第16話 山が生むもの

 最初の異変は、音だった。


 岩が軋む。

 土が、ずれる。


 それは崩落の前兆――ではない。


「来る……!」


 サーシャが叫んだ瞬間、

 渓谷の壁が、内側から裂けた。


 砕けた岩の奥から、

 “それ”が這い出してくる。


 人型。

 だが、完全ではない。


 半身は岩。

 半身は、赤黒い魔力の塊。


「擬似存在……!」


 サーシャが即座に詠唱を開始する。


「モモ、補助!」


「うん!」


 魔力陣が展開される。

 理論通り。

 構築は完璧。


 ――だが。


 魔術は、途中で霧散した。


「……また?」


 サーシャの声が、揺れる。


「拒否されてる……!」


 擬似存在が、腕を振り上げる。


 斬撃ではない。

 空間そのものが、削られる。


「避けて!」


 モモが叫ぶ。


 フェルトは、一歩前に出た。


 攻撃は、彼に向かって放たれる。


「……成立させない」


 次の瞬間。


 空間の歪みが、

 フェルトの目前で――ほどけた。


 音も、衝撃もない。


 ただ、

 “なかったこと”になる。


「……っ」


 サーシャが、言葉を失う。


「今の……防御じゃない……」


 擬似存在が、初めて動揺した。


 魔力の輪郭が、乱れる。


 まるで、

 想定外のエラーに遭遇したかのように。


「今だよ!」


 モモが、補助魔術を展開する。


 速度強化。

 感覚共有。


 フェルトは、地面を蹴った。


 詠唱はない。

 魔力も、最小限。


 拳を、擬似存在に――当てる。


 その瞬間。


 接触した部分から、

 存在が、崩れていく。


「……殴っただけ?」


 サーシャの声が、震える。


 違う。


 殴ったのではない。

 存在を、拒否した。


 擬似存在は、悲鳴すら上げずに崩壊した。


 残ったのは、

 地面に沈む――古い魔術痕。



 静寂。


 だが、終わりではない。


 周囲の岩壁が、

 同時に――震えた。


「……一体じゃない」


 モモが、蒼白になる。


 渓谷の奥。

 壁。

 地面。


 あちこちから、

 同じ“気配”が、立ち上がる。


「……山が」


 サーシャが、呟く。


「敵を、生んでる」


 フェルトは、息を整える。


 拒否は、万能じゃない。

 回数にも、距離にも限界がある。


「……全員、固まってください」


「指示する余裕、あるの?」


「あります」


 短く、断言。


「まとめて、終わらせます」


 サーシャは、唾を飲み込んだ。


「……本気、出す気?」


 フェルトは、ほんの一瞬だけ迷い、

 そして――頷いた。


「外ですから」


 その言葉と同時に、

 フェルトの周囲で、空気が変わった。


 魔力ではない。

 圧でもない。


 世界が、息を止めた。


 擬似存在たちが、

 同時に動きを止める。


「……拒否、拡張」


 低い声。


 次の瞬間。


 擬似存在すべてが、

 一斉に、ほどけた。


 崩壊でも、爆散でもない。


 最初から、

 存在しなかったかのように。


 渓谷に、

 何も残らなかった。



 しばらくして。


 サーシャは、地面に座り込んだ。


「……理解、できない」


 震える声。


「でも……」


 顔を上げ、フェルトを見る。


「否定も、できない」


 モモは、苦笑いを浮かべた。


「サーシャ、

 これ……学院じゃ無理だよ」


「分かってるわ」


 サーシャは、深く息を吐く。


 そして、静かに言った。


「……あんた、

 本当に“外の存在”なのね」


 フェルトは、答えなかった。


 だが、山は――


 初めて、

 完全に静かになっていた。


 まるで、

 拒否を理解したかのように。

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