる。


「ほら、平気じゃないか。まったく、レオナくんは心配しすぎなんだよ」


 クレインが得意気に眼鏡を押し上げる。


「ああ、鳥は私が思ってるよりも強いらしいな」


 レオナは照れを隠すように、くるりと背を向けた。心配していたことが恥ずかしくなったようだ。


「さて! 顔合わせはこの辺にして、未来の世界を見てきたらどうだい? この時代にも慣れておいた方がいいだろう。レオナくん。案内を頼むよ」


「ああん!?」


 レオナが獲物をしとめる獣の眼光で振り向いた。


「私達は今、疲れてんの。まずは休ませることが先だろうが!」


 レオナに至っては二回続けての時間軸の移動を行った。

 傷も負い満足に『時越想纏じえつそうてん』すら発動できなかったのだ。何よりも必要なのは休息だと息を荒げた。


「おっと、それは失念していた。今から部屋を作り変えよう」


 クレインが魔法の杖を振るようにして指を躍らせた。

 空気が波打ち、ページが変わる。

 図書館は消え、妙に甘い眩さと、安っぽい豪華さを再現した内装に変わっていた。


「なんだこれは?」


 壁には曖昧な光を放つハート形の証明。

 レオナは不思議そうに見ながら、部屋の中心にあるベッドに触れた。シーツは無駄に滑らかで、薔薇の香りが漂っていた。


「飛鳥くんの時代では、こういう場所で休憩するのさ。知らなかったのかい?」

「そう……なのか?」


 レオナが真顔で問いかけてくる。

 飛鳥は震える声で答えた。


「違わないけど、今は違う……絶対、今じゃない!!」


 飛鳥はクレインの行為が信じられなかった。

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